2007年01月31日

2007/1/28 【Hello! Project 2007 WINTER 集結!10th Anniversary(夜)】 横浜アリーナ


ははーん、わかったぞ。「今日は特別にこの人が!」とか言って日本青年館にめぐが、SSAに舞波が出てくる仕掛けだな。「さくら満開」でさくらが「友情〜」でおとめが復活したように、「桜満開」ライブの「友情純情〜」の時に復帰するんだな。なるほどねぇ…。絶対にそんなことにはなりませんように。あの場にいる紺野は無様だと思った。


「もしもし」が「申す申す」の変化であるように、「ははーん」は「判ずる」からきているのではないかと思ったり。「私が判断するに」という意味。口語ではあまり使わない言葉ですね。

単純に考えたらエルダーがいる分ワンダの出番は減るわけで。もうなんか「礼儀として盛り上がっておこう」という気にすらならなかった。「なんだかんだ言ってハロプロ大好き」であった頃は過ぎて、僕はもうハロヲタではなくなってしまったようだ。

そんな中でワンダでは歌わなかったポッシボーに1曲与えられているのは事務所の推しってことなんだろうな。04年の夏ハロでメインである娘。の直前で他を差し置いて3曲歌ったベリーズを思い出す。娘。から離れてキッズに行けなかった人がエッグに行ってるんだろうか。だとしたらエッグに行けない僕はさらにその次の波に飲みこまれることになる。そういう隔世遺伝みたいな法則があったら面白いなと。

休憩タイムにするにも休憩するほど疲れてないし。ゆきどんの歌詞を聴いて爆笑したら後ろの人に怒られたって話があったけど、歌詞を聴いてるだけ偉いと思う。

中澤が歌い終わった後に妙に感極まって見えたのは1/28という日を思ってのことだったのだろうか。もちろんこの日は「大もて」のジャケ写で示されたように栞菜が℃-uteに合流した記念すべき日であります。

栞菜といえば横アリのボッタクリ写真が例によって笑っていないんだけど、「笑えない」のではなく「すましてる」ふうで一年たってようやく表情に余裕が出てきたように見える。

周りはGAMで大騒ぎ。エッグでもいないかと思って探すけど誰もいないよ。なんだこの疎外感は。ただし疎外「される」感覚じゃなくて、疎外「する」感覚だけどって言うのは強がりかな。もりさきちゃんの黒プリンとか見ようと思ってたのに結局どれがもりさきちゃんだかわからず。

いきなり「歩いてる」なのはきっと曲順を真逆にしても成立するように組まれているからに違いない。裏のラスト曲なんだ。でもそんな裏セットリストを確認する気にもならない。

さくら組が復活してる。「あのちっちゃいのは…」と思ったらやっぱり矢口だった。10th Anniversaryに伴う恩赦か。償いの期間が過ぎれば許しを受けるのは当然のことであるとは思う。一般的には。是非をめぐる判断は停止してただ懐かしかった。

べりっこの曲に割り込んでくるよりは全然こっちの方がいい。がんばれ矢口。もう割り込んでくるなよ。もちろんこれは僕の中に少しは残っている愛情表現の裏返しですよ。逆に藤本に「ソロが聴きたいです」と言うのは「早く出ていけ」という憎悪表現の裏返しです。

「『Bye Bye』ではなく『またね』…」最後の最後でみうなの爆弾っぷりにしてやられた。「悲しい別れではなく、笑顔でさよならしたいと思います」そう言いたかったんだよね。

石川の「フットサルのハワイ旅行から仲良くなった」よりは藤本の「家に泊まりに来たことがある」の方が圧倒的に説得力がある。「血は水よりも濃い」ってことか。自身の卒コンといい本当に石川のしゃべることはつまんないよ…。それが面白くなっている時期もあったのに。

でさぁ、「白いTOKYO」はやんないんだね…。

めぐがさぁ、いつかのハロコンで「村田めぐみ」と名前が似てるから共演してみたいとか言ってたじゃん。だからめぐパートは村田さんでもいいと思ってたんだけど。別に「めぐぅぅぅっ!」って叫びたいわけじゃないんですよ。やんないのね、そうですか…。


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2007年01月29日

落ちよ生きよ


セットリストはおろかグッズ情報すらも(どうせ買わないし)一切シャットアウトして臨もうと思ってたのに朝刊開いたら三面記事とか…。

フィギュアスケーターがジャンプを「跳ぶ」ではなく「降りる」と表現するように、辻も危険を察知して「降りた」のである。たまたま右足関節三角靭帯損傷で全治3週間という結果を伴っただけで。ところが今回は完全に「落ちて」しかも頭を打っている。

件の手すりは85センチだということだけど、びわ湖ホールの最上階最前も怖かった。スペースが狭い上に手すりも腰より低くてあそこでジャンプしたりクルッと一回転はさすがにためらったな。

1階席だとよく着地に失敗して席と席の間に埋もれてる人はいる。床に傾斜があると転がってる人もいる。けどスタンド最前はシャレになんないよなぁ。むしろよく今まで誰も落ちなかったと思う。

酸欠で意識を失う寸前までは何度か経験があるけど「ここで倒れたら新聞載っちゃう」と思って歯止めがかかった。実際にこういう記事を見るとやっぱり倒れなくてよかったと思う。特にスポーツ紙の一部は悪意に満ちているから。

SSAの400レベルとかもかなりのものだけど、それ以前にそこは開放されなそうな気がする。
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「やってたじゃん銭金でw」


はっきりそう言ってるよね?これはアレだよね、ジャンプちひろさんのことだよね(芸名だから書いちゃってもいいでしょ?)。O.A.が8/2で特典映像の収録が8/13だからまだ記憶に新しいってことだよね。それとも桃子が電話してる横にメンバーもいたのかもしれない。

「いたじゃん」って同意を求めてるってことはキャプも当然例の銭金を知っているということだよね。なんかノっちゃってるし。

僕はつい最近初めて見たわけだけど、DVDの発売当初には話題にならなかったのかなぁ?とりあえずご本人のブログを見てみたけど記事にもコメント欄にもそれらしいことは何もなかった。「雅&桃子のファンです!」の時はもっと話題になった記憶があるだけに。

千奈美は裏表の少ない人間だと思うから、カメラのない所でもあれ以上の発言はしてないと思う。好意的にみれば思ったことを口にする悪気のない素直さであり、悪意を持ってみれば婉曲を知らない剥き出しの残酷さ。

そして深読みすればちひろさんが桃ヲタだったことに軽く嫉妬してるんだと思う。
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2007年01月27日

Berryz工房にはMが多い


夏夏オープニングVTRで後ろの黒板に書かれた文字と風船に、現場では全く気が付かなかった。一体何を見てたんだ自分は?

Berryz工房
   7
SMCMMYR

「7」とそれぞれのイニシャル。「7人のBerryz工房」ということ。かつて8人の時にはこれほどまでに「8人」であることを強調しなかったように思う。「7人」を強調すればするほどそれは「8人でないこと」を強調しているように思えてしまう。わずかに虹のモチーフが見られることも「7」に由来するのだろうか。

風船(アドバルーン)は天に昇っていった舞波だ。とか言おうと思えば言えてしまうこの未練がましさ。

思えばベリフェス夏の直筆コメントを書いた風船は新曲のアドバルーンにかけたものだったのかと今ごろ気付くこの鈍さ。
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2007年01月26日

「蝉」の夕暮れ時に思う


ベリヲタの世間はゲキハロだというのにやっと今さら夏夏DVD。

全てを見通そうと思っていたのに見落としていることと記憶違いがあまりにも多くて、記憶と記録の狭間で一体何が真実なのかわからなくなってくる。「事実だと信じたことが真実」だとすれば事実≠ヘ一つしかないけど真実≠ヘ人の数だけある。

「桃は好きですか?菅谷梨沙子さん」と言われて全く鮮やかにスルーする梨沙子とかDVDで初めて気付いた。オープニングVTRが「ハピネス」なのも「本で見たの」という歌詞が三原則の本に当てはめられるからなのかもしれない。

「夕暮れ時に散歩する」の通りに赤い照明で染まった「蝉」。何年かに一度は本当にこんなふうな夕焼けがあって魅入られる。建物も人間もその影すらも赤く染められるようなその光景は何かの凶兆かとも思うほどに毒々しくて、実際遠い外国の火山が爆発した影響だったりするんだけど、一色に染められた空間は世界を違えてみせる。

夕焼けを見る時はいつも最後まで見ない。日が落ちた空を見ると悲しくなってしまうから、茜色を少しだけ残して背を向ける。「蝉」が終わった瞬間にふっと落ちる照明にそんな暗くなる寂しさを覚えた。

日が落ちてから完全に暗くなるまでの薄闇で、自分の手のひらを見つめてもそれが自分のものではないような感覚に襲われる。夕方から夜へと移る途中のどちらでもない時間。所在のない空間。大人でも子どもでもないマージナルな位相からやがて大人になる寂しさと日が沈む寂しさと。

それでも「蝉」の夕焼けは僕が確かに「そこ」にいたことを思い出させてくれる。例え人工的に作られた照明でも、空が夕焼け色に染まっている時はホールの中にいる不健康な僕にとってのそれが美しい真実。

でもなぜ夕焼けが美しいのかといえば「これから暗くなるから」だと思う。だから朝焼けはあまり美しいとは思わない。「終わるから美しい」。またなんか暗い話に…。「迫り来るタイムリミット」と歌えば少しは明るくなるかな。
posted by sleeping mizuki at 23:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 【レビュー】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月25日

℃-uteにおける晴れ女・雨女の再検討


「ぐだぐだクリスマス」の晴れ女・雨女に関するトークを元に、前回 (「『Cutie Circuit 2006』から晴れ女・雨女の傾向を探る」) 想定した数値を修正。

岡井「千聖晴れ女!ちょ〜お晴れ女!」
矢島「(雨女の)あたしに負けたんだよその日たぶん千聖が」
萩原「たぶん舞もだよ」
矢島「え、舞はどっちなの?」
萩原「晴れ」
矢島「…晴れなんだ」
有原「栞菜曇り女」

千聖は「ちょ〜お晴れ女」だと強烈に自己主張。雨女とした前回のデータとは異なるものの、アピールを尊重し強い晴れ女として+10に修正。その千聖を負かした舞美はみんなから雨女だと言われているので相当なものらしい。よって−12でごく強い雨女。

まいまいは「たぶん…」と控え目なので+3で軽い晴れ女に。曇り女だという栞菜は確かに欠席した8/25須磨では37℃を記録する快晴だったのに、翌日駆けつけた名古屋は曇り。雨女の一歩手前ということで−5ということにしよう。

ここから「全員そろうと曇りやすい」(=トータルの数値が若干マイナスになる)天気になるように数値をそろえてみると…

岡井 +10
萩原 +3
矢島 −12
有原 −5
梅田 −3

中島 ±0

村上 +5(鈴木と合計)
鈴木

結局雨女だと思っていた萩原・岡井が晴れ女で、晴れ女だと思っていた矢島が自他ともに認めるかなり強い雨女だったもよう。全員そろうと−2で曇り気味となる。

さらにこの数値を昨年夏からロケを行っていたと思われる「℃-ute has come」で検証。O.A.を見たことがないので天候は全てキャプ画から判断してます。

℃-ute has come

第1・2回 村上・梅田 晴れ

−3の梅田と組んで晴れということで、未知数だった村上は+8としておく。そうすると村上と合計で+5になる鈴木は‐3と想定できる。晴れちゃうと頭の皿が乾くから?

第3・4回 矢島・有原 曇り?

画像からでは判断しづらいが空が白っぽいので曇りとする。矢島(−12)と有原(−5)で−17となりかなりの悪天候になるはずだから曇りでもまだいい方?

第5・6回 岡井・中島 晴れ

岡井(+10)と中島(±0)で+10となり、そのまま晴れ。

最終的にこのような数値を想定することが可能。

岡井 +10
村上 +8
萩原 +3
中島 ±0
鈴木 −3
梅田 −3
有原 −5
矢島 −12

ここからめぐが抜けたことで7人トータルでの数字が−10となって、「全員そろうと雨」ということになるんだけど果たして実証される日は来るのか?

個人的には決して意図的にそうしたわけではないんだけど、何物にも影響を及ぼさない±0のナッキーがツボ。

もっとも体調などによって日々数字は変わることもあると思う。また組み合わせによっては加算のはずが乗算になってマイナスとマイナスでプラスになったりとかするかもしれない。そんなことを言ったらこんな数字を想定した意味が全くないんだけど。
posted by sleeping mizuki at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 【研究ノート】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Cutie circuitの8人

eighth....bmp


ワンダ乙女GocoroのDVDマガジン。「私のうれしかったコト」としてなっきぃの挙げた「Cutie circuit」に描かれているのは8つの人影。

背の順で左からだんだんと小さくなっていって、顔が黒くなっている一番小さい右端はサングラスをかけたまいまいに違いない。そう、8つの人影はめぐのいた8人の℃-ute。当時の身長に照らし合わせれば左から4番目の人影がめぐ。

ここで問題になるのは果たしてこの映像はいつ収録されたのかということ。さらに言えばめぐがいなくなる前なのか後なのかということ。

めぐがいなくなる前ならばCutie circuitのイラストに8人の絵を描くことはごく当然で何も気にとめるべきものではないけれど、いなくなった後に描かれたのならばそれはやはりなっきぃが意識してめぐを描いたということだ。

めぐは10/31付けで脱退、翌11/1に事後報告しているからそれを境にしての前後いずれかということになる。DVD一本ができ上がるまでにどれくらいの時間がかかっているのかはわからないけど、とりあえず参考としては2005年9月11日が初日の「スイッチON」グッズDVDの収録が7月21日より少し前に行なわれている( SSMブログ )。これにより初日のおよそ二ヶ月前に収録と考えると、ワンダのDVDは11/2前後の収録となり、めぐはいたのかいないのか非常に微妙。

愛理のリアルスポフェスとか修学旅行の日程でも知っていれば一つの指標になるんだけど、それはわからないので無理。ただ例の写真が出回った直後からおそらくめぐは実質的に活動を休止していたと思うので、そうなるとめぐがいない収録であった可能性が高い。

仮にめぐがいた時に一度収録を行っていたのならば、撮り直しをしなければならないわけで、ではトークの組み合せからその可能性を探ることはできるのだろうか?

まずはBerryz工房から見てみると、

清水
嗣永
徳永

須藤
夏焼

熊井
菅谷

という組み合わせになっている。見ての通りこれはメンバーを年長順に並べて上から機械的に(?)三つの組み合わせを作ったもの。同様に年長順の並べ方は℃-uteにも見られるが、追加で加入した栞菜は一番最後に表記される。

梅田
矢島
中島
鈴木
岡井
萩原
有原

これと今回の組分けを照らし合わせてみると、鈴木・岡井・萩原の三人は固まっているものの、それ以外は特に上からもしくは下から機械的に決めたようには見えない(「梅田・中島」「矢島・有原」)。逆にそれが撮り直しをしたことによる組み替えの痕跡かとも思ったりするけどどうにも確証がなく、これ以上何かを見出すことはできなそうだ。

ただ一つ、根拠とはなりえないかもしれないけど、背景に注目してみたい。これはおそらく大きな摸造紙のようなもの(紙じゃないとは思う…)を後ろに立てかけて背景として撮影しているんだろうけど、よく見れば画面の左上に縦に4つ並んだ黒っぽいシミ状の模様があり、これが℃-ute三組ともに同じような位置に見られることから、「撮り直しは行われていない」とすることが言えるだろうか。後日撮り直しされていれば、全く同じ模様の背景になることはないように思うから。

であるならばめぐ脱退以後の収録である可能性が高まり、なっきぃはいないめぐを思って左から4番目の人影を描いたことになる。

ついでに言うとベリーズ三組と娘。四組についても同様の模様がやはり同じような位置に見られるから、ベリと℃-uteと娘。は同じ日に収録をして、なおかつ組み合わせを変えて後日撮り直しをすることはなかったんだと思う。同じ模様が見られない美勇伝と辻は別の日もしくは別の場所での収録ということになるのか?

…結局答えは出ないんだけど、重要なのはなっきぃが「8人」を描いていたということ。Cutie circuitは8人で回ったんだから。特にめぐは一度も休まずに。
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2007年01月24日

こんなにも根明な女の子たち


くまぁずと千夏とキャプに囲まれる石川。バニー姿を見たなっきぃが鬱になっていないか心配してたけど、こやつらはそんなことなど笑い飛ばすガチガチの体育会系だってことを忘れてた。

それよりも友理奈の前髪がセット前って感じでナチュラル。あれで不機嫌そうな顔をしてるのが寝起きの友理奈ってことかぁ…。まあさの二の腕もたくましくて素敵。   

岡田のセクシーポーズにどうしたらいいのかわからなそうに立ち尽くす雅ちゃんも、まぁそんなに普段は接点ないしっていう雰囲気を無理に隠さず、そういう雰囲気を見せまいと(?)その場から離れようとしたキャプと対照的。
posted by sleeping mizuki at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 【レビュー】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小指立ちぬ

「桃子ちゃんはいつもマイクを持つ時に小指が上がります」という矢口の言葉に「重力に耐えられない…」と言っている桃子は、本当は「重力に逆らってしまう」と言いたかったんだと思う。重力に耐えられないんだったら小指は上がらないはずだから。

桃子が言葉を発した直後、しばしば周囲が一瞬の静寂に襲われるのと同じように、つまりはあの小指の周りはきっと無重力になっているということだ。自然な会話の流れを寸断する桃子は重力という自然の摂理をも無視する。見ているこっちは宇宙のどこか居るような気分。                    

よく立つ(立てる?)のは圧倒的にマイクを持つ左手の小指だと思う。自分で書いたボードを指差す時も左手。しかも最初に人差し指で差しておきながら、その後小指を差し出すかに見せかけて再び人差し指で差すというチラリズムとか、チラリのはずなのに見え見えだよ桃子。でもわかってる。それが狙いでしょ?

それでも夏夏のなん恋ではマイクを持つ右手の小指が立ってるし、乙女GOCOROのDVDで千奈美を指差す時にも右手の小指。単に見る機会が少ないだけで結局どっちの小指も立つのか。

矢口としゃべってる時の桃子の口が半開きのままほとんど動いてなくて、矢口を人形にして腹話術をやったらけっこういけるんじゃないかと。

嗣永「オイヤグチ!ニギヤカナフユトカウタッテンジャネーヨ!」
矢口「…」

本来マイクを持つ手は顔を隠して邪魔なはずなのに、逆にそこに視線を集中させるとはなんという策略。というか考えれば考えるほど桃子の術中にはまっているとしか思えなくなってきた。

posted by sleeping mizuki at 13:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月22日

B&℃比較序論


もはや比較できる相手はハロプロの中にも外にもお互いしかいなくなってしまったような気がする。Berryz工房は℃-uteとのみ比較され、℃-uteはBerryz工房とのみ比較されうる。それはイコール自分の視野が狭いということでもあるんだけど。

全く同じ構成でそれぞれがイベントを行うとその違いが自ずと明確に出てくるんじゃないか。終わった後にそう気付いてそれなりに思い当たる節はあるけどやっぱり言葉にするのは難しい。

これまでに思い描いていたのはBerryz工房は「混沌」、℃-uteは「秩序」という言葉によって表象される全く正反対の性格。

例えるならば「性悪説」と「性善説」だろうか。

Berryz工房は「裏」があると思わせる。「Berryz工房はみんな仲良しです!」なんて言われると「絶対そんなわけないだろ」と勘繰ってしまう、というか勘繰ってしまえる、深読みできる奥深さを持つ。

対する℃-uteはどこまでいっても本当に仲が良いと思わせる。それはそれで一つの理想の世界。

これをベリズムとキューティズムと名付けよう。意味は考えずに。


…ここまでは8月に全く同じ構成で行われたフットサルイベントを終えた後の文章。当然この時点ではめぐがあんなことしてこんなことになるとか全く知らず…。

比較というと違うところばかり探してしまうけど、比較することによって似ているところがわかる場合も当然ある。「あいたいけど…」と「タイムカプセル」のような曲世界の一致とか、まるで見えない力がはたらいているかのように「8」から「7」へとたどる数奇な運命とか。

よくよく考えればベリも℃-uteももともと一つだった。別グループとして活動する以上差異化を図るのは当然だけどそこだけに気を取られることなく共通する部分にも注目してみよう。

Berryz工房と℃-uteがそれぞれ独立することによってキッズは消滅したかに見えるけど、別れてもなお互いに残るものがキッズの真髄だとも考えられる。

逆に松浦の劣化コピーとならぬよう当初から差別化を求められた藤本は結局GAMとして松浦と同体化している。これをどう見たらよいのか。この二人とキッズを比較する気は毛頭ないけど。
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2007年01月21日

石村舞波と福田花音 〜似てるけどそれは違う…〜


「バラライカ」の小春はすごい。はずなのに花音にクギ付け。今さらだけど確かに初期舞波に似てる。特に目と眉を含めた額の周辺。イチゴとかバトンとか読書とか、キーワードだけ見たらこれはもう舞波だ。「好きなもの」の「うさぎ」が「うなぎ」に見えてしまう。

ただ似ている部分が多ければ多いほど違う部分もはっきりと見えてしまう。舞波はこんなに才女じゃなかった。舞波が日記を書いたら「今日はネコと遊びました。楽しかったです」で終わりそうだ。自分のこと「みゃいは」とか言わないしね。そもそも毎日更新なんてしそうにない。

表面的に似ているというだけではやはり推せないけど、それでも花音は花音ですごいと思う。とにかくちっちゃい。同年齢時の舞波よりちっちゃいと思う。まいまいよりちっちゃそうだ。その小さい体でさらに腰を低くしてコサックとか、小春を差し置いて見とれたよ。しかもちゃんとできてるし、ちゃんとできることがつまらなくなっていないし。

「今日を楽しむための100の言葉」なんか見なくても小6というのは毎日が楽しい時期ではないのか?そうでもないのか。
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2007年01月19日

逆接のケロ


・情報化とか言うケロ全然あなたを知らない…
「わっきゃない(Z)」


・来年なんて先の事ちょっとわかんないケロ
・どっちか一個選べないケロ あなたがとても大切
「即抱きしめて」


・青春なんだこんな一日も 正直言って平凡だケロ
・「青春」なんて言葉使うケロ
・あこがれならばたくさんあるケロ
・会いたいときにすぐ会いたいケロ
・大好きだケロ本気の恋だか測定しようもないし
「タイムカプセル」


・だケロあすも自由なんだよ
「As ONE」



℃-uteの全曲中から「けど」を含む歌詞をピックアップして「ケロ」に変換(1例あった「けれど」は除外)。こうしてみると「タイムカプセル」に異常にケロ、いや「けど」が多いのがわかる。そしてもう一曲「けど」が印象的なのが先に比較したBerryzの「あいたいけど…」。

「会いたいけれど会わない青春」という共通テーマのもとに、一方はタイトルに象徴的に「けど…」が埋め込まれ、他方は他になく曲中で「けど」を繰り返す、「逆接に彩られた青春」。「大好きだけど卒業しちゃった」とか「大好きだけど脱退しちゃった」とか。

ついでに言うと「タイムカプセル」の「お化粧してただ映画観た…」の「…」、これ以上に「…」を上手く歌っている(雰囲気として表現している)曲を他に知らない。もちろん狭い視野の中でのことですが。

ちなみにこの記事の真の目的は上記の歌詞を全てなっきぃに「ケロ」で歌ってもらうことにあります。
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2007年01月18日

破いたノートを埋めてみた


もしコンサートが一編の物語だったら、こういうふうに読めるのかもしれない。

「最近破いたノートにお手紙をくれたね
たった一言だけの手紙『今日も好きだよ』」
「白いTOKYO」


「ノート破いて書いたメモ 校庭の端っこに埋めてみたタイムカプセルね」
「タイムカプセル」


「白いTOKYO」で破いたノートに書いた手紙は「タイムカプセル」で校庭の端っこに埋められた。それは「たった一言だけの手紙」。「今日も好きだよ」というめぐからの手紙。

タイムカプセルに埋めるということは、胸の奥にしまうということ。めぐとの思い出をずっとそのままとっておくということ。絶対に忘れたり色褪せたりはしないということ。そう思えば「最近身長伸びたね」は遠くに行っちゃっためぐが栞菜に話しかけてるようにしか聞こえない。

Q:キューティークイーンに入っている曲で一番お気に入りの曲は?

村上「“タイムカプセル”何回も聞きたくなっちゃう曲です♪」

「ポケモー ℃-uteスペシャルQ&A」(10/13)


同じ質問に栞菜は「As ONE」と答えているけど、文化放送前でのイベント(11/4)では「タイムカプセル」と言っていた。もっとも当日参加した5人が図ったようにそれぞれ別々の5曲あるアルバム曲を挙げていたのでいわゆる宣伝≠セったのかもしれないけど、「最後に付け足された1曲」という曲の成り立ちはどうしても栞菜の境遇と重なってみえる。

めぐの手紙を栞菜が埋めたという物語。

タイムカプセルとは言いながら僕は早々に掘り出して何度も読み返している。いや違った…埋めてすらいなかったんだっけ。

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2007年01月16日

「I WISH」


6年以上たってまさかこれほどこの歌が重い意味を持って眼前に迫ってくるとは思っていなかった。

最後の部分で唐突に登場する「でも笑顔は大切にしたい」の「でも」という逆接。逆接だから前後の意味は相反してるはずなのに

「人生ってすばらしい」→「でも」→「笑顔は大切にしたい」

では当然意味はつながらない。

「I wish」が現実には起こり得ない仮定法であることは既に言われていることで( 「Anon’s Belief」 )、本来の文法に反する「でも」とともに考慮すれば、やはりこれは現実を全肯定する歌ではなく否定的な現実を甘んじて受け入れる歌だ。

つまり「人生って素晴らしい」と歌うことは、人生が素晴らしくないことの裏返し。そう解釈すれば「でも」という逆接も意味の通りに理解できる。

「人生ってすばらしくない」→「でも」→「笑顔は大切にしたい」という。

もともとはストレートなメッセージソングである「ハピサマ」をあえて逆説的な場(「父さん母さん」がいない子と一緒に歌う)に放り込むことでそこから偽ではない善が生まれてきたのだけど、「I WISH」はそもそも曲自体に逆説的な意図が込められている。

「晴れの日があるからそのうち雨も降る」
 (「I WISH」)

「どんな夜も明日が来るから」 (「夏 remember you」)

簡単に言えば「いいことばかりじゃない」と「悪いことばかりじゃない」という違い。どちらが真実なのかといえばどちらも真実だと思う。

他にも同じような意味の歌詞があるかもしれないし、この歌詞だけを捉えて娘。とベリを対照的に並べようというわけでもない。両者の比較という以前に「I WISH」が特異なんだ。

もう一つ現実を否定的に捉えるフレーズ「全ていつか納得できるさ」が示すものは、今は納得できないということ。

「いつもと同じ道だってなんか見つけよう」
「誰かと笑ったり泣いたりしてみたり」

「いつか」「なんか」「誰か」。一見前向きな詞に見えるけど、前を向いて見つめた未来はあいまいで頼りない。そういう不確実な未来に立ち向かうためにこの曲を歌う。

「いつかっていつだよ?」「なんかってなんだよ?」「誰かってだれだよ?」それが全部わかった時に未来は現在を通りすぎて過去になっているはず。

未来が現在になりやがて過去になることを「生きる」と言う。大げさに言えば生きるために歌うのだ。「アイドルはなぜ歌を歌うのか?」への自答として。

「今、自分の人生はすばらしいのか?」と聞かれたら「すばらしくないからすばらしい」と答えたい。そう答えてもいいと「I WISH」は言っているように思う。

ハロモニ。で少しだけ映った光井は「I WISH」のダンスレッスンをしていたように見えた。横アリでやりそうな気がするから今度はセットリストを見ないで行こう。

「人生ってすばらしくない」という現実の闇を葬り去るべく歌ったメンバーが、時を経て闇を背負ってしまった時に、光井が歌うことによってまたその闇を葬り去ろうとするのなら、それはすばらしい歴史の繰り返しだ。
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2007年01月15日

「人生って素晴らしい」と歌うために


ずっと昔の24時間テレビで娘。が養護施設の子どもたちと一緒に歌を歌うという企画があって、番組の趣旨にぴったり沿ったその企画に選ばれた曲が「ハピサマ」だった。なんかメンバーで会議をして最後は当時リーダーの飯田の一声で決まったように思う。

「父さん母さんありがとう」で始まる歌詞は明らかにふさわしくない。両親に対する子どもたちの気持ちはおそらく「ありがとう」だけではないだろうし、そういう気持ちになれない子もいて当然だと思う。

それでもそこで「ありがとう」と言う。あえてそう言うことで「父さん母さん」の存在に感謝する気持ちが例えなくても湧いてくる。ちょっとだけ思っていたらそれははっきりとした気持ちになる。

その逆説的な選曲に僕は偽善を越えたものを見た。これがモーニング娘。の力かと、歌の力かと思い知った。

それを再現しようとするならばいま僕はこの状況で「人生って素晴らしい」と歌えるだろうか…?いや、とても無理だ。だけどそう歌うことに価値を見出すことはできる。歌えるようになる日が来ればそれは素晴らしいことだと思う。いつか来るその日を待とう。

人生を素晴らしくするためにではなく、素晴らしくない人生を受け入れるために。

大阪公演に出演した吉澤のニュースを見ていると、人生って素晴らしくないと思うと同時にだからこそ素晴らしいと言わなくてはならないのだと感じる。闇の中にあって光が見えるように絶望の中にこそ希望がある。

突っ走る必要はない。「歩いてこう」
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2007年01月14日

歌うから


花を手向けてきました。

舞波の時は「おめでとう」の花を贈ったけど今日はその逆。うれしくても悲しくても花は贈られる。「吉澤ひとみを守ってください」とただ祈りました。

「なぜアイドルは歌を歌うのか」

言い換えれば「なぜ僕はアイドルに歌を歌われるのか」。そして「歌われてどうなるのか」を考えれば自ずと答えが出てくるような気がする。

それは楽しいことより苦しいことの方が多いから。うれしいことよりつらいことの方が多いから。でも歌えばそれを乗り越えられるから。

アイドルの言葉なんて全て上っ面なのかもしれない。だけどあの空間で歌に乗せる気持ちだけは本物であってほしい。簡単だけどストレートな本物の気持ちを伝えることができるのは言葉よりも歌だから歌う。言葉では言いづらいことも歌でなら言える。努力とか未来とか平和とか。

全盛期の娘。の歌詞世界はそんなふうだった。そのストレート過ぎるところが一般人をも巻き込んだ理由だったと思う。

中野で受け止めたあの想いを少しは返してみようと思う。


「一人じゃないから みんながいるから」
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2007年01月13日

人生って素晴らしい?


朝まで飲んだ帰りの駅だった。

腰を落として朝刊の仕分けをしている売店のおばさん。その傍らに積まれた新聞から飛び込んできたのは折りたたまれた一面の上半分「モー娘吉沢 事故死」。

「本当にこんなことが起きるんだ…」

頭の中を鈍痛が走る。立ち尽くした。中野で見た吉澤が思い浮かぶ。

「ニ…ニッカン…」

と言いながら目はニッカンを見ていない。それが弟のことだと知っても何も変わらなかった。

なぜよっすぃ〜がこんな思いをしなくちゃならないのか。全く不公平すぎる。本当に人生って素晴らしくない。

こんな現実を前にしてなお「人生って素晴らしい」と歌う勇気を僕は全然持ち合わせてない。

posted by sleeping mizuki at 07:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月11日

2007/1/3 【Hello!Project 2007 WINTER ワンダフルハーツ 乙女Gocoro(夜)】 中野サンプラザ その他の方々編


開演前に℃-uteの応援企画で殺されたはずの長谷部茂雄さん(役の人)が「録音・録画禁止」のボードを掲げて最前にいた。

石川がいなかったので新垣メインの「香水」。オリジナルは越えられないけどちゃんと歌えていて、「声」を思い出させるボーカル。まぁそのへん以降をよく知らないだけなんだけど。

体調不良を押してあの衣装を着て踊るのはやっぱりプロなんだろう。そしてプロとしてやりきっている以上わだかまりなく声援を送るのが石川の決意に答えることになるんだと思う。でも僕は答えられなかった。

舞台裏でバニー姿の石川の後ろをうつむいて無言で通りすぎるなっきぃとかあんまり見たくないよ。

「ミラコー」間奏のセリフは小春。「青春を謳歌する諸君に告ぐ〜」と言われると「あいたいけど…」の「青春を謳歌しましょ」を思い出すので、小春からBerryz工房への呼びかけに聞こえてしまう。

さぁ〜共に楽しもうではないか → 小春はベリへ加入します

んなバカな。限られたフレーズを使い回しているだけだなんて言うと悲しくなるからさ…。いや、使い回されたフレーズであってもBerryzには他の誰でもないBerryzの世界があるはず。そう信じて今日も見えないものを見ようとする。

Ambitious!
Do it!
踊れ!
Touch My Heart!
Say yeah!

と「!」が続いたあとでのラスト「歩いてる」。アリーナだと視線が拡散するけど狭い中野ではただ一点を見つめていればいい。その分向こうから受け取るものも拡散されずにやってくるのでまともに受け取って泣かされてしまったりするけど。
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2007年01月10日

2007/1/3 【Hello!Project 2007 WINTER ワンダフルハーツ 乙女Gocoro(夜)】 中野サンプラザ Berryz工房&℃-ute編


「桜チラリ」は軽やかで穏やかでキュートだった。℃-uteがキュートだなんて何の感想にもなってないけど、℃-uteらしいというか℃-uteっぽさから外れるものではなかった。

ほとんど覚えていない歌詞の中で印象に残ったのは「見上げれば美しい」というフレーズ。見下ろせばおぞましい現実に足を取られそうになるので、僕はいつも足元を見ずに現実感なくただ見上げていたいです。

あの緩いダンスをめぐだったらどういうふうに踊るのかやっぱり気になってしまう。

「タイムカプセル」はいつもイントロで遠い目をしてしまうんだけど、ライブ向けなのか重低音が効いてて聞こえ方が違う。スピーカーが巨大な箱みたいなのじゃなくなっていて、目の前にいても終わった後耳鳴りがしなかった。

「晴れ 雨 のち スキ」のサビは雅ちゃん。「ミスムン」の出だしは愛理。共に高音部を歌いこなしさすがの歌唱力。今こそ「あぁ!」を見てみたい。

Berryz工房と℃-uteによる「大もて」と「友情純情」。夏ハロでも同じステージで「Go Girl」を歌ってたけどお互いの持ち歌を一緒に歌うとなるとまた意味が違う。まるで℃-uteの日の幻のスッペの続きを見ているような。その後の応援企画でめぐに怒られたっけなぁ…。「Go Girl」は「Go Girl」で初期のキッズイベで踊っていたので感慨深かった。合コンをやるならふさわしい曲だと思う。

舞波パート「最初からできるより楽しいことでしょ」は確かに現場では確認した。「ああ、この人が歌ってるんだ」って確かにその場面を見て思ったはずなのに、それが誰なのかライブが終わると全く覚えていなかった。僕がバカなのもあるしきっと「友情純情」ってそういう曲なんだと思う。去年の夏に何回もタオルを投げたけど、宙に舞うタオルは精も根も尽き果てたヲタの魂だと思った。成仏して天に昇るかと見せかけてみんなふらふらと堕ちてゆく。そしていつまでもその場にとどまり続ける。

「大もて」のフリをするBerryz工房とか、「友情純情」で飛び跳ねる℃-uteとか見てたはずなのに一切記憶にない。

「寒いから冬だもん!」の岡井は歌唱力を認められての抜擢だったらしいけど、藤本のマネをしてる時が一番上手いように思う。一度一曲通して歌ってみてよ。

「胸スカ」はイントロで拳を突き上げながら走って入場してくるので、その部分のダンスが省略。フルver.だっただけにダンスもフルで見たかったな。

なぜ「ファイポ」なのかはやはり原点回帰思考によるものだ、とか言っちゃっていいんだろうか。「あななし」は確実にSSAでやると思うし。「かっちょええ!」もピリリのc/wだから一応初期の曲。

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2007年01月08日

生かされて生き方を知った日


最後の「歩いてる」で涙ぐむとかなんてベタな自分。

だって「一人じゃないから みんながいるから」って歌ってて本当にみんな目の前にいるんだもの。

「I WISH」は年端もいかない女の子に人生って素晴らしいと言われちゃうことでありがちな詞が「逆に」「リアルに」意味を持ってストレートに突き刺さってくるんだけど、「歩いてる」は右肩上がりだけではないそれ相応の経験を重ねたメンバーが歌うことでそれはそれで「正の」「リアルな」重みがある。

片や説得力のなさゆえに「本当に素晴らしいのかも」と思わされてしまい、片や圧倒的な説得力で何も意味はないはずの「Na Na Na…」で泣く。

本当は人生って素晴らしくない。だからこそ「人生って素晴らしい」と歌うのはすごいことなんだと僕は思う。

出世なんかしなくていい。金なんか稼がなくてもいい(ヲタ資金は必要)。この場にいることが僕の幸せ。いないことは不幸せ。隣でサイリウム振ってるヲタもなんかいとおしい。

そんなことを強く感じた中野ワンダなのでした。…なんだ今までと変わってないじゃんか。僕はこれからもここにいるために生きていこう。自分らしく生きる方法がわかったような気がした中野の夜。
posted by sleeping mizuki at 22:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする