2007年02月28日

新曲待機



徳永「ここで1曲できたてホヤホヤの曲を聴いてください。Berryz工房13枚目のシングルです。3月7日発売、Berryz工房で、『VERY BEAUTY』…」

夏焼「ここで1曲聴いてください。3月7日発売、Berryz工房で、」
夏・熊・菅「『VERY BEAUTY』」

熊井「ここで1曲聴いてください。3月7日発売、Berryz工房で、」
全員「『VERY BEAUTY』」



歌詞のみならず曲紹介まで書き起こしてみたくなってしまうくらいに発売日が待ち遠しくて。この調子で残りの4人にも曲紹介をしてほしい。そしてSSAでは誰がどこでどんなふうに紹介するんだろう。

やはり良いものはなぞってみたくなる。書き写すという行為に耐えられるだけのテキストとしての強さを持っている。ここはやはり「VERY BEAUTY」を鉛筆で書き写してみるべきだな。写経のように心が洗われるに違いない。写経したことないけど。

ZYXからあぁ!、そして「あななし」とキッズには良曲が与えられると言われた。だけど「VERY BEAUTY」はもはや与えられた曲ではなく、初めて聴いた時からそれはもうBerryz工房の曲だった。青年館で聴いた曲によく似たフレーズがあったとしてもベリーズが歌うことでまた別の命が吹き込まれる。そういう類似を見つけるのはここではあまり意味のないことなのかもしれない。

「らしく」「気がした」懊悩の夏を経て「これが女よ」と言い切る春の力強さ。なんだかよくわからない成長はきっとここに感じたものだ。

高音のサビは僕にはもう鼻歌すらも歌えなくて、それがなんだか遠いところへ行ってしまったような気になってしまう。
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2007年02月27日

言説空間としての日本青年館


来てたそうじゃないか。全然気付かなかったよ。気付いてはいけないのかもしれないけど。

ベリが全員来ていたのは少なくとも事実らしい。めぐも舞波も来ていたとか、10.2以来のキッズ全員集合じゃないか(何度も言うけど栞菜に他意はないかんな!)。

以前のような証拠写真がないから、本当に来ていたのかどうかはっきりとはわからない。ただある程度の信憑性を持ってそういう話が流布されるくらい、あの空間は特別なものだった。いてもおかしくないと思わせるものがあった。本当にいたのなら例え後から知ったにしてもあの空間にいられたことははがゆいけれど幸せだ。

二人ともいたという前提で話を進めれば、めぐは何を思ったんだろう。「まっさら」の自分のパートを歌い切った舞美をどんなふうに見ていたんだろう。最後のバンザイコールまでいた?少しは戻りたいとか思った?

舞波はもう完全に市井の人として普通に楽しんでそうな気がする。戻りたいなんて露にも思わず。千聖、女の子っぽくなったでしょ。SSAにも来るよね?そしたらその後の東京厚生にも来てさ、また一緒に℃-ute見ようぜ、舞波。あの東京厚生で。

そのころにはここはもう伝説になってるよ、きっと。


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2007年02月26日

2007/2/25 【デビュー単独コンサート2007春 ℃-ute 始まったよ!キューティーショー(夜)】 日本青年館


バンザイコールに続いて℃-uteコールが鳴り止まない。

梅さんが顔を伏せる。なっきぃも涙顔というより完全に泣いている。他のメンバーもたぶん同じようだったと思うけど、やはり双眼鏡でわざわざ確認する気にはなれなかった。双眼鏡を取るためにほんの一瞬視線を反らすのがとてつもなく惜しかった。目を反らしてはいけないと思った。かと言って一点を見つめるのではなく、ただこの空間全体を感じていたかった。と言いつつ僕も泣いていた。

前の列に行けば行くほど演者と自分だけの世界になっていって、会場全体の様子がわからなくなってくる。いま会場は盛り上がっているのかいないのか、それすらも本当につかめなくなるほどに。

だから今日のS列という後ろから2列目の席は会場全体が見渡せて、℃-uteコールをみんなで届けるという意味ではこの上ない良席だった。会場のこのコールが℃-uteに届いてるってことがわかる。

「一緒に!」の後の「よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ〜!」は本当に℃-uteと溶けて一体になりそうな衝撃を感じたし、「おおきなあいでもぉてなしてぇっ!」とか思いっきり叫びながらワキワキしてしまうなんて初めてのことだったし。本当に楽しいと「もうすぐ終わっちゃう」とか感じなくなる。ただ、今この時が楽しいことだけで頭がいっぱいになる。非日常のさらに向こう側。会場全体がいわゆるひとつのAs ONE。

℃-uteコールが終わってそれぞれ推しのコールが聞こえてきてもステージにいる全員が好きだった。誰でもなく℃-uteが好きだった。℃-uteにありがとうだった。だから叫んだのは「なっきぃぃぃ!!」ではなく「きゅうとぉぉぉぉぉ!!」。

メンバーがハケても「℃-ute最高!」コールが始まる。確かに最高なんだけど、せっかくこんな文章を書いているんだから何か最高以外の言葉を見つけてみよう。

「まるごと」と「キューティーショー」に冠せられたのは「初単独」と「デビュー単独コンサート」。「まるごと」は初の単独≠ナあることに意味があるし、「キューティーショー」は単独のコンサート≠ナあることに意味がある。そんな℃-uteのコンサートは本当に最高でした!…あれ?

最後に、かなりの遠距離でしたがなっきぃの「即抱き」ハイキックが0ズレでした。ありがとうございました。
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2007年02月25日

2007/2/24 【デビュー単独コンサート2007春 ℃-ute 始まったよ!キューティーショー】 日本青年館


℃-uteはいきなり境界を飛び越えた。ここから先は新しい世界。

汗なんか少しもかかずに颯爽と握手しようと思ってたのに1曲目にしてもうジャンプしまくりとか。だってこれがまさに℃-uteなんだからしょうがないじゃないか。

橋上の三人の他にもそれぞれ進学という越境を控える中でただ一人越境しない萩原。その意味をつかみあぐねていたところへ、それを逆手にとったキューティーガールズコントがひとつの答えを見せてくれた。
 
先輩たちに聞いて回る姿からはあくまでもハロプロの中に位置付けられる℃-uteが見える。だけどカバーした曲々は既にメンバーが歌ったことのある(もしくはバックダンサーとして出演したことのある)ものもあり、ハロプロの歴史を借りながらそれを℃-uteの歴史に塗り変える。

「Yes!しあわせ」だって「ENDLESS LOVE」だって正直原曲を聴いたことがないから、これはもう℃-uteの曲としか思えない。「ちょこLOVE」にしても「。。。。。」は「C」の左上についたマルとしか理解できない。「会えない長い日曜日」も「わっきゃない」の振りをしているような錯覚に陥る個所がある。

ハギティとチッサーが歌う時点で愛理のソロに気付くべきだったのかもしれない。「すごくうまい」とは言い難かったけどやはりソロで歌うということが何にも増して意味ありげなのである。

もしもめぐがいたら「Shall we love?」には栞菜となっきぃはいなかったかもしれない。そうであれば愛理のソロもなかったかもしれない。愛理ソロもまたカバー曲であるから、自らのグループの曲をソロで歌った「安心感」はますます特異な存在になる。

℃-uteのカバー曲は後藤・藤本色が強く、ベリのカバーは松浦色が強いというおぼろげな使い分け。

「今日からお鈴」だという愛理は栞菜をかんなんと呼び、なっきぃは千聖を「ちぃ」と呼ぶ。ニックネームをめぐる事務所の戦略とヲタによる呼称とメンバーによる呼称の差異からみえるもの。

例えば古い話だけどヲタは「カン梨華」といい事務所は「カン石」と言う。この違いが何を表しているかといえば、事務所とヲタの埋めようのない距離感であり、それに挟まれる「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」という構図。

昨年後半からみえる新たなニックネームはこの日生まれ変わるための新しい名付けであったのかもしれない。

…とかなんとか言ってるくせにそういうことは全て単なる言説として片付けられるくらいに、結局は℃-uteが目の前にいて歌っているというのがすばらしいことだった。

木陰に身を隠すなっきぃの構図がそれはもうハマりすぎていて最高なんだけど、これはもちろん「チラリ」がコンセプト。きっとこのVTRは東京タワーの下でミカンを食べさせたスタッフが作ってるんだと思う。なっきぃの使い方がうますぎる。

愛情とリズムとハッピーとらっきょでカレーが大好きなアリカンなら栞菜のか≠ヘカレーだし栞菜のん≠ヘメロンしかないし、そうなるとな≠ヘなっきぃぐらいしか思いつかないし。

夜公演、自然発生的に起こったバンザイコールに℃-uteも応える。舞美の声が詰まる、といっても噛んでるんじゃない。舞美の声が涙で詰まる。なっきぃも涙顔。だけど双眼鏡を取り出して涙を見ようという気にはなれずに、ただ会場の広さと自分がここにいることを感じて、そこにいるなっきぃを見つめていた。

「涙など似合わない」はずなのに。いや「だからこそ優しくなれる」のか。

握手は完全におまけ。正直なくてもよかった。メンバーのことを考えれば「おつかんな!」に全く反応がないくらいに疲れていたのは確かだから。ライブだけでもたくさんのものをもらったよ。

「桜チラリ」は間奏の背を反らす振りがなかった。桜の木を見上げて夜空に溶けていく様子を、あるいはそれ自体を一輪の桜と見なせる最も象徴的なフォーメーションなのに。

だからというわけじゃないけど帰り道に背を反らして見上げた夜空には船のような上弦の月が浮かんでいた。℃-uteがデビューした今日という日のこの月をずっと忘れないようにしよう。
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2007年02月23日

覗きこめば美しく、いつまでも手を重ねる


今でもやっているのかな。

イベント前、輪になって一人ずつ名前を言いながら手を差し出していく。記念すべき日の前日に僕も一応やっておこう。

せぇの、きゅうとぉ!

えりか!
まいみ!
さき!
あいり!
ちさと!
まい!
かんな!

めぐみ!

7人そろってぇ、は・ぢ・け・るゾーイ!
8人そろってぇ、は・ぢ・け・るゾーイ!  …見えないものを見るために
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2007年02月21日

越境としての「チラリ」


チョキの間から「チラリ」と何かを見る時には、自分が立っている此岸と覗き見る先の彼岸がある。一方の世界からもう一方の世界へ、いわば境界を越えようとする意図を「桜チラリ」から読み取ろう。

℃-uteが単にベリの後追いをしているのではない点はインディーズを経ているということ。いきなりメジャーデビューをしたベリに比べると、結成からもうすぐ2年という時間をかけてようやくあのころのベリーズに肩を並べようとしている。インディーズを経ることに一体どれだけの意味があるのかはここでは別に、あくまでも形式として。

DVD、アルバムときてメジャーデビューの仕上げとしてのシングルリリース。これをもって℃-uteはメジャーへと進出する。インディーズからメジャーへの越境。

もうひとつ℃-uteが越えるべき境界は8人の世界と7人の世界の間に横たわる。「桜チラリ」に込められた新7人での初めての楽曲≠ニいう意味。何もかもが新しい世界に来ただけでは始まらない。7人の℃-uteが作っていく、そのための「桜チラリ」。8枚の花びらが散るジャケ写は7人の世界への越境。

そして桜の木に見立てて6人が周回するのは、昨年の友理奈と同じ立場にあって越境を体現する愛理。まさに「にょきにょき」と。

℃-uteは「チラリ」と境界を垣間見て、足元を確かめたのちに「JUMP」してそれを越えてゆく。跳躍するまさにその瞬間を見ていられるなんて、こんな幸せなことないよね?

「So Cute!」で三人がいるのもまた橋という境界上であり、その名を桜橋という。

エッグから越境してきた者。
今まさに前列へ越境してきている者。
もう少しで中学へと越境しようとする者。

過去・現在・未来の越境者は背を合わせることで後ろ≠ニいう概念をなくす。ぐるりと360度、進んだ方向が前。交差する境界上で前へ進んでそれを越える。

ああ「桜チラリ」。
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2007年02月19日

チラリ チラリ サクラ ガ チラリ


結局の所、桜がチラリとどうなるのか?

「夜空に溶けて行く」
「いつまでも手をつなぐ」

という言葉から想起するのは密着の末の融合。これを性的な意味にとることもできるけれど「かわいい恋をする」のでそれはやめておこう。一方で

「いつまでもすぐそばであなたを見ていたい」

は触れるまでには至らないわずかな距離を感じさせる。つまりはその触れるか触れないかの微妙な距離感が「チラリ」ということなのかなぁ。

後ろ向きからチラリと振り返る、チョキの間からチラリと垣間見る、そういうカタチだけは覚えておこう。「夜空に溶けて行く」のならそれは夜桜なのかもしれない。

散ラナイ、散リマス、散ル、散ル時、散レバ、散レ、散ラリ。

桜は散るから美しいという。散っている様も美しく、散ることを前提に咲いている様もまた美しい。

℃-uteは一度散った。これが何を意味するかは℃-uteの名を知っている者ならみなわかると思う。ジャケ写に舞い散る8枚の花びら。そして今、新しい芽がチラリ。

桜の木の下に埋まっているのはめぐの死体だ。
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2007年02月18日

告白なんてしないでよ


本当はこんなことを言ってはいけないのかもしれない。だからある意味これは覚悟を決めた告白なのです。

ファンとしてヲタとして、Berryz工房の成長を願うのは当然のことだと思う。人間としての成長もグループとして売れる≠アとも。

でも僕はどこか「売れなくてもいい」と思ってた。当然ながら全く売れなければイベントどころの話ではなくなるわけだけど、「イベントはできる」「だけどこれ以上は大きくならない」というギリギリのラインを保っていてほしいと思ってた。好きであればあるほど一人占めしたかったから。たくさんの人にBerryz工房を知ってほしくなかった。

だけどSSA完売や「VERY BEAUTY」での成長を見るにつけてそういう邪な思いは覆された。「成長するっていいことなんだ」。成長することは美しいことだと教えられた。今さら何言ってんだって話ですけど。

もともと自分が足るを知りすぎている向上心のない人間だからというのもある。ただそれをBerryz工房にも推し付けてしまっていたのかもしれない。「無限の可能性」というベリーズから投げかけられた言葉の本当の意味を理解していなかった。

そして今の気持ちを正直に言えば、この場に舞波がいなくて悔しい。寂しいでも悲しいでも惜しいでもなく、悔しい。
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「Berryz工房 起立!礼!着席!」 #150(2007/2/13)


ナスビを「ナスが美しいんじゃない?」とかテキトーに言い放つ桃子。

「なんでわざわざビ≠ツけたの?」ってキャプが言ってたけど、後からビをつけたんじゃなくてもともとナスビって呼んでたのからビがとれてナスになったんじゃないかな。

ちょうどみやび≠みや≠ニ呼ぶように。いや、別に雅ちゃんとナスがどうこうってわけじゃないんだけど。

ナス美から「VERY BEAUTY」へと思考は飛躍する。SSAのラストソングはこれで決まりじゃない?
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「VERY BEAUTY」


「さぼり」以来かな…イントロでやられるのは。

あの時確かにベリヲタを辞めるという選択肢はあった。それを選ぶ可能性が低かったとしても。でもそんな時に聴いた「さぼり」がすばらしすぎてベリヲタは辞められなかった。大げさかもしれないけどベリーズの名曲≠ノとどまらない、歴代アイドルの名曲にも遜色ない良曲だと思う。

全体的にみれば惰性でも、「さぼり」のおかげでベリヲタを続けたという部分が少しはある。そして今、「VERY BEAUTY」を聴いてこの曲を聴けるのなら生きることを続けてみたいと思った。惰性で生きることもできるけれど、それよりははるかに素敵な人生を見つめられると思った。

とにかくイントロを聞いた瞬間に「この曲はいい曲だ!」と直感し、聴き終ってもその直感が裏切られることのない一途なひとめぼれのような曲。

聴き込んで好きになる曲もあるけど、こういう曲を前にしては何もなす術がない。たった一度聴いただけの余韻が強烈に残っていて、何度も聴こうという気にすらならない。

「こんな歌が歌えるようになったのか…」

ため息とともに思う。成長って言うんだろうなこれを。技術的にどこがっていうわけでもないんだけど、成長としか言いようがない。誰がってわけでもなくBerryz工房が。1年前にも2年前にも聴き終わってこんな気持ちになる曲はなかった。

成長している間は全然わからない。こういう曲という形になって初めてそれを知る。毎日元気で美しくしている間に大人に近づいて何処へゆく?ただその行く先を知るのが怖かった自分に、成長することのすばらしさとそして美しさを教えてくれた。たった一度しか聴いていないのに教えられた。

パート割りというには少し長い、一人が2、3小節を歌うのもそれぞれの物語として機能する。ブツ切りパートでは語れない物語。

2番の友理奈パート、特に「あの人と」以下が石川の声に聞こえる。それはもちろん「歌は上手い下手じゃない」といういい意味で。

「どうしてみんな無邪気にはしゃがないのよ」

こんな詞が書けるつんくはキモい。本当にキモい。これもいい意味で。

すき すき すきのうえ。。。もう好きとか嫌いでベリーズは語れない。
posted by sleeping mizuki at 17:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 【レビュー】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

虹を歩こう


許されるものなら5m、いや3mでいいからべりっこと手をつないで歩きたい。同じ方向を向いて歩くことで、通り過ぎる握手とは違う何かがきっと見つかるような気がして。

いや…でも共に並んで同じ方向を向くことはアイドルとヲタの関係にあってはタブーなのかもしれない。そういう構図の写真を見る時はいつも何かを失う時だ。

向かい合っているけど見つめあってはいなかったり、見つめているようでお互いにその背後にあるものを見ていたり。一体どれが本当でどれが幸せなのか。

ただ一つ言えるのは、お互いが存在しているというだけで半分くらいは幸せになっているということ。
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2007年02月17日

Berryz工房単独コン分析A ソロ曲をめぐって(2)


(1)を踏まえれば単独コンのソロ曲は以下のようになる。

まるごと…「トロピカ〜ル 恋して〜る」(夏焼)
スイッチ…「Bye Bye またね」(石村)
にょき…「安心感」(熊井)
夏夏…「Yeah!めっちゃホリディ」(菅谷)

注目すべきはスイッチON以降のソロ曲はいずれもまるごとで歌われている曲だということ。ソロ曲の祖型とも言うべきものがまるごとに凝縮されているのだ。その点ではソロ曲に関しては常にまるごとという原点に回帰していたと言うことができる。

ここでSSAを飛ばして続・桜満開へと目を向ければ、ソロ曲は前列で唯一歌っていない嗣永が、まるごとのセットリストの中から歌うという予想ができる。ソロで歌えそうな曲ってなんだろ。パッションとかいいなぁ。桃子の一人パカパカ。

SSAを飛ばしたのはこれまでの論理には収まらないスッペシャルであってほしいから。一人一曲ずつソロで歌うとか。同様にスッペシャルであった「Bye Bye またね」のように、メンバーと会場みんなでBerryz工房に向けて歌うのもいいかも。

曲は「Berryz工房行進曲」。「あなた」も「私」も出てこない代わりに「僕ら」と「Berryz工房」がいる行進曲。会場がそのまま曲世界になる。勇気もチャンスも自分で作るもの。「自分」は「僕ら」でもあり「Berryz工房」でもあり。

今日という日につながったわずかな喝采を思って…

JUST DO IT! LET'S GET TOGETHER!
posted by sleeping mizuki at 20:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 【研究ノート】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月16日

Berryz工房単独コン分析@ ソロ曲をめぐって(1)


まるごと…「トロピカ〜ル 恋して〜る」(夏焼)
にょき…「安心感」(熊井)
夏夏…「Yeah!めっちゃホリディ」(菅谷)

このようにスイッチONにのみソロ曲がないという事実をどう理解すればよいのか。それはソロ曲≠フ定義に遡って考えることでひとつの答えを見つけることができる。

その前にスイッチONのセットリストや構成は舞波の卒業を念頭に入れて作られたものなのかという疑問。これについてはまるごとと同じラストナンバーの「Bye Bye またね」がひとつの考えるきっかけになる。

なぜこの曲をラストに持ってきたのか。それは「Bye Bye またね」でないといけなかったからだ。メンバーとの別れにはこの曲しかなかったからだ。だからこそまるごとと被ってでもこの曲はこの場所に入れられなければならなかった。舞波との別れのために。

ラストナンバーの選曲において、たまたま選択したこの曲が卒業にピッタリだったのではなく、当初から「舞波のため」というテーマ設定があったのだと思う。

そう考えれば「Bye Bye またね」は舞波のために歌われたのである。メンバー・会場の客はもちろん諸々のスタッフも含めてセットリストという形式と共に会場全体の人・物すべてによって。あの時間だけは会場の全てが舞波のために存在していたとまで言ってしまえる。

普通はソロ曲といえば「一人で歌うもの」。「一人がその他のみんなに向けて歌うもの」。だけどこれは「一人のために歌うもの」。「会場の全てが一人に向けて歌うもの」。これもソロ曲と言っていいのなら、スイッチONの「Bye Bye またね」は紛れもなく舞波のソロ曲だ。「舞波一人が歌う」ではなく「舞波一人のための」。

「ひとりはみんなのために」と「みんなはひとりのために」は「&」で結ばれた常に表裏をなす関係にある。
posted by sleeping mizuki at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 【舞波】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月15日

小春が先か、きらりが先か


この顔が

koharuaa.bmp

リo´ゥ`リ にそっくり。

違うか、リo´ゥ`リ がこの顔にそっくりなのか。小春がきらりを演じているようで実はきらりが小春を演じていたり…はしないか。
posted by sleeping mizuki at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

2007/2/11 【第40回 NHK福祉大相撲】 両国国技館


会場前の看板は「Berryz工房」だったのにパンフレットは「Berrys工房」。

土俵を囲む360度のマス席とイス席は全て赤で、その中で西寄りに設置された白いステージはまるでスカーレットの唇に光る白い歯のようでもあった。

清めの塩も白だし、綱締め実演で横綱が締めた綱が白色なのは「清浄潔白を表し自分自身を清めるため」らしい。

一人がマイクを持って中央で歌い、他の6人が円形にそれを囲む相撲甚句。中央の一人は順々に変わっていくんだけど、このフォーメーション(?)次の新曲でいけるんじゃないか?とか思ってたら「あななし」で確かにあった。中央が須藤→夏焼→菅谷と変わってゆきその他の7人がその周りを回る。Berryz go roundって呼んでた。

登場した瞬間、白いステージにスカーレットのあの衣装は強烈に映えた。力士はやっぱりでかかった。まあさは細く見えた。いきなり「青春アミーゴ」を歌い出すBerryz工房。いいのか?ジャニーズをカバーとか。

唐突に会話に割って入るキャプ。「豊ノ島関」が言えない雅ちゃん。アナウンサーも豊真将≠間違えて豊ノ島≠ニか言ってたからドンマイだよ。「(豊ノ島の日記)『3年先の稽古』という名前はどういう意味を込めてつけたんですか?」と聞くももち。なんか語尾が暗かった。結局しゃべったのはこの3人だけ。台本丸暗記のなん恋ごろのイベントを見てるようなかんじだった。

「目先の一勝にこだわらず3年先を見据えた稽古をしたい」と語る豊ノ島。デビューしてからちょうど3年後がまさに今のBerryz工房なわけで、果たして3年前のBerryz工房に現在はどう映るんだろうか。

あとは梨沙子の手拍子が周りよりテンポが速かったり、雅ちゃんが何度も自分の髪を触っていたり。

女人禁制というタブーを目前にして踊るBerryz工房。タブーとは常に身の回りに近接してあるからこそタブーになりうるのかもしれない。
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2007年02月09日

似て非なるものと非にみえて似たるもの


ベリーズに選ばれなかった7人が実力で劣るなんて全く思ってなかったから、もしもベリとライブの日程が重なることがあったら僕はどっちに行くんだろうって思ってた。

G.W.のジグザグ日程を見るにつけて、重なるどころかまるでどっちも来いと言われてるような気になるんだけど、℃-ute1公演の翌日ベリ2公演という公演数を見る限りではやはり両者は対等とは言い難い。前日の設営をちょっと早めて℃-uteもやっちゃおう、みたいなかんじはする。「ベリの前座」はちょっと言い過ぎかな。

それでも同じ会場で、そしておそらく同じようなセットでやる以上両者の違いがわかりやすく見えてくるはずだ。舞波と花音のように似てれば似てるほど差異も際立つ。

夏のお台場では同じコートで同じような内容でベリと℃-uteがそれぞれイベントを行った。その時おぼろげに感じた違いはなんだかよくわからないままだったけど、あれからわずか数ヶ月でベリも℃-uteも変わっている。というか℃-uteは日本青年館を、ベリはSSAを乗り越えてさらに変わろうとしている。また何か違うものが見つけられそうで、両者の比較には絶好の機会だと思う。

そしてもちろん「差異」と同じくらい「近似」も見つけよう。「比較」とは差異を見つけるためだけの言葉ではない。違う所を探すだけでは本質には迫れないと思う。

ベリと℃-ute合わせた公演数はにょきにょきとほぼ同じで、昨年のベリのパイを分け合ってるようにも思えてしまうんだけど、ここはまぁSSAもあることだし前向きに考えるとするか。「来年はベリがSSAで℃-uteが武道館」っていうスーパーポジティブな言葉も何となく受け入れてしまえるくらいの気持ちで。


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2007年02月08日

赤と白


capwhite.bmp


「胸さわぎ スカーレット」というタイトルと赤を基調とした衣装から推し量れば、PVで飲んだミルクはその色の対比によって語ることができる。そしてそれは単に紅白という色彩の取り合わせにとどまるものでもない。

ここで歌われる「スカーレット」はPVで見るように口紅の紅。いわば身体を飾る赤。これに対するミルクの白は何もない白紙の白。装飾を脱ぎ捨てる白。

目にはマスカラ耳にはピアス、眉を整え肌には化粧水。髪は言うに及ばず場合によっては鼻にピアスをすることもできる。その中で赤と白は常に隣接している。すなわち口紅の赤と、女性の顔にあって唯一装飾を施さない歯の白(歯磨きはもちろん漂白をすることもあるけど「化粧」という意味においてはってことで)。口紅を塗ったベリーズがきれいなのは鮮やかな赤とそこに白があるから。

文化人類学的な解釈をすれば「赤と白」は「血と精液」で生命の豊穣を表し、民俗学的に解釈すれば女性の持つ「赤不浄・白不浄」が示すケガレへと導かれる。そしてBerryz工房的な解釈をすれば、彼女たちは赤で装飾を施し、白でそれを取り去ってPV撮影を終えるのである。

「お疲れさまでした。ごちそうさまでした」と。
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「ごめん」なんて思ったのよ…


本当にSSAで単独コンをやるとか思ってなかったし、完売するとも思ってなかった。ベリヲタなのにちょっとBerryz工房なめてた。ごめん。

春ツアーが決定したことにより、少なくともSSAで全員引退という最悪の事態だけは絶対にない。突然のお知らせに怯える身としてはいつだって安心したいのでこれは大きい。こうなれば例え客席を減らしたミニミニサイズだとしてもいやが上にも期待値マキシマム。

間違いなくBerryz工房の歴史にとって大きい一日になる。ベクトルは違うけど絶対値としては舞波の卒業と同じくらいに。あの時悲しんだくらいに喜ぼう。一年半ベリーズにいた舞波が辞めてからちょうどまた一年半。舞波がいた歴史を塗りかえる日でもあるのかもしれない。

一曲目はあれだ、まだライブで聴いたことのない「Berryz工房行進曲 オーケストラver.」(「第2成長記」のスッペシャルOPですね)。暗くなったSSAに荘厳さを漂わせてこの曲がかかるんだよ。なんかもう涙が…。

そこへ突然にスポットライトがステージ中央のメンバーを照らす。ざわめく間もなく「あななし」のイントロ…。うわ〜ここでもう涙で前が見えないんじゃないか?興奮してスタンドから落ちないように一階席で観たいなぁ。

「さぁ 来たね時代が!」

あの時は現実と歌詞とのギャップが際立って逆にそれがいつかこんな日が来ることを夢見させてくれたんだけど、本当に来たね、時代が。
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2007年02月07日

絶対普遍の組み合わせ?


こんなことは探せばいくらでもあるのかもしれないけど、3月のパシイベの組み合わせが、咋夏のハロモニ。内で放送された「ひと夏の想い出」でドッヂボールをやった時の組み合わせと同じだった。

清水・夏焼・熊井
嗣永・徳永・須藤・菅谷

さらに3人の方は先日の桜塚やっくんのラジオに出演。「前列−後列」以外でBerryz工房を二分する時に何か法則性を見出すことはできるのだろうか。

前列を2人ずつ配置し、背が高い2人も低い2人もそれぞれ別々に配置。学年別に見ても偏ることなく配置されている。「前後列」「身長」「学年」という三要素を基準にすれば誰も入れ替えることができない一番バランスのいい組み合わせじゃないか?試しに全ての入れ替えパターンを想定してみても三要素のバランスが崩れないものはないはず。唯一徳永だけがどちらにいても均衡を保つ。

とは言うものの夏夏のDVDマガジンvol.6でのバスケでは

嗣永・須藤・夏焼
清水・徳永・熊井・菅谷

という組み合わせだからもちろん法則性なんかはないのだけど。


【追記】

たまたま観た「さぼり」の「今一緒だもん 二人だもん」のところで歌詞の通り二人組になっているんだけど、ゆりちな、ママ&ベイビー、おバカちゃんズといういずれも絶妙のコンビ。

そして桃子は一人…と。そこで舞波ですよ。なんてね。
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2007年02月06日

Φ島早貴のカキクケロ


思えば「ケロ」なんて言うのはベリーズでは成立しそうにない。かろうじてももちが言いそうだけど本人にその意図があるかに関わらずそれは作為的に受け止められる。

逆にベリでは最もそんなことを言いそうにない千奈美が「のにゅ」と歌う。なっきぃが素だとすれば千奈美は曲中の歌詞として「言わされて」るんだけど、それもまたどちらがいいというものではなく、グループとしての特徴の差異につながる。そういえば「のにゅ」も逆接だ。

「ぐだクリ」で「なっきぃもほしい〜!」と駄々をこねる様子は本当に子どもで、めぐの穴埋めなんてできるのかと思うけど、なっきぃはなっきぃのやり方でいつまでもケロケロ言っててほしい。そして℃-uteがなっきぃにとっていつまでも躊躇なくケロケロ言える場でありますように。

ケロロの声優、頼むからなっきぃにもやらせてあげて!ちょっとでいいから!
posted by sleeping mizuki at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする