2025年02月14日
1986年の心
『のび太の恐竜』以来、タイトルには所有や所属を主に意味する格助詞「の」が使われている。その一字から付会するなら、敵とはいえギラーミンもポセイドンもギルモア将軍ものび太たちが活躍する世界を構成する一部に過ぎなかった。それが7作目にしてはじめて並置・並列の「と」が用いられたということは、「のび太」と「鉄人兵団」は並び立ちながらも相容れない存在・世界であるということだ。それはそのまま人間とロボットの関係でもあり、その両者をロボットの側から横断しようとしたのがリルルだった。思えば人間の側から接近を試みたことはあったのだろうか。天使とはその間にある存在をいうのかもしれない。ドラえもん自体がロボットであることはここでは後景に退いていて、「ロボットであること」はミクロスが引き受けている(だからミクロスは必要なのだ)。
映画史上最高の作品という評価は公開以来変わっていない。映画を知らないと言われるのならそれでもいい。そんな作品のヒロインはやはり映画史上最高のヒロイン。予感からわずかもしない別れの時間を補うように、それがリルルの言葉であるかのように、「わたしが不思議」が風のごとくに吹き抜ける。教室の窓の外に現れてものび太と言葉を交わすことなくしずかちゃんにも会わないまま。教室の内と外、交わらない世界にありながら(教室には「人間」と書いた習字が貼ってある)、隔たりがあってもなお、お互いを認め思うことができる。リルルの微笑みがその証。人間と人間であってもその関係は同じはず。心ない人間と心のあるロボット、どちらが生きていく価値があるというのか。
物語はリルルの目線で始まって、のび太を眼差すリルルの視線で終わりを告げる。もしリルルが主語になったとしても「の」ではなく「と」、『リルルと鉄人兵団』がふさわしい。リルルはロボットでありながら、天使に生まれ変わったのだから。最後に現れたリルルと、その身を祖国に捧げたリルルは同じリルルなのか、それは今日吹いた風ときのう吹いた風が同じなのかという問いに似ている。風は風、リルルはリルル。リルルの姿が空に消えてもリルルの心はたしかにあった。
『ドラえもん のび太と鉄人兵団』
神保町シアターにて
2025年02月12日
1985年の問い
40年前に観た映画を今また映画館で観れる喜び。エンドロールの少年期を忘れていない懐かしみ。ああ僕はいつごろ大人になるんだろう。この問いにいまだ答えられない悲しみ。しかしまだ鉄人兵団を残しているという楽しみ。
ぜひまた遊びに来てください
すなわち、さよならです
再会のための別れの言葉。さよならとは、また会う約束。のぶ代も小原乃梨子も当たり前のようにスクリーンで生きていた。あまりにも自然すぎて確かめるのも忘れるくらいに。世代が変わっても時代として残る。フィルムのノイズさえ虹のかけらがキラキラ光る。
『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』
神保町シアターにて
2024年11月30日
乾杯は甘口で
2024/11/29【譜久村聖FCイベント2024〜いいふくの日に乾杯!!〜】江戸川区総合文化センター
寝る子はキュートの言葉を借りれば「僕、みずきちゃんにオバさんになってほしかったよ!」叶わなかった願望ではなく、先の見えなかった未来をいま見ている感傷として。28歳をおばさんと言ってしまうのは失礼極まりないですが、小学生のときはアラサーだったから今はアラフィフぐらいでしょ?なんて軽口を叩いてみたいものです。最初のデビューは14歳。二回目の成人式があるのなら二回目の14歳があってもいいかもしれません。
「本当の自分でぶつかるとすごく傷ついてしまうこともある」デビューの前に心配していたのはそういうことで、どんなに強くなったとしてもこれからもあるかもしれない。でも本当の気持ちはきっと伝わるはずだから。ここに来たのはそんな人ばかり、むしろ伝わったから来た人ばかり。最初のデビューはつんくさんに呼ばれて、二度目のデビューは自分で決めた。
帰り道は寂しくなりませんでした。ただ冒頭のお題「カニになってみよう」をやらなかったのが心から残念でなりません。カニにならずしてどうしてカニラの気持ちがわかりましょうか。ふとしたはずみでカニラと入れ替わってしまうショートストーリーを希望します。誰かに正体を当ててもらわないと元に戻れない蟹問答で。「ドキッ!ベリヲタだらけのカラオケ大会」も音源だけでもいいのでほしいです。「気分爽快」は特にサビが驚くほどにハマっていたので当然黒い浴衣でわたオバも期待しています。
だいぶ遅くなりましたが誕生日おめでとうございます。モーニング娘。じゃない久しぶりの、そして元モーニング娘。として初めてのハッピーバースディ。2分15秒じゃすまない遅刻。信じてもらえないかもしれませんが、今でも好きです、いや大好きです。
2024年10月11日
ぼくのドラえもん
今は昔のイベントで、退出するのぶ代が目の前を横切ったとき、それは薄暗い映画館のシルエットで「ドラえもんだ!」と思いました。「大山のぶ代だ!」ではなくて。それくらいに自分の中ではイコールで、だからドラえもんが死んでしまったような気持ちです。しかし心の中では生きているのでイコールのぶ代も死んでいません。二度死ぬということがあるのならこれは一度目で、二度目はないかもしれません。
2024年10月02日
おかえりなさい
10月2日がこんなに暑いと思い出が通り過ぎていきます。19年という半端な年でも。忘れたわけではないといってもあまりにも遠い昔の日。それはハロプロに憧れた少女がエッグに入って娘。になってリーダーとして卒業してしばしの休息から帰ってこようとしているぐらいの時間。つまりは素敵な女性になりました。夏と秋の狭間が思い出と現実の狭間のようで、どっちへ進めばいいのかわからなくなりそうです。
2023年12月25日
13光年彼方より
手紙を読み終えてから「I WISH」を歌い出す前、歩みを進めてゆっくりと光の海を見渡す目には何が映っていたのだろうか。それは映像に残らない色。恋ぴんくは恋ぴんくでもこの瞬間しか見えない光。言葉になるほどはっきりしなくて思い出にしかならない思い。そんな景色を目に焼き付けた。そしてこの場所でしか思い出せないことがある。空間移動が失われたタイムマシンのように、ぴったり同じこの場所でしか。あるいは横浜アリーナというタイムカプセルこの場所でしか。
ひとりぼっちで少し退屈な夜…そんな夜がたしかにあった。13年前、この場所で。失意の中でエッグをやめる決意をしつつ天空席にいた少女。大人びてはいたけれど、今思えばまだ少女。見つめていたのはあこがれの人、亀井えりりん。そのときの自分自身を、いわばもうひとりのみずきを光の中に探していたのかもしれない。コロナ禍でやっと人間になったのだから、誰もが一度はするような自分を探すそんな時間もなかったのだろう。それとも自分探しもできないようではモーニング娘。になんてなれないだろうか。誰かと話するの怖い日もある…そんな日が本当にあって、でも勇気を持って話すわ…そんな決意も本当にあった。誰よりも私が私を知ってるから…自分を信じることもまた。
「僕がもう一人いたら」ここでもう一人の自分が出てくるのは、卒業を決心することで見える景色が変わってくるから。いつも見ているはずの空が、意識もしない日常が、そして自分を取り巻く世界が、決心ひとつで変わることがある。「ほらいつもと同じ道だってなんか見つけよう」というのも、同じ道が同じに見えないときがあるから。今まで見ていた自分ではない、まるでもう一人の自分がいるように。
オーディションに受かろうが受かるまいが、誰がなんと言おうとあのときのみずきちゃんは輝いていて、彼女自身が気付いていなかったとしても実際に光を浴びた者がここにいる。それでもデビューできないのならそれはもはや選ぶ方の問題で、エッグはそんな子ばかりだった。その光がいま届く。13年前だからその距離は13光年。あの日の自分にかけてあげたい言葉はなんですか?その言葉を伝えるために天空席へ呼びかける。モーニング娘。を卒業しようとする自分から、モーニング娘。になることをまだ知らない自分へと。譜久村降りといで。
家族よりも一緒にいたモーニング娘。だから、できた時間は自分と家族に。失われてはいないし取り戻しもしない、そんな時間を家族と一緒に。寝ながらなんでもできるので年末年始の大計画もきっと寝ながらできるはず。落選を知って推しを見送って髪を切って1月2日を迎えるまでを今はじめてゆっくりと振り返れる。全ていつか納得できるさ…そのいつかが今になる。あの日の自分へ伝えたいことはもうすでに歌にあった。歌うことで伝わっていた。人生ってすばらしいって。
2023年12月11日
君を守るもの
卒業の日にはまだ青みを帯びていた銀杏の葉もすっかり金色に輝くようになりました。わずか一週間でも季節が確実に移ろいゆくのを感じています。たとえこの時期だけであっても毎年やってくるのならそれもまた Neverending Shine ですね。聖上におかれましてはいかがお過ごしのことかと存じます。この一週間、寝続けていたとしても驚きません。起きながらにして恋ぴんくの海しか見えないこともあるのですから。そんな思いで見た夢を寝言と思って聞いてください。
琉球王国最高の聖地と名高い斎場御嶽を訪れたとき、艦砲穴と呼ばれる砲弾の跡がありました。聖域中の聖域に砲弾が打ち込まれることの意味は説明するまでもありません。一言でいえば冒涜です。水がたまって小さな池のようになっているその穴に近づくと、黒い蝶が一羽、自分を追い抜くように飛んで行きました。蝶が魂の象徴であるとは沖縄のみならず広く世界に例を見るところですが、単に民俗的な知識ではなく経験として、魂としか思えませんでした。蝶になって聖域を守っているのだと。琉球世界には用途不明の蝶型骨器なるものもあり、やはり霊魂に関わるものと思えてなりません。
横アリという聖域にもシルバーの蝶が舞っていました。ある者は腰に、またある者は胸元に、譜久村聖は大きな背中に。これもなにかの象徴ならば、こんな夢想も許されましょう。その顔に羽を広げた蝶を見て種名の由来となった犬がいます。お別れに後悔の念を抱えながらも夢を全うしようとする人、そのすぐそばに。必要だったのは時間。犬種はパピヨン、名はクララ。写真が苦手だから背中に隠れていたんだね。
信じるか信じないかは自分しだい。どちらかといえば人を信じない方ですが、座右の銘はこれにします。「人を信じる人を信じる」。信じるとは幸せを祈るということです。
2023年11月30日
モーニング娘。という人生
ハロプロエッグから15年、モーニング娘。として13年。在籍日数4715日、ブログ更新3827回、インスタ投稿1500件。その他ではまとめ切れないほどのいろいろ。これにエッグ時代が加わる。数字でいえばこれほどで、愛でいったら計り知れない。途切れそうな言葉と言葉の間にもいろんな愛が詰まってる、聖域はそんな場所でした。生田の日ごろは言えない愛やあかねちんの激重の愛。後輩をまなざす愛に先輩に打ち明ける愛。だーいしの背中には筋肉という名の愛。近くの幼女に爆レスしに来たえりぽんは衣装のひよこと同じ目をしたあの目だった。これも愛。そしてリーダー譜遍の愛。らいりーにえらいりーしたらぽんぽんで返されたのをまたぽんぽんで返してた。すなわちはじめに愛ありき。だから歴史は途切れない。
モーニング娘。が人生なら、ハロプロエッグはその前世。娘。の時代は再び回り、ハロプロエッグがここに完結。最後の新人公演の最初の曲が「Go Girl」。そのとき「みかん」もやっている。新人公演みがあってエッグヲタも大満足です。エッグというシステムの一つの終焉の形だと思っています。
「I WISH」は曲名が「I WISH」である限り、それは反実仮想の仮定法であって本当は叶わない願いのはずだけどそんなニュアンスは感じなかった。ただ純粋な願いがあった。だから人生ってすばらしいのが本当にすばらしかった。逆接には逆接を。そうやってこの曲に潜んでいる影を消して意味を変えた。それがハロプロを体現する譜久村聖の解釈であり強さでもある。相当強めなこの曲の意味を変えるほど、そこまで強くなったのだ。でも彼女の中では最初から逆接なんてなかったのかもしれない。この曲を知ったとき、仮定法なんて知るはずもないんだから。純粋な心は負けないよと教えてくれた、その強さは愛の強さ。みずきちゃんの「I WISH」は自らの「I」よりも愛が先に来るから。所信表明で触れたときから、ということは実際にはそれ以前からの一途な愛だから。意味を変え、未来を変える愛もある。
「みかん」が続いているようなまぶしい朝を迎えました。ふくむらみず季がはじまっています。ゆっくりマイペースで寝て起きてそして寝て、流れる雲を見て、沈む夕陽を追って、輝く星を数えて、駆け抜けた季節を思い、それを遠く見えないところで見守っている季節です。立派な人間にならなくてもいいよ。譜久村聖が譜久村聖であるだけで。後輩たちに夢を託すのが夢。その夢がやっと叶うと。これからは叶わなかった夢を追いかけて。好きなだけゆっくり眠るとか、愛の上手な受け止め方とか。仔犬ダンの聖地巡礼なら一緒に夢を叶えたい。
マイクにのらない時代(とき)の波に揺られた末の真実のメッセージ。「私は一番の幸せ者です!」「また逢う日までがんばります!」聖域にこだましたその声を、今日のあなたを忘れません。焼き付けるのは一瞬で胸にあるのは永遠です。恋ぴんくの光の束にぽつりぽつりとグリーンライト。10代目がすでに芽吹いているようで。後輩はもう育ってる。生田とは同じ地球で瞬く友達のままこれからも。
何か一言いえるなら、わかっていても言いたくて、言わなきゃいけないことがある。あなたがくれた感謝の言葉に思いを込めて返したい。愛には愛でしょ。あの日あの時あの場所で泣いていた子が夢を叶えた。その濃さは人の一生、その姿を見せてくれた。つらい顔なんてひとつも見せずに。いっぱいあったに決まってるのに。応援できなかったごめんの気持ちを感謝の思いで包みます。モーニング娘。の譜久村聖、しっかりと見届けたよ。みずきちゃんありがとう!
2023年11月28日
大横浜聖域記
芝公園STEP!のラス曲にして新人公演自体のラス曲でもある。ラストのラストで「Bye Bye またね」あるよこれ!みずきちゃんならリハしなくてもだいじょうぶ!すぐに歌える。いつでも歌える。この曲を(スイッチON!)こんなときに(自分の卒コン)こんなに思い入れをもって(ベリヲタ)歌えるのはみずきちゃんだけ!いま歌わずにいつ歌うのか!バズーカをぶっぱなしていたというのもかつてハマスタでベリーズがしていたことを思えば巧妙な伏線と言えるでしょう。なにより「また会いたい 約束してね」という舞波パートに答えるように年をまたいだにょきにょきの「ありがとう!おともだち。」サビ前で「約束どおり迎えに行くわ 自転車乗って」と歌う7人は時を超えた交歓に他ならず、時代としては区切られても気持ちとしてはつながっている、「またね」は本当にやってくるんだという未来への希望にあふれて余りある。いやしかし落ち着いて冷静に考えてみると「HEY!未来」がきたということは「がんばっちゃえ!」になるのかな?「蝉」でもいいけど。大きなティアラはデレシンか。まさか「VERY BEAUTY」を!?正月様を迎えるように明日様を迎えます。聖域に足を踏み入れます。安心感のあさってがこれほど遠いこともない。考えても始まらないし終わらない。それでも明日はやってくるのでしば漬けを食べて寝るしかない。こんな夜でもみずきちゃんが少しは眠れますように。
2023年11月27日
横浜で会いましょう
時に西暦2002年、17歳になった日に卒業していく人がいた。自ら作った「時代」を残して。終演後、百戦錬磨のヲタどもが徒党を組んで練り歩く。駅まで続くその列はまさしく魑魅魍魎の百鬼夜行。やがてアンオフィのラミネートポスター(昔あったんです!)を頭上に掲げる者が現れ、それに群がる者が集まる。自然とその手はポスターに伸び、自然に奪い合いへと転じる。あわれポスターはボロボロに。しかしそれとて祭りの供犠と、裸でこそないもののそれはやり場のない感情の発露で、蘇民袋を奪い合う蘇民祭さながらの様相だった。祭りの始源を見る思いがした。観客がいないのが祭りの本義であるように、いたとしても吸い込まれるように祭りに加わってしまうので観客にはなりきれない。自らが参じていながら、神以外それを見ることはできない。タンポポ祭りもそうだった。コンサートというより祭り。そんな歴史に事欠かない場所。
「SPECIAL」はみずきちゃんが憧れたハロプロで、「聖域」は譜久村聖がリーダーとして培ってきた娘。。2daysだと思ってるでしょ?いえいえ3日目もあるんです。「聖域」の翌日から始まるそれは未来っていいます。まだ未来としか名前のない未来です。そこまで横浜アリーナです。だから横浜で会いましょう。

