2023年12月25日

13光年彼方より


手紙を読み終えてから「I WISH」を歌い出す前、歩みを進めてゆっくりと光の海を見渡す目には何が映っていたのだろうか。それは映像に残らない色。恋ぴんくは恋ぴんくでもこの瞬間しか見えない光。言葉になるほどはっきりしなくて思い出にしかならない思い。そんな景色を目に焼き付けた。そしてこの場所でしか思い出せないことがある。空間移動が失われたタイムマシンのように、ぴったり同じこの場所でしか。あるいは横浜アリーナというタイムカプセルこの場所でしか。

ひとりぼっちで少し退屈な夜…そんな夜がたしかにあった。13年前、この場所で。失意の中でエッグをやめる決意をしつつ天空席にいた少女。大人びてはいたけれど、今思えばまだ少女。見つめていたのはあこがれの人、亀井えりりん。そのときの自分自身を、いわばもうひとりのみずきを光の中に探していたのかもしれない。コロナ禍でやっと人間になったのだから、誰もが一度はするような自分を探すそんな時間もなかったのだろう。それとも自分探しもできないようではモーニング娘。になんてなれないだろうか。誰かと話するの怖い日もある…そんな日が本当にあって、でも勇気を持って話すわ…そんな決意も本当にあった。誰よりも私が私を知ってるから…自分を信じることもまた。

「僕がもう一人いたら」ここでもう一人の自分が出てくるのは、卒業を決心することで見える景色が変わってくるから。いつも見ているはずの空が、意識もしない日常が、そして自分を取り巻く世界が、決心ひとつで変わることがある。「ほらいつもと同じ道だってなんか見つけよう」というのも、同じ道が同じに見えないときがあるから。今まで見ていた自分ではない、まるでもう一人の自分がいるように。

オーディションに受かろうが受かるまいが、誰がなんと言おうとあのときのみずきちゃんは輝いていて、彼女自身が気付いていなかったとしても実際に光を浴びた者がここにいる。それでもデビューできないのならそれはもはや選ぶ方の問題で、エッグはそんな子ばかりだった。その光がいま届く。13年前だからその距離は13光年。あの日の自分にかけてあげたい言葉はなんですか?その言葉を伝えるために天空席へ呼びかける。モーニング娘。を卒業しようとする自分から、モーニング娘。になることをまだ知らない自分へと。譜久村降りといで。

家族よりも一緒にいたモーニング娘。だから、できた時間は自分と家族に。失われてはいないし取り戻しもしない、そんな時間を家族と一緒に。寝ながらなんでもできるので年末年始の大計画もきっと寝ながらできるはず。落選を知って推しを見送って髪を切って1月2日を迎えるまでを今はじめてゆっくりと振り返れる。全ていつか納得できるさ…そのいつかが今になる。あの日の自分へ伝えたいことはもうすでに歌にあった。歌うことで伝わっていた。人生ってすばらしいって。
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2023年12月11日

君を守るもの


卒業の日にはまだ青みを帯びていた銀杏の葉もすっかり金色に輝くようになりました。わずか一週間でも季節が確実に移ろいゆくのを感じています。たとえこの時期だけであっても毎年やってくるのならそれもまた Neverending Shine ですね。聖上におかれましてはいかがお過ごしのことかと存じます。この一週間、寝続けていたとしても驚きません。起きながらにして恋ぴんくの海しか見えないこともあるのですから。そんな思いで見た夢を寝言と思って聞いてください。

琉球王国最高の聖地と名高い斎場御嶽を訪れたとき、艦砲穴と呼ばれる砲弾の跡がありました。聖域中の聖域に砲弾が打ち込まれることの意味は説明するまでもありません。一言でいえば冒涜です。水がたまって小さな池のようになっているその穴に近づくと、黒い蝶が一羽、自分を追い抜くように飛んで行きました。蝶が魂の象徴であるとは沖縄のみならず広く世界に例を見るところですが、単に民俗的な知識ではなく経験として、魂としか思えませんでした。蝶になって聖域を守っているのだと。琉球世界には用途不明の蝶型骨器なるものもあり、やはり霊魂に関わるものと思えてなりません。

横アリという聖域にもシルバーの蝶が舞っていました。ある者は腰に、またある者は胸元に、譜久村聖は大きな背中に。これもなにかの象徴ならば、こんな夢想も許されましょう。その顔に羽を広げた蝶を見て種名の由来となった犬がいます。お別れに後悔の念を抱えながらも夢を全うしようとする人、そのすぐそばに。必要だったのは時間。犬種はパピヨン、名はクララ。写真が苦手だから背中に隠れていたんだね。

信じるか信じないかは自分しだい。どちらかといえば人を信じない方ですが、座右の銘はこれにします。「人を信じる人を信じる」。信じるとは幸せを祈るということです。
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2023年11月30日

モーニング娘。という人生


ハロプロエッグから15年、モーニング娘。として13年。在籍日数4715日、ブログ更新3827回、インスタ投稿1500件。その他ではまとめ切れないほどのいろいろ。これにエッグ時代が加わる。数字でいえばこれほどで、愛でいったら計り知れない。途切れそうな言葉と言葉の間にもいろんな愛が詰まってる、聖域はそんな場所でした。生田の日ごろは言えない愛やあかねちんの激重の愛。後輩をまなざす愛に先輩に打ち明ける愛。だーいしの背中には筋肉という名の愛。近くの幼女に爆レスしに来たえりぽんは衣装のひよこと同じ目をしたあの目だった。これも愛。そしてリーダー譜遍の愛。らいりーにえらいりーしたらぽんぽんで返されたのをまたぽんぽんで返してた。すなわちはじめに愛ありき。だから歴史は途切れない。

モーニング娘。が人生なら、ハロプロエッグはその前世。娘。の時代は再び回り、ハロプロエッグがここに完結。最後の新人公演の最初の曲が「Go Girl」。そのとき「みかん」もやっている。新人公演みがあってエッグヲタも大満足です。エッグというシステムの一つの終焉の形だと思っています。

「I WISH」は曲名が「I WISH」である限り、それは反実仮想の仮定法であって本当は叶わない願いのはずだけどそんなニュアンスは感じなかった。ただ純粋な願いがあった。だから人生ってすばらしいのが本当にすばらしかった。逆接には逆接を。そうやってこの曲に潜んでいる影を消して意味を変えた。それがハロプロを体現する譜久村聖の解釈であり強さでもある。相当強めなこの曲の意味を変えるほど、そこまで強くなったのだ。でも彼女の中では最初から逆接なんてなかったのかもしれない。この曲を知ったとき、仮定法なんて知るはずもないんだから。純粋な心は負けないよと教えてくれた、その強さは愛の強さ。みずきちゃんの「I WISH」は自らの「I」よりも愛が先に来るから。所信表明で触れたときから、ということは実際にはそれ以前からの一途な愛だから。意味を変え、未来を変える愛もある。

「みかん」が続いているようなまぶしい朝を迎えました。ふくむらみず季がはじまっています。ゆっくりマイペースで寝て起きてそして寝て、流れる雲を見て、沈む夕陽を追って、輝く星を数えて、駆け抜けた季節を思い、それを遠く見えないところで見守っている季節です。立派な人間にならなくてもいいよ。譜久村聖が譜久村聖であるだけで。後輩たちに夢を託すのが夢。その夢がやっと叶うと。これからは叶わなかった夢を追いかけて。好きなだけゆっくり眠るとか、愛の上手な受け止め方とか。仔犬ダンの聖地巡礼なら一緒に夢を叶えたい。

マイクにのらない時代(とき)の波に揺られた末の真実のメッセージ。「私は一番の幸せ者です!」「また逢う日までがんばります!」聖域にこだましたその声を、今日のあなたを忘れません。焼き付けるのは一瞬で胸にあるのは永遠です。恋ぴんくの光の束にぽつりぽつりとグリーンライト。10代目がすでに芽吹いているようで。後輩はもう育ってる。生田とは同じ地球で瞬く友達のままこれからも。

何か一言いえるなら、わかっていても言いたくて、言わなきゃいけないことがある。あなたがくれた感謝の言葉に思いを込めて返したい。愛には愛でしょ。あの日あの時あの場所で泣いていた子が夢を叶えた。その濃さは人の一生、その姿を見せてくれた。つらい顔なんてひとつも見せずに。いっぱいあったに決まってるのに。応援できなかったごめんの気持ちを感謝の思いで包みます。モーニング娘。の譜久村聖、しっかりと見届けたよ。みずきちゃんありがとう!
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2023年11月28日

大横浜聖域記


芝公園STEP!のラス曲にして新人公演自体のラス曲でもある。ラストのラストで「Bye Bye またね」あるよこれ!みずきちゃんならリハしなくてもだいじょうぶ!すぐに歌える。いつでも歌える。この曲を(スイッチON!)こんなときに(自分の卒コン)こんなに思い入れをもって(ベリヲタ)歌えるのはみずきちゃんだけ!いま歌わずにいつ歌うのか!バズーカをぶっぱなしていたというのもかつてハマスタでベリーズがしていたことを思えば巧妙な伏線と言えるでしょう。なにより「また会いたい 約束してね」という舞波パートに答えるように年をまたいだにょきにょきの「ありがとう!おともだち。」サビ前で「約束どおり迎えに行くわ 自転車乗って」と歌う7人は時を超えた交歓に他ならず、時代としては区切られても気持ちとしてはつながっている、「またね」は本当にやってくるんだという未来への希望にあふれて余りある。いやしかし落ち着いて冷静に考えてみると「HEY!未来」がきたということは「がんばっちゃえ!」になるのかな?「蝉」でもいいけど。大きなティアラはデレシンか。まさか「VERY BEAUTY」を!?正月様を迎えるように明日様を迎えます。聖域に足を踏み入れます。安心感のあさってがこれほど遠いこともない。考えても始まらないし終わらない。それでも明日はやってくるのでしば漬けを食べて寝るしかない。こんな夜でもみずきちゃんが少しは眠れますように。
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2023年11月27日

横浜で会いましょう


時に西暦2002年、17歳になった日に卒業していく人がいた。自ら作った「時代」を残して。終演後、百戦錬磨のヲタどもが徒党を組んで練り歩く。駅まで続くその列はまさしく魑魅魍魎の百鬼夜行。やがてアンオフィのラミネートポスター(昔あったんです!)を頭上に掲げる者が現れ、それに群がる者が集まる。自然とその手はポスターに伸び、自然に奪い合いへと転じる。あわれポスターはボロボロに。しかしそれとて祭りの供犠と、裸でこそないもののそれはやり場のない感情の発露で、蘇民袋を奪い合う蘇民祭さながらの様相だった。祭りの始源を見る思いがした。観客がいないのが祭りの本義であるように、いたとしても吸い込まれるように祭りに加わってしまうので観客にはなりきれない。自らが参じていながら、神以外それを見ることはできない。タンポポ祭りもそうだった。コンサートというより祭り。そんな歴史に事欠かない場所。

「SPECIAL」はみずきちゃんが憧れたハロプロで、「聖域」は譜久村聖がリーダーとして培ってきた娘。。2daysだと思ってるでしょ?いえいえ3日目もあるんです。「聖域」の翌日から始まるそれは未来っていいます。まだ未来としか名前のない未来です。そこまで横浜アリーナです。だから横浜で会いましょう。
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2023年11月20日

ハロプロ愛の行方


2023/11/19【モーニング娘。'23 コンサートツアー秋「Neverending Shine Show」】福岡サンパレス ホテル&ホール

涙ッチで時空を超えた。昔と今がつながった。昔というのは何を隠そう新創世記ファンタジーDXです。あしたをこっちのペースに巻き込んで、また巻き込んで、それでも巻き込んで、自分が知らない日も巻き込んで、その繰り返しでたどりついた今日なんだなって。あのときの愛ちゃんやガキさんがいた場所に今みずきちゃんがいることは不思議ではなく必然でそれがモーニング娘。なんだって。夜明け前しか浮かんでこないシルエット。明るくなったら見えなくなるもの。めぐりめぐって今になるもの。思えば自分が見ていたのはみずきちゃんのそんな時代だと思ったよ。シルバーの蝶飾りは胸元や腰、みんな体の前にあるのにみずきちゃんだけ背中にあってそれは旅立つ者の証でしょうか。その背に羽を背負ってはばたいていくことの。今夜君は展翅さって。

座右の銘は人を信じる。これはデビュー当初も同じだったのでよく覚えている。それから変わってないんだね。人を信じて、仲間を信じて、信じられないことがあっても信じることを決してやめないで、なおひたすらに信じた先に自分も信じて、そして変わった。自分を信じる、すなわち自信。これこそが過去になく今はあるもの。しかしその言葉が出てくるまでには言葉にできない思いが渦巻くこともあったはず。という言葉も無意味なほどに。

「譜久村降りといで」が天孫降臨なら卒業はモーニング娘。として神上がっていくのだろう。それはまた娘。の歴史からしたら当然あるべき1ページとして。その前に歌って踊って間違えて、照れて笑ってリーダーとしてみずきちゃんが残していくモーニング娘。を見せてもらった。今もいる信じた仲間と今いなくても信じている仲間。生田の「楽しかった人ー!」で跳ねながらステージ袖に消えてって大好きな大きい背中を見送れた。

好きなことを仕事にした人がそこから卒業したらどうなるのでしょう。命がけの脱皮でもいい。その結果の抜け殻でもいい。カピバラになって冬眠するもよし、一日48時間眠るもよし、夢の中で眠るもよし。ただこれからはそのハロプロ愛をどうか自分自身にも。長い長いハロプロに歴史があり、少なからずあなたもその一部なのだから。自分を信じて、そして大切に。
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2023年10月27日

品川で会いましょう


2023/10/25【モーニング娘。'23 73rdシングル発売記念 ミニライブ&お見送り会】品川インターシティホール

こんなときどんな顔をすればいいのかわからないからマスクで隠して、久しぶりにもほどがあるから話しかけるのもほどほどに。まるで毎週会ってるように今日は真野ちゃんいないの?ぐらいの勢いで!「久しぶり!」本音は「今さらごめん」です。許してにゃんでも許されないこと。許されないとわかっていても謝るだけは謝りたい。自分勝手なヲタクでごめん。アップデートしてなくてごめん。カピバラが好きになってごめん。きっかけは絶対に言えなくてごめん。ふれあうために長崎遠征しててごめん。ヲタクのありようがすっかり変わっていて、もはやヲタクですらなくてごめん。知らないことは天津罪、行けないことは国津罪。そんな言い訳ばかりでごめん。なんて謝るばかりでごめん。謝るを感じると書いて感謝。I WISH を歌い継いでくれてありがとう。

14人いるいちばん最後。人によってはラスボス呼ばわり。あのころのれいなの位置にふくがいる。ヲタクの悲しい習性で、覚えているのはぷいっと横向く瞬間で。そんなヲタクがお見送りしてもいいですか?見送っていないと見送られてしまいそうな変な気持ち。なんか目が忘れられなくて。

まだ長い長い人生を少し駆け出したばかり、とは言えないくらいに12年を駆け抜けようとしているみずきちゃん。それでもやっぱり人生はまだ長いので、ひと休みも当然あるさ。空白は埋まらないので埋めないで、もしくは純白に輝くドレスで埋めたい。26歳で歌って踊るのはこれが最後と。この歳になってこそ平野さんの奇跡さがわかるよね。いくつになっても青春だから心の中ではいつまでもあのころのみずきちゃんがクララと二度寝しています。ラストチャンスをつかまえて、ダッシュすること干支一回り。ラストスパートでラストシーンへ。残りの日々を、そして未来を、譜久村聖の生き様を見せてください。「オフの日は冬眠レベルでひたすら寝てた」「高校生はモーニング娘。に全振りなので思い出はほとんどない」「人間に戻ったのはコロナ禍」今だから言える言葉は時の重みで鋭くて胸に刺さって抜けないですが、その痛みを抱えたままで見届けたいと思います。
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2022年12月29日

ふくむらみ好き


卒業なんて入ったときからわかってた。それがはじまりであることも。モーニング娘。であってもなくてもただの譜久村聖が好きです。
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2014年10月02日

今といつかの間にて


10年という時間の長さを実感をもって知ったのは中学生のときだった。それからしだいに10年は長さを縮める一方だった。

今年こそは、今日だけは、観なきゃいけない気がしてる。開放であり解放でもある、心のスイッチ、オンにして。

思い出の場所は駐車場になっていた。歩道橋とバス停と地図に往時の名前を留めていたが、なにか建物ができればそれも速やかに消えていくだろう。

舞波よりも小さかった子が、いま大きくなって一緒に舞波の話ができる。やっぱり10年は短くないのかもしれない。思い出すには短くて忘れるには長い9年。



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2014年03月31日

弥生の空は


2014/3/30【The Road to Graduation Final 〜さくら学院 2013年度 卒業〜】渋谷公会堂

流れる涙はあごで拭く。頬を伝うのが早すぎるから。

ねねどんバイバイ。さようならではお別れすぎて、バイバイだったらまた会えそうで。

さくら学院はもうこれで終わりだと思う。毎年終わって毎年始まるのがさくら学院なのだから。でも森先生だけは絶対に卒業しないでほしい。

雨が降り光が射して雷が落ち風が吹き。四季を駆け抜けたような一日にこの一年が詰まっているようで、こんな日がこれからもきっとある。言葉にならない思いと伝えておきたかった気持ち。おめでとうを言うのがいつも最後になってしまう。
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