2007年07月31日

友理奈と早貴の『ふたりは…?』


今から予言しておこう。8月3日には絶対に熊井ちゃんが出る(希望)。そしてその隣にはなっきぃが立っている(希望)。それまでは伏線として二人の絡みは意図的に避けられる(※7/24は全く絡みなし)。ゆりちなでもくまぁずでもない、息は合わないけど潜在的爆発力と歪んだ愛情だけは誰からも認められていたまさにNSなカップリングがついに日の目を見る。

ゆりなっきぃ。

「(はるか頭上を見上げて)誕生日おめでとう?熊井ちゃん」

「(上から目線で)ありがとう中さきちゃん…」

この二人の関係性において出色なのは、なささきが一方的に熊井ちゃんを慕うというどこかの千奈美みたいな関係にあるのではなく、つれない熊井ちゃんに対して多少なりとも猜疑心を抱いているということである。昔だったらスポフェスで並んでも特に会話はなかったり、ゆりちなの輪に入っていけなかったり(「奇跡のDVD」参照)してたけど、もうそのころのなかさきとは違うのだ。言説は「熊井ちゃんがテレビに映ってるんです!」とまで言わせてしまうほどになっているのだから。

カップリングの歴史が変わる(希望)。


ここで知ってる人には懐かしい「銀牙―流れ星銀」の赤カブトを熊井ちゃんに、銀牙をなかさきに見立ててみよう。なかさきがハロメン(犬)を率いて熊井ちゃんを倒しに行くというストーリーだ。これは面白い。面白いに決まってる。キャラを読み替えたうえで今すぐ銀牙を全巻読み返したくなってしまう。

原作のラストシーンは忘れたけどこっちのラストはもうわかっている。なかさきに毒入りミカンを食べさせられた熊井ちゃん、もとい赤カブトはこう言って最期を遂げるに違いない。「な…なかさきのくせにぃぃぃ…!」。しかもアニメ化されたらきっとこう言う。「なかさきちゃんがテレビに映ってるんです!」。
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2007/7/24 【Gatas Brilhantes H.P.ファン交流イベント】 お台場・冒険ランド すかいらーくグループフットサルスタジアム


来たよー。夏が来たよー。夏が好きな僕らだからー。駅の「のりば Gates」の表示が「Gatas」に見えるよー。もう夏バテかよー。

愛理と雅にはさまれて入場するなっきぃ。あれ?Buono?これなんてBuono?このままデビュー?なっきぃセンター?今日は声の調子が悪いらしい。そう言えば去年の今ごろも梅さんがノドをやられていたっけ。ケロー!とか言ってる場合じゃないケロー!

ガッタスVer.の写真と同じく三つ編みでくるかと思ったけどまたデコ出しじゃーん。その代わり愛理が三つ編みだった。桃子の隣にはチッサー。残念ながらこのときはまだ小指は立っていなかった。

で、まいまいは?休み?え?何?小学生の人権は認めないんですか?素直に公開練習見た人がうらやましいって言いなさい。…はい。

熊井ちゃんでけー。ホントでけー。かつてベリーズで背が高いといえば友理奈とまあさだったけど、今はまあさが他のちっちゃい子グループと同列に見える。それくらいでけー。梅さんと並んでもそれは同じだった。もはやツインタワーとは呼べないよ。熊井ちゃんのワントップ(身長が)。熊井立ったら壁でっせ!いや、いい意味で!いい意味で!ホラ、フットサルで壁になれば相手のシュートふせげるじゃん?それにあんまり動かなくて「何やってんだよ!」とか吉澤に言われても「ふせいでた」って言えば立ってるだけで問題ナシゴレン?(by石川)あ、熊井ちゃんまたそんな鋭い目つきに…。今日もいきなりエンジョイ聞けたよー。PKのシュートは2本とも地を這うグラインダーでどちらも決まらず。また虹をかけて、友理奈!

藤本「子どもじゃないか、でっかいから」

梨沙子!そこで隣の熊井ちゃんを見ない!少なくとも梨沙子は「でっかい」に反応してとっさに熊井ちゃんを見た。当の熊井ちゃんはワンテンポ遅れて白い歯を見せていた。

トークコーナーにて愛理のコメント中、図ったように「通学ベクトル」が。むむ…BGMを操っているのは亨?こんなに晴れてるのにまさか降らすの?コメント終わりのまばらな拍手がそのまま頭上クラップへと…?どこからともなく雨雲が…予報もあれれ?50%に変わってる…これは!傘マーク雨?とはならなかったものの、会場がすべて℃-uteヲタだったらわからなかったと思う。それってKY。ウーロン茶を2杯飲んで水分補給したと語る愛理。

愛理は足がきれいだった。ここでいきなり写真集のレビューに移れば、愛理は透き通っていた。一点の汚れもなく透き通っていた。水面から上がった時に日が当たる白い背中は女性としての柔らかさを感じさせつつ、あまりに曇りがなさすぎて、あぁ!のころに見た無機質さがまだ見えた。最後から3ページ目、夕日に当たって制服のスカートが透けているシーンがそれを象徴していた。

もちろん今日びの写真集だからいろんな画像処理はしてるんだろうけど、それを思っても現実に見る愛理は透き通っていて、蹴ったボールは見ずに愛理の足だけを見ていた。

なっきぃの好きなメニューはからあげ。「栞菜と一緒にカリカリしてるねって言ってた」。舞美は「ビーフカレーを食べました」。

PKを蹴る前に「コーラだと思ったらコーヒーだった〜」と間違えたことを吉澤に暴露されるチッサー。プレイヤーとしての期待の表れなのか、吉澤はよく岡井から話を引き出そうとしてくれる。

腰を痛めている話も吉澤が起点となって引き出してくれた。去年のお台場でも言っていた、スポフェス欠席の原因とみられる腰の爆弾。それを砂浜で転がらずにベッドから転がってまた痛めるとかどんだけー。

千聖に限らずハローで腰を痛めている人はわりと多いと思う。ギックリ腰で寝るキュー欠席とかしなくてよかったね!フィールドで腰を痛めたチッサーがなっきぃと梅さんに担がれるリアル茅奈の宅急便とか見たくないからね。いやむしろ時間を巻き戻してもう一回見たいねそれは。一説に(ryダラ〜ンと(ry聞いたことがあるけど(ryこの際そ(ryどうだっていいのよ!スピードに乗った助走からそのまま勢いを生かしてシュートに移るのでインパクトの瞬間が見極めづらく、うまくパワー不足を補っている。


しかしまー日本代表の遠藤という人のPKはすごいですなー。「見極める」とはああいうことを言うのかと。なにかと比較される野球とサッカーにあって、PK戦には攻守の機会が均等に与えられる野球的な静と動の、緊張と解放の醍醐味がある。

℃-uteのメンバーに最近石川さんに似てると言われてる栞菜。PKを決めるとちょうど去年と同じように、でも去年より長い距離を両手を広げてくるくるくるくる(早いんだもん!)回ってコートを横切る。それを見た吉澤が「私もあれマネするから」とゴール宣言。流れからすると吉澤がゴールを決めてくるくる回る展開なんだけど(少なくとも吉ヲタはそう望んでいるんだろうけど)、ここでKP舞美が止めるんだよ。KYじゃないよ。1500mで紺野を抜くのもKYじゃない。すべてはスポーツだから。スポーツができる(だけの)男に女が惚れる気持ちがよくわかる。スポーツができる(だけではない)舞美はこんなにもカッコいい。

梨沙子のPKはすごい。何がすごいって足を上から下に振り下ろしてボールに当ててるだけだから。フットサル(というスポーツではなく、アイドルがやるフットサル)の醍醐味はガチでやるということなんだけど、梨沙子は絶対ガチでやろうなんて気はさらさらない。ある意味拒絶感や抵抗すら感じる。「ケガで応援」だけのはずの桃子も同様で、たとえ苦手であってもガチに則る℃-uteとは違う。ただそんな梨沙子もまたフットサルという現場でしか見ることのできない梨沙子なのだ。アイドルの玉蹴りにはそれはそれでそこでしか見れないものがある。

う〜ん、フットサル面白いな!(フットサルは見てない)
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2007年07月30日

2007/7/29(夜) 【10thアニバーサリー大感謝祭 ハロ☆プロ夏祭り】 さいたまスーパーアリーナ


あれは明日菜!あれは佐保ちゃん!あれは花音?わかる!エッグの名前がわかるよー!まだわからない人の方が多いけど、わかる人は確実にわかるようになってきてしまったよー。てかちっちゃい子ばっかりなんだけどな。ゆうかりん意外とおっきいなー。

で、僕のメガネ、じゃなくてまぁなはどこ?どこどこ?イター!メガネ変わってるー!メガネメガネ!いやいくらメガネメガネ言ってるからといってまぁなにかけられてるメガネの方が好きなわけじゃないんですよ。まぁなにかけられてるメガネをかけてるまぁながだいすっきなんですよ!もう何がなんだか…。

なっきぃとチッサーはサンバイザー着用。もう前髪を下ろそうなんて気はさらさらなさそう。太陽の光を避けるものといえばまいまいのサングラス。あれはなぜかけ始めてなぜかけなくなったんだろう。そしてサングラスまいまいはメガネっ娘の範疇には入るのだろうか。メガネメガネ!

フリの一部とはいえ西念ちゃんと顔を見合わせるなっきぃ。もう先輩なのか…。中島さんとか呼ばれてんのかな。間違って中崎(なかさき)さんだと思われてたりしてね。まぁ今どきなかさきなんて言うのはヲタと熊井ちゃんだけ。ただ同じヲタの言う「なかさき」にも、ライトヲタが「なっきぃ」の浸透ぶりを知らずにいう場合と、キャラとしての「なかさき」を指す場合とがあるように思われるんですね。で、熊井ちゃんはどっちなの?おそらく「なっきぃ」は知っていて、あえて「なかさきちゃん」と呼んでいるんだと思う。

「ザッツ」が「まっさら」に。「まっさら」→「スッペ」と続くコンビネーションは、4.1SSAのSL予想にて 2回連続スッペ を唱えたものとしてはそれに近い達成感を勝手に感じる。こういうスッペへのつなげ方があったかー。スッペそのものはもちろん、いかにしてスッペフォーメーションへと導いてゆくかが重要なのだ。スッペのないベリコンなんてベリのいないベリコンだ。何それー。℃-uteの日といい寝るキューのsheといい、℃-uteもスッペ大好きだな!

ベリキューで「愛あらばIT'S ALL RIGHT」。本当に愛あらばIt's all right。「太陽は全てお見通しさ」。だから傘なんかに隠れてもムダムダ。断片的な記憶に従えば「そのまたじいちゃん」は飯田→梅田。「今までで一番」は亀井→嗣永。そして安倍パート「そうさ 時代はそれぞれいっぱい がんばって来たよね」は愛理。さすがというしかない。この歌詞は当時石川がインタビューで答えていたように、オリメンとしての安倍が当時の4期以下のそれぞれの時代に向けたメッセージのように聞き取れる(※当時2期は存在しない)。

「別れの悲しみから一歩踏み出す勇気をくれる歌」。卒業の時期と重なっていたこともあって当時はそう感じていた。

ものすごく個人的で勝手な意見を言えば、娘。に興味を失ってしまった理由は二つあって、

@安倍が卒業したこと
A藤本が加入したこと

に集約される。単に藤本が嫌いなだけなんじゃないの?個人の嗜好をグループに云々…と思われるかもしれない。確かにその通りなのです。だからこれからはまるでいなかったかのような体で見てみようと思う。といっても夏ハロと冬ハロの一年に2回くらいかな。青空なんとかとかいい曲持ってんじゃん。

ベリキューにもそれぞれの時代があり、キッズと呼ばれなくなったこともまた時代を示す。「さあ 来たね時代が」と歌っていたころが懐かしいね。その時代もやがて過ぎた。

愛理はベリキューのマザーシップなの?マザーシップという言葉はその通り「母船」なんだろうけど、ものすごく依りまし的な意味合いを含むと思う。単に中心的存在というのみならず、時代を越えてそこに宿るものがありそうな響き。僕らが愛理に託すものはなんだろう。こだわればKids all right!なっきぃのダンスも必見。ていうかもう見れないし。

吉澤→石川の「そうさ皆さん It's all right Say!」は須藤→中島に。石川パートをなっきぃとか、いいね。石川パートといえば「お昼ご飯何食べたんだろう?」。これをなっきぃが任されるようになったなら、それは本当に感動的な出来事に違いない。ダブルピースはノリマツとイシゾーでお願いします。今だに尊敬してるのかはよくわからないけど。

「Say!」のタイミングを教えてもらいにいってそれでノドを痛めたとか?あの声を出そうとしちゃダメ!でも声が裏返る時のなっきぃは似てなくもないかな。

とりあえず「まぁなっきぃ」でカップリング決定ね。あ、でもそれだとまぁなとなっきぃになっちゃうか。じゃ、そういうことで。

そして「JUMP」。やっぱりいいわー。この曲のために参戦を決めた判断は間違っていなかった。「まさにキュート」を全員がいる場で歌う。体力が温存されまくっていたので飛べる飛べる。「この地球に涙があり」でモニターに映っているのはみんな涙ぐんでるなっきぃに見えてしまう。

でさ、「桃片」の時モニターさゆばっか追ってなかった?愛理とか梨沙子とか愛理とか見たかったのにー。双眼鏡覗いてもさ、稲葉の打席時にわざとカメラを揺らしてるっぽいテレ朝の中継みたいに揺れるんだよ、この糞席は。ホントに100人乗っても大丈夫なの?そんなに飛ぶんなら稲葉の応援歌「JUMP」にしちゃいなよ。そしたら振りコピしに試合見に行くから。でも東京ドームね。これでも自由席券10枚に釣られてファンクラブに入ってた元会員なんですよ。日ハムのNAKAJIMAといえば輝士なんですよ。

セットリストを並べてみるとまたも24曲目の愛には読みがなが振ってある。そんな小細工…うれしいから!

他にもシャイニングとかハロプロにはまだまだいい曲がたくさんあったり、ふるさとが国境を越えたり、投票日に聴くピ〜スはやっぱり一味違ったり。

あと気付いたのは雅ちゃんの顔がなんか特徴がなくなってきたというか、見てもすぐにわからないというか、いや別にアゴがどうこうっていうわけじゃないんだけど、どうせ糞席からレンズ越しに見たフィルター視線ですけどね。すっきりした美人になってきたねと言えばいいのに。もう自分のバカバカ!ん〜(3回目)そんなあんたのアゴをっ………“ぷーん”聴きたかったぁ〜…。「はな」を全部「あご」に替えて歌ってたら雅ちゃんどんな顔するかな。梨沙子に歌わせたいところではある。全く悪気なく歌いそうだから。そのために愛理とBuono!を?まーる、さんかく、ながしかく?
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2007年07月27日

2007/7/27 「めざましテレビ」 女の子に大人気 きら★ぴかデビュー


きら☆ぴかライブ行きたかったな。でも行けなかったな。恥ずかしかったからな。晒されてたかもしれないしな。

ここはやはりちゃおっ娘が行くべきだな。意を決してハロショに入って、握りしめた小銭で小春写真を一枚だけ買っていくようなちゃおっ娘が。僕もそういう経験はあるんだけどな。全財産が200円の時に150円の写真を一枚買ったんだよな。辻ちゃんなんだけどな。心はちゃおっ娘なんだけどなー。

「はなぷん」初披露だなんて、SSAでもやってくれるよね?ね?ね?ねーねーねー。

ちっちゃいおにゃのこばっかりが踊る様子を見て、これはこれで異様だと思った。もちろん普段見てる景色の方がその何京倍も近づきがたくて異様だけど、その中に身を置くことで麻痺してきちゃったのかな。ただ見慣れないだけかな。ほぼスタンディングにコピー派とミラー派がほどよく混在していて、領空侵犯あり、通路飛び出し(かつ常駐)ありといつもの現場風にいえば地獄みたいだった。

端から見れば「つられて踊るお父さん」かもしれないけど、あれは逆なんだな。子どもが連れられているんだな。世間との間には大きな溝に鏡が据えられていて、すべてが逆に映ってしまうこの世界。
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2007/7/24 「探偵学園Q」 #4 ネットの恐怖からメグを救え


あの時僕は何も知らずに「14才の母」を見ていた。2話目か3話目だったと思う。オープニングで胎児のようにうずくまりながらこちらに視線を移す切れ長の目がめぐに似ていると思っていた。

それを見終わってから、めぐがいなくなったことを知った。ネットの恐怖からめぐを救えなかったことを思い知らされた。自分も世界もこんなんじゃダメだということをまざまざと突きつけられた。

その時の主役がめぐりめぐって演じる役名はメグ。新聞でこのタイトルを見つけたときに、見ずにはいられなかった。もちろんメグは仮想めぐとして。話の内容とは全く関係なくクギ付けになった。もはや探偵学園℃だった。あのときの悲しみをメグに投影して、未来へ語り伝えようとしていた。

メグは瞬間記憶能力を持ち、それゆえに残酷な光景が頭に焼き付いて離れないことで悩み苦しむ。瞬間を記憶することで、普通なら忘れてしまうことを忘れられない。見なくてもいいものを見てしまう。その時の所在なさ、胸の痛み、そして後悔。めぐる思いはあの写真へと集約される。

写真は一瞬を切り取るというけれど、被写体があまりに多くのことを語りすぎていて切り取りえないこともある。ことが一瞬に収まらないことがある。その前後の時間をも生々しく映し出してしまうということだ。「ハゲワシと少女」を撮影したカメラマンもそれに巻き込まれて自ら命を絶たねばならなかった。

僕たちが経験してきたことでいえば、その数時間前に大阪で行われたコンサートであったり、夜が明けて翌日に行われるハロコンであったり。そういう見える時間の裏を見てしまうことで、表はあっけなく形無しになってゆく。一つの傘に収まる二人はどこから来てどこへ行こうとしていたのか。そのままどこかへ行ってしまった。そこに真実を見つけることはできず、ただ言説だけが残った。

舞波は最後まで笑顔でいてくれた。それがどんなにすごいことか、逆説的に教えてくれたのはめぐだ。

命を失うのが撮る側か撮られる側かという違いは大きい。ただ二つに通ずるのは善悪の判断はできない(しがたい)ということ。善ではないかもしれない、そもそも完全な善なんてないのかもしれないけど、悪であっても目をつぶることができる。

善でも悪でもない不安定な状態こそが本質であっても、それは生きていられないほどに居心地が悪くて人は善であろうとする。あるいは悪に徹した方が良かったのか。

写真を撮られると魂を抜かれるという迷信はどこから来たんだろうか。単に舶来の文物に対する拒絶感・恐怖感に由来するのかもしれないけど、でもそれはこの現代にあって迷信ではなかった。

メグが姿を消した時、慌てるキュウたちに要潤の中の人が一喝する。

「俺たちがオタオタしてどうすんだよ!」

だってヲタだもん。思いっきりヲタヲタしたよ。まだしてるよ。

「B.L.T.U-17 vol.2」で℃-uteがside Bの表紙になった時、side Aの表紙はメグだった。℃-uteの裏に(本当は℃-uteが裏だけど)メグがいた。この時も着ていた白黒のボーダーがよく似合う。それはめぐの好きなコーディネートでもあった。

一話完結かと思ったら続きはまた来週。続きがある、この先があるっていうのはいいね。めぐとは違ってメグにはまだ未来がある。
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2007年07月26日

めぐるフレーズに何を見る?


「晴れの日があるからそのうち雨も降る」
(「I WISH」)


「どんな夜も明日が来るから」
(「夏 remember you」)


「どんな時も朝が来るよ」
(「めぐる恋の季節」)


似たようなフレーズであってもそこに「めぐる」を使うことで℃-uteを℃-uteたらしめる。同じ言葉でも伝わるものは違っていてそれぞれが意味を持つ。何を歌うかではなく誰が歌うかだから。

今聴けばこの3曲はいずれもまるで誰かに向けられたもののようだ。よく言われる「亜依と希美」、一人きりになって自分らしく生きる方法を探した「you」、℃-uteヲタでなくてもこの2文字には反応する「めぐ」。そして誰もいなくなった。

「I remember you いつまでも忘れない 季節は移り変わるけど」

季節は移り変わるけど、めぐる。
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2007年07月23日

ここに三曲を備へたり


11.わっきゃない(Z)
12.白いTOKYO
13.As One

セットリスト中盤、よくもこんだけ自分の好きな曲ばっかり固めたなーと思う。序盤に「大もて」「即抱き」があり、終盤には「通学ベクトル」から「JUMP」へと体力を奪うためだけに作られたような並べ方の中で、ここで休めるかといったらそんなことは全然なかった。特に「白いTOKYO」なんてイントロでもうお腹いっぱい妄想いっぱい。そこだけでまるで一つの曲のよう。シングルVは廃盤だとか。

℃-uteのコンサートでは中だるみなんてしたことがないのでわからないけど、もしそういうのがあるとしたら、それを防ぐためのアクセントとしてわっきゃのタップはあるのかもしれない。

しかもこの3曲はセットリストの中盤にあって、序盤と終盤の橋渡しをするという役割を背負いながらも、3曲という短い間隔でキューティーガールズとVTRに挟まれており一種独立した雰囲気を見せる。

そんな3曲に勝手な思いを込めて思いこみの物語を描いてみよう。まいまいが捕まえようとした出目金はめぐみたいとか言った手前それを敷衍すれば

「ならぬ!そんな簡単に投げ出してはなりませぬ!」

はどう考えてもめぐへ向けられている。

萩原「だってさぁ?存続希望のファンレター、いっぱい来てるんだよ?」

鈴木「そうなの?」

萩原「そんなみんなの期待に答えられないで、どーすんの?」

岡井「そうだよね!」

ホント、そうだよね!キューティーガールズ、永遠に℃-ute。

そして歌うのは℃-uteが一番最初にもらったオリジナル曲。2曲目のまっさら以降と違うのはこの時も7人だったということ。ここで客席の視線は足へ。スクリーンにも足が映し出される。視線は足に集中し、それは足元を見つめることでもある。℃-ute自身も前を向くでも後ろを振り返るでもなくただ自分の足元を見つめていた。歩みの止まったその足を。「また走っていけるだろうか」。℃-uteは迷う。

「こんな時マニュアルな〜んにも出てこない…」
「三日以内(D)覚悟を決めましょうよ」

地団駄を踏んでいた足並みが揃い、「わっきゃない(Z)=訳ないぜ(It's easy)」という結論に達した℃-uteはなお、さらなる艱難へと立ち向かわなければならなかった。「あこがれのデート まだお預け」だから、ツアータイトルに込められた願いはまだ果たされてはいない。

次はもう半分以上はめぐの曲だと言っちゃってもいいんじゃないかと思う。

「今日も好きだよ」
「ずっと大好き」

なぜならもっとも印象的なこのパートをもっとも印象的なソロカットで歌っていたのがめぐだから。これをどちらもまいまいが、そんな簡単に投げ出してはなりませぬ!と声高に叫んだまいまいが、やってしまったことはしょうがないけど辞めるのはズルいよ!過ちを取り返すためにもこれからも一緒にがんばろうよ!とそこまでは言ってないまいまいが歌うんだよ。たった一言だけの手紙はまいまいが書き換える。

「ずっと」が「ずっと」でなくなってしまった時に、まいまいはどんな思いをこの言葉に込めたんだろうね。

「ねえねえ、ちょっと質問してもいい?foreverってどういう意味だっけ?」

でもこの直前にまいまいは言っている。「あの夕陽に向かってキューティーガールズの永遠の絆を叫ぼう!」。意味はわかってるのに自分でそれに気付いていないだけ。

いつまでもめぐの歌にはしておけない。℃-uteがこれからも走っていくにはこの曲を乗り越えることが必要だった。急に走ろうっていうのは本気。そうしてこれは℃-uteの曲となった。℃-ute Ver.でPV撮り直してください。

最後に℃-uteはやっぱり一つになる。℃-uteは二つない。この7人以外は℃-uteじゃないと。東京は寂しさだって風景に変えちゃう。しょうがないとか言われた娘は風景に塗り込められて、ただ癒す時間は今終わった。

この3曲で℃-uteは覚悟を決めた。こじつければ(いつもこじつけだけど)曲順が11、12、13であるのは、910(旧℃-ute)からの続きだとも言える。ここからが本当の初デート。

とりあえず寿司を食べる。

そして初デートの時にはまだ言えなかった言葉がある。それはかつて8人目と言われた者から、今8人目と言われるようになった者への言葉。

「友達だよ あの人は」

「友達」だけど「あの人」と呼ぶ、複雑な微・少女心理。中盤を過ぎてもまだ思いは胸に残る。

学年一つ違う 一歳上のあの人…。
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2007年07月22日

四方四季から読み解く「めぐる恋の季節」PV Bめぐる時間の不可逆性


四方四季の庭に関して小松和彦が独創的な指摘をしている。

「これは私の想像であるが、春から夏、夏から秋、秋から冬という順に『四方四季の庭』を見ると、主人公が地上の一年を体験したことになる。とすると、逆に冬から秋といったように逆回りでこの『四方四季の庭』を見て回れば、時間をさかのぼることもできたのではなかろうか」

(前掲「神隠し」)

これこそ禁断の果実かもしれない。できることならあの℃-uteの日に帰ってみたい。もう一度見てみたい。せめて届かなくてもお別れを言いたい。

だけど今の℃-uteがあるのは全ての過去のおかげだから、これは禁断のままにしておこう。あの日に帰ったら今の℃-uteはないかもしれない。それはやだ。えーい、こんなもの悪書だ!悪いに書と書いて悪書だ!青少年には目の毒気!(※実際すばらしい著作です)

季節はめぐる。逆戻りしないでめぐる。PVの四方四季が無時間性を示しているとしても、背を向けることでそれは否定される。「どんな時も前向きだよ」とは時間の不可逆性を言わんとする。

むしろ四方の四季を見ているのは僕らだ。確かにそこは理想郷で、時間だって忘れてる。本当に四方を四季で囲まれたら、逃げ場がなくて太郎のように帰れなくなる。そういう意味では現場は異界だ。「後ろを向いたらそこが前」とか言ってちゃダメなんだな。

「過ぎる」のではなく「めぐる」のは、「もう一度やってくる」という意味があるから(卒業とか脱退がまためぐってくるのはもういいかげんに…)。時計の針は戻らないけど、一回りしてまた同じ時間はやってくる。

「めぐ」と読む「愛」はすなわち「めぐりあい」。きっとまた出会いがある。

例えば感謝祭の組分けで、本来二分できないものを+αを加えることで二つに分けることができる。櫛の歯が欠けるようにあったそこに加えられたのは全く同じではないけれど、欠けた歯と同じだけの時間を抱えた二人。

浦島はおみやげにもらった玉手箱を開けて老人となるけれど、自分も近々℃-uteからおみやげをもらうことになっている(と信じて疑わない。なんせ大量のハズレ券が…)。

来場者全員にプレゼントがあるよ♪
しかも!!!プレゼントは退場時にメンバーから手渡しされるよ♪♪♪
(「MAGICAL CUTIE 感謝祭」チラシ)

まさか開けるなとは言われないだろうけど、これはすぐに開けるべきだろうか?(開けなきゃもらったとは言わないよ)それとも開けずに余韻を楽しむべきか?(ヲタの習性永久保存)

一体どうすればいいんだ…。そうだ、とりあえずカメを助けるところから始めようか。そういえばきら☆レボにカメがいたっけ。カメ〜?どこ〜?カメを助けにきましたぁ〜。

浦島の玉手箱には時間が詰まっていた。℃-uteからもらうおみやげにもきっと楽しい思い出の時間が詰まっているはず。それは理想郷で忘れた時間。

「めぐる」のは時間を逆戻りすることでも、同じ時間を何度も過ごすことでもない。

「大人になった気がするよ」

気がするだけかもしれないけど、それくらいほんのちょっとかもしれないけど、大人になっている。愛の意味を教えてもらうのではなく、自分で考えてみるくらいには。

それは過去を振り返っているばかりでもなく、現在の刹那に執着するばかりでもなく、どんな時も前向きにめぐる季節をすごしているから。だからこそ僕は大人ではないのかもしれない。
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Cutie Diary 7月20日(金) 中島早貴


来たよー。ケロ来たよー、じゃなくてやっとなっきぃが来たよー。前髪下ろしてるよー。

今回はライブハウスやホールでやるんですケドなんと!!!
四国まで行っちゃいます↑↑

そうなんだってねー。四国行くんだってねー。僕は絶望的に行けないけどね!くっそぉー四国行きたいよ〜。シナリオはもうわかってる。どんなに水不足でも舞美が行くだけできっと雨が降る。それでもダメなら愛理が歌えばたちどころにるてるてずうぼがクラップしながら湧いて出る。その雨の恵みで育ったミカンをなっきぃが食べる。ミカンといえば愛媛だよー。四国行きたいよー。

そんなときはホラ、時刻表を開けばホラいつでもタダで脳内サーキット。四国は遠いなぁ。あれ?高松から東に行くこと10駅、「オレンジタウン」駅ってなんだこのパラダイス。

行きたいよー、しーこーくー。でもダメなんだ。金もないんだ。休みも取れないんだ。そもそも当選すらしていないんだ。金と時間と時の運、すべてが桎梏となって立ちはだかる。
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2007年07月21日

新ユニットBuono!(ボーノ)結成のお知らせ。


もしかして愛理はこれを知らせるために夢枕に立ってくれたの?それならそうと言ってほしいの。桃子はきっとなかよしのリアル読者なの。りぼんもちゃおも読んでると思うの。

そしてこれはアイドルの名を借りた、講談社を筆頭とする音羽グループと小学館を筆頭とする一ツ橋グループという出版界の竜虎が相討つ構図が垣間見えるの。でも大手版元は無駄に争わないからうまく住み分けを図ると思うの。両方推してる℃-uteはどちらにも便宜を図ってもらえるの。でも正直きらりには勝てないと思うの。

かつて1+1+1は少なくとも3以上にはなるだろうという、ごくまっとうな計算が成り立たなかったことがあるの。そうねぇ…実質2.5ぐらいだったの。グループは足し算じゃないの。そうなってはほしくないの。

新しいユニット名はBuono!なの。僕の見た夢は煩悩なの。


22番のnkzwがPK決めて日本勝ったよー!あれ?これって どこか で見た記憶が…。
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四方四季から読み解く「めぐる恋の季節」PV A禁忌の有無をめぐって


四方四季を同じくその構造に持つ昔話に「鶯の浄土」(IT86)と呼ばれる話型がある。「見るなの座敷」型とも言われ、座敷のほか倉であったり箪笥であったりに四季の風景や田んぼの四季の様子が収まっている。それを見てはいけないと言われていた主人公は結局その禁を破り、得たものを失うという話。


鶯の浄土(IT86)

若者が、祭りで見かけた美しい娘を見染めてあとをつけると、娘は野中の屋敷に入っていく。男は道に迷ったと偽って、一夜の宿を乞うと娘はこころよく承諾する。娘が、毎日ごちそうをふるまいもてなすので、男は帰ることも忘れてそこに留まる。

ある日、娘は若者に、四つ目の倉だけは見るな、と言い置いて出かける。若者は次々に倉を開けて四季の風景に見とれるうちに、四つ目の倉を開けてしまい、そこから鶯が跳びだす。

娘が戻り、姿を見られてしまったことを告げ、鶯となって飛び去ると、屋敷は消えて若者はもとの野中に立っている。

※適宜改行    (稲田浩二・稲田和子編「日本昔話ハンドブック」三省堂、2001)


面白いのは「見るなの座敷」型の昔話においても浦島説話においても共に禁忌を備えているということである。「見てはいけない」と「開けてはいけない」という。

結局のところ、めぐは禁忌となったのか?めぐを「語ってはいけない」のか?こちらとしてはそんなタブーがあっても当然破るけど、常識的に考えればメンバーがめぐを語ることはまずありえないに決まってる。

ただ脱退して間もないころ、ほんの少しだけ語られたことはあった。


矢島「で、まぁ、あと、めぐが…学校にね、専念するって言って…℃-uteを脱退しましたが…」

梅田「悲しかったねぇ…」


CD「〜キューティーぐだぐだクリスマス〜」


「かなしくって かなしくって かなしいとき 

 やっぱりかなしいって 私言うのかな」

やっぱりかなしいって私は言った。いなくなることへの悲しさとそしてたぶんそれをどうすることもできない悲しさに。

無くしそうに なった時に 初めて気づく 大事なそのコに

トがない。なくていい。だってそのコに科はないから。禁忌にはなっていないとそう確信する。「めぐ恋」の歌詞カードを見てみればちゃんと「愛」の上には読み仮名が振ってある。
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2007年07月20日

2007/7/20 【Gatas Brilhantes H.P.ファン交流イベント】 お台場・冒険ランド すかいらーくグループフットサルスタジアム


夢を見たの愛理の夢を。

愛理が妹になってる夢を見たの。なぜか仲の良い兄妹になってたの。「おにいちゃん」って呼ばれたいとかそんな願望は一切ないんだけど、これが深層心理ってやつなの?人間見たわ〜。無意識は怖いわ〜。

なんか向こうから抱きついてきたりするの。愛理が妹になるという設定以前にそんなに仲の良い兄妹なんて存在するのか疑問だけど、いいのこれは夢だから。全力で優しい兄を演じたの。もうかわいくてかわいくて、一緒に出かけようとしたら忘れ物したとか言ってなかなか戻ってこないと思ったら、部屋でそのまま寝ちゃってんの。もはやキャワキャワ。独占しちゃってサーセンなの。

でもそんな夢はいつまでも見ていられなくて、無意識は意識という時間に遮られるの。夢といえば悪夢しか見ないけど僕にもまだこんな清らかな心が残っていたとは。さすが寝る子はキュートなの。いい夢見たわ〜。

でも同時にこれは夢だなーと思った。こんな現実ありえないと思った。現実の愛理はペンギンのマネとかカッパのマネとか言動はイミフーだしそれでいてセンターのオーラはあるからなかなか近づきづらかったの。ちょっと前までの岡井ちゃんみたいになってたの。握手会でもほとんどまともに話したことなかったの。そんな愛理に会いに行くの。

ガッタスメン入場!…あれ?愛理どこ〜?考えてみれば今日は多くの学校で終業式っぽい。学校行ってるメンバーは午前中は来れないよなー、ってそれベリキュー全員じゃん。がくぅ〜…。勢いだけでチケも休みも取っちゃったよー。自分のバカバカ!ん〜…(2回目)って愛理にもたれかかる夢が見たいの。

入場してきたのは吉澤・藤本・石川・柴田・里田の5人。柴ちゃんとか久しぶりに見たの。藤本をまた見ることがあるとは思わなかったの。並べられていたイスは6脚。一つ余ったイスにはきっと学校から前髪を振り乱してダッシュで駆けつけるなっきぃが?それともテーブルに置かれたアイスカフェモカ(推定)を目指してまいまいが?淡い期待を抱いていたらイスは早々に取り除かれたの。リアルに誰かもう一人来る予定だったかもしれないの。

ガッタスカフェにグアバジュース置いてないとかどんだけー。お子さまカレーを一日おいたらお台場の暑さできっと腐る。でも名前を「次の日カレー」に変えるだけで(寝るキューヲタにだけ)バカ売れなのにね。

曇りかと思ったら晴れてきてなんかあっつい、あっつい、あっついの…。え?何?これって舞美がいないから?るてるてずうぼがいないから?HEY HEY 太陽に近づきすぎなの。このまま日が差す方へ進んでいったらがっつり日焼けしちゃうの。日差しが強いけどこのままのまんまでいいの?チッサー、今年も日焼け止め塗んなくていいの?

結局この文章にレポは一言もないの。だって℃-uteの℃の字も出なかったの。でも頭が℃の人はいたの。あとは吉澤が仙石ちゃん(エッグ)のキャラが面白いとか、KYな雅ヲタがいるだけだったの。熊井ちゃんはKYじゃないの。むしろ先にエンジョイって言っちゃうK太郎がKYなの。参戦数に数えていいかも微妙なの。
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2007年07月19日

ケロは死なず


このPV最大の見所はやはり後ろの黒板にあった。「かんな/さき」の相合い傘は右に下がる「さ」と「き」の下線、「な」の最後のトメを下方に伸ばす特徴からなっきぃの筆と見た。特に「な」は「byな」と比べるとその酷似は一目瞭然である。

栞菜はいち早く「早貴ちゃん」ではなく「なっきぃ」と呼び、なっきぃはかんなんと呼んだ「かんなん―なっきぃ」の仲であったのも今は昔。最近栞菜はやじうめに夢中。やっぱり同じ年なんだから学校の話とかしようよ!という涙ぐましいなっきぃからのアプローチ。だって他に同じ年は熊井ちゃんしかいないし…。しかも今だになかさきちゃんとか呼んでくるし…。でもメイキングのジャケ写撮影の最後では「栞菜が」なっきぃの手をひいていた。思いが通じた?メイキングの最後は二人のツーショットだったね。

そしてケロ!ケロ来たよー!生きてたよー!ケロ発見!最近ほとんど言わないので絶滅が心配されていたケロがビジュアルを伴って再び姿を現したよー。絶滅危惧種指定、解除でーす!ツボカビにはやられていなかったケロー!

「えだまめ」の上には「EMSACMK」と7人のイニシャル。夏夏のオープニングVTRでもやはり黒板に「SMCMMYR」があった。どうしてどちらもMがひとつ抜けてからイニシャルを並べたがるんだろう。もしかしたらもしかすると夏夏のオープニングを見てマネたのかもしれない。書いたのはえだまめと同じ白いチョークと高さから見て梅さんしかいない。ダテメガネ梅さんよかったわぁ〜。

ついでに言うと春先ごろに千聖が集めているといったダテメガネはやはり梅さんがしていたような縁の太いメガネのことであって、決して勉三さん(キテレツ)のようなぐるぐるビン底メガネのことではないんだと思う。どうしてもダテっていうとそっちの方を思い浮かべてしまうので。それはそれでかけてほしいけど。

メイキングの千聖が階段から降りてくるシーン、姿見に夏美が見える。白い服を着た夏美の後ろ姿。もう黒は着ないんだね。
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想い出はつくれずにハズレ券がいっぱい


ハズレ券がいっぱいだよ〜!わーいわーい。わーい…。

平日とはいえみんな横浜にブッこむことはわかってた。だから一番配分を多くしたんだけど、やっぱヒトケタとか問題外ですか?激戦になるのはわかっていたのに全公演申し込むとか手を広げすぎたよ。金もないのに。当たってから考えようといういかにもそのヲタ的な思考が災いしてしまった。…もう!自分のバカバカ!ん〜…。

でも考えようによっては、横浜が一番キャパが大きい。すなわちたくさんの人が来る。そうすればレポもたくさん上がってくるから情報量としては他の会場よりも多く得られる。行ければ全部行きたいけどどれか一つだけ行かないという選択をするならば、横浜が最もダメージが少ないのだ。

なるほどこれで納得。…するわっきゃない。横浜行かずにどこ行けと。次に近いのは名古屋?そこもハズれましたよ?いや名古屋なんかまだ近い。18きっぷで日帰りできる。遠くへ行くから遠征。でも広島2回目だけなんて行けないっす〜。むしろ横浜を2回まわしでしょー。2回目はもっとおいしいのにー。事務所の中の人は本当に何考えてるかわからん。

きついっす〜。よこはまー。行きたいよーよこはまー。ああ〜横浜がだんだん遠くなる〜。横浜が霞んでるよ〜。遠く霞んだ蜃気楼の先に見えたものは…やっぱりめぐだった。

羽ばたいて 羽ばたいて あんたって 遠くなっちゃうの?

めぐぅ〜。
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四方四季から読み解く「めぐる恋の季節」PV @無時間性の有無をめぐって


「めぐ恋」PVの背景に見えるのは四季の風景を描いたセット。その場にいながらにして四季の景色が見渡せるそれは、中世文学に多く見ることのできる「四季づくし」や「四方四季」と呼ばれる表現型式に類似している。

四方四季は主に庭などに四方に広がる四季の風景を語り倒すもので、現実離れした情景から多くは異界の象徴として解釈される。

なかでも人口に膾炙していたのは御伽草子「浦島太郎」に登場する四方四季で、太郎が竜宮で過ごす描写のほとんどはこの四方四季に終始している。誰もが思い浮かべる「タイやヒラメの舞い踊り」は、記紀にまで遡ることができる浦島説話にとってみれば唱歌に歌われた明治末からのいわば創造された伝統にすぎない。

その解釈においては、四方四季はその場が理想郷であることの表れとされ、しばしばその無時間性が問題となる。四季が一度に見られるような場所は現実ではない異界であって、時間という概念がない(季節が移ろわない)ためにいつでも四季が見られるのだと。こと浦島説話に関しては竜宮城との時間の齟齬が大きなテーマとなっているため、無時間性は必然的に重要な要素となる。

「そこが移ろう時間の存在しない世界つまり永遠の理想郷であることを象徴する様式としてあったとみなくてはならない」

(徳田和夫『お伽草子研究』三弥井書店、1988)

「四方四季の景が浦島物語(御伽草子)に受容されたのは、訪れた異界が時間のない世界であるということを語るためであり…」

「竜宮城にも四季はあるが、春夏秋冬はそれぞれ、部屋の四方の壁の窓に景色として同時に映っているのであって、季節から
季節への時間の流れはない」

(岸田秀「時間と空間の起源」『ものぐさ精神分析』中公文庫、1982)

また、小松和彦は四方四季の機能について言及している。

「この『四方四季の庭』を一回見ると、それで一年を瞬時に見る、つまり体験することになると考えられていたのである。(中略)『四方四季の庭』とは、人間の時間を早送りするための装置であったというわけである」

(小松和彦「神隠し」弘文堂、1991)

小松の言う機能に従えば、℃-uteは時間を早送りして歴史を身に纏おうとしてる( 「Berryz工房という空間、℃-uteという時間」 )とは言えまいか。

この四方四季の情景を見るうちに太郎は望郷の念にかられる。

「故郷の父母を見すて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば…」

(市古貞次校注「浦島太郎」『御伽草子(下)』岩波文庫、1986)

つまり太郎は四季の景色に見とれるうちに父母が恋しくなって帰りたいと願うのだ。これに対して℃-uteは四季を背にして歌い放つ。

「パパもママも知らない間に 僕らは恋を知るみたい」

四季に見とれるのではなくそれを背を向けて歌うということは、四方四季の表す無時間性を否定することになる。限定盤のCDには晴れマーク、通常盤には晴れと傘マーク雨(クネクネ)、そしてシングルVではまた晴れ。晴れも雨もあって季節だけではなく天候もめぐるし、「どんな時も朝が来る」ように昼と夜もめぐる。

つまりそこに無時間性はなく、時間は確実にめぐるということだ。

あのセットは℃-uteという時間を(未来も含めて)可視化したものだと言える。空疎な空間は背景の四季を、めぐる時間を際立たせる効果を持つ。必然的にあのスタジオには四方四季のセット以外には何も必要はなく、空間は不可視化されなければならなかった。

可視化されたその時間はメジャーデビューから始まるものであるけれど、あえてそれ以前に遡るとすれば、やじうめが傘をさすシーンと黒板に書かれた相合い傘は℃-uteの歴史には欠くことのできない負の記憶としてそれなりの読み方をすることもできる。

「時間は悔恨に発し、空間は屈辱に発する」
(岸田秀「時間と空間の起源」前掲)

めぐりめぐってたどり着いた℃-uteという時間は確かに悔恨に発している。メジャーデビューの春を遡ること、冬に入ろうかというあの日の悔恨に。
「無意識においては時間が存在しないことをフロイドは発見した。無意識にはいっさい、矛盾がなく、抑圧がなく、すべては可能であり、空間の障壁も存在しない。(中略)意識においてはじめて時間が現われる」

ならば時間とは制約であり、枷だ。時間があるということは矛盾があって抑圧があり、すべてが可能ではない世界だ。そういう世界に℃-uteは生きなければならない。

「BOY 意識をした時 なぜか照れくさいね」

「GIRL 明日も会いたい」

意識をすると照れくさいけど、そこから明日という時間が生まれる。意識して℃-uteを見ようと思った時、そこから℃-uteという時間が始まる。「無限なこの夢」も無限という時間。

いくら金をかけたかじゃなくて、そこから何を読み取るかだよね、ミヤブー!読み取るのはタダだしね。一泊2000円とかかからないから。いや、でもおかか・シャケ・葉唐辛子のおにぎりとか実際ノリマツとイシゾーが握ってたら2000円どころじゃないよな。一粒2000円でも食べたい。いつか本当にハロショで売りそうで怖い。写真付きで。幽霊より人間より事務所の中の人は怖いからな〜。
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めぐる恋の四季群像


BOY いつかの憧れ やっと叶えられる
GIRL 無限なこの夢
パパもママも知らない間に 僕らは恋を知るみたい

次々と季節が変わるこの場面は、そのまま℃-uteがたどってきた道になぞらえることができる。

いつかの憧れメジャーデビューをやっと叶えた春には桜が咲き、吹き荒れるのは初デートの意匠を模したハート。傘をさす梅雨の季節、いま僕らが好きな夏。そこに貫かれているのはピンク。桜の淡いピンクにピンクのビニール傘、おそらくはイチゴのカキ氷。

そして2番は℃-uteのこれから。秋から始まって期末テスト、冬へと季節が移り変わる。愛理と舞美のソロパートが秋なのは、夏が好きな僕らでもやがて秋が来るよというめぐる季節の定め。

どんな時も 朝が来るよ
まだ知らない 朝が来るよ

どんな時も 正直なら
胸を張って その先へ「All right 進んでけ!」

でも胸を張ってその先へ先へと進んでいけば、また夏は来る。

「桜チラリ」の時の舞美の言葉をそのままもういっちょう。

「今回の曲はいままでいただいたなかで、初めて季節が入ってるんですよ」

「kindai」2007年4月号

そして今回の曲は四つの季節を詰め込んでいて、それは℃-uteのこれまでとこれから。「即抱き」PVで9対10になったバスケのスコアのように、春の学校の時計も9:10をさしているべきかと思われるけど、そうでないのは910はまだまだこれからだから。
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2007年07月17日

花に℃-uteのたとえもあるぞ


℃-uteにはいつも花がある。春には桜、初夏にはガーベラ。初デートの初めと終わりの曲のときにはガーベラ模様の照明がステージを縦横無尽に照らしていた。まだ℃-uteになる前にはタンポポだったこともある。

そして「めぐ恋」では四季を織り込んでいるけれど「夏が好きな僕らだから」やっぱりひまわり。えりかも栞菜も花の名から名付けられた。花をぷーん。僕がもし三十六歌仙だったら(なんだそれ)絶対「花咲き(早貴)、散る里(千聖)」とか詠んでるね。

千聖のスカートにはただ見慣れないせいもあるだろうけどやっぱり違和感がある。それなのにどうしてスカートをはかれると中を見たくなってしまうんだろう。花びらが舞うようにスカートも舞う。どうしても中ばかり見ようとしてしまうけど、実はいざ見えた時のむなしさを知っている。本当にきれいなのはその手前にあって見過ごしているスカートなのかもしれない。散る花がきれいならばひらめくスカートもきっときれい。

スカートめくりという文化の継承者(もちろんバカヒロから)としてはこれはもうめくる恋の季節到来。うわ〜人間見たわ〜。そう!幽霊より人間の方が怖いんだから!痛っ!アイスペールで叩かないで!…いや叩いて?水着は借りてもタオルは貸さないそこの丸顔のお嬢さん!

花に嵐のたとえもあるが さよならだけが人生じゃない

それを教えてくれたのは℃-uteだった。さよならだけが人生ならば、僕の人生はとっくに終わってるから。

なっきぃは初デートで「一期一会」を説いていた。

ひとつひとつの出会いと、そして別れを大切に。


参考… 「ヨシザワヒトミテンペスト」


巷間にはリアルなフライングがあふれるなか、僕は発売日まで待てずにフラフラと魂を引き寄せられるようにしてゲットしてくる。
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2007年07月15日

「めぐる恋の季節」(Close-up Ver.)をめぐって


「桜チラリ」に比べると目まぐるしくソロカットが入れ替わる、限定盤特典の「めぐ恋」Close-up Ver.。その正確な把握のために該当部分の検証をしてみよう。

ユニゾンが多く、ソロパートを持つのは愛理と舞美しかいないことを考えれば、予想としては7人全員が公平に扱われつつもこの二人だけはやや飛び抜けた傾向を見せるのは想像に難くない。まずはソロカットの回数から。


「めぐる恋の季節」(Close-up Ver.)ソロカット数(全125カット)

鈴木 21回
矢島 20回
有原 19回
梅田 18回
中島 17回
岡井 16回
萩原 14回

予想通りに愛理と舞美がトップを占める。次いで栞菜が多いのは愛理とのノリマツ・イシゾー効果だろうか。


※ノリマツ・イシゾー効果(N.I.E.=Norimatsu-Ishizo Effect)

露出の多い愛理に便乗することで自らの露出を図る行為。「雅ちゃんと2ショットになることで画面に映るハピネスの舞波効果」とも言うが、長いしもういない人なので、そもそも舞波を知ってる人が少なくなってきているので使われることはない。
あるいは逆に愛理がうまく露出させていると捉えることもできる。その場合にはかつて身長を比べることで栞菜の露出を図り、ついに至らなかった者との対比が余儀なくされる。しかし単に「相乗効果でライバルいっぱい」と言えばいいような気もする。


全125カットを7人で等しく配分するとすれば、17.85…となり、一人当たり17、18カットは当然に与えられたものであると言える。±1は許容の範囲内であるなら、やはりトップ2の飛び抜けが目立つと同時に萩原の14回という数字がことさらに低い。理由はだいたい見当がつくのだが、もう少し詳細にカット数を追ってみることにしよう。

同じ1カットでもその時間には差が生ずる。そこで各カットをコマ送りしてそのコマ数を比較してみる。使用機種はパナソニックDMR-E80H(古っ!)。1秒間に60コマがあり、1コマ当たりは0.01666…秒となる。

パートごとのカット・コマ数は下表に譲るとして、ここではパートを考慮せずソロカットの順番とカット数のみを示す(数字がブレて見づらい点ご容赦ください)。


「めぐる恋の季節」(Close-up Ver.)ソロカットコマ数


矢島=Y
梅田=U
中島=N
鈴木=S
岡井=O
萩原=H
有原=A


S 54
Y 30
H 26
U 24
O 18
A 26
N 26

S 124
Y 144
A 54
H 50
N 100
U 98
O 100

A 100
Y 72
O 18
U 18
A 14
N 14
H 24
S 104
O 58
N 94
U 42
Y 38
A 60
S 72
A 208
S 146
U 158
Y 126
A 60
S 58
O 98
N 100
H 168
S 102
Y 104
U 100
A 98
N 94
H 116
O 100
A 92
Y 96
N 122
U 70
A 62
H 48
S 66
Y 40
U 36
S 182
A 64
O 26
N 40
U 86
Y 136
S 66
H 50
N 104
O 104
H 146
N 114
U 146
S 154
O 198
Y 110
N 100
A 124
Y 134
O 70
S 168
N 68
H 86
A 114
U 104
Y 196
O 188
S 486
Y 516
A 94
N 28
U 28
O 42
H 60
S 76
Y 76
U 100
N 58
H 52
Y 144
U 104
S 120
U 30
A 40
Y 42
O 22
S 52
H 50
N 100
A 154
S 64
O 140
Y 100
U 104
S 114
A 94
N 102
S 80
H 90
Y 74
O 66
U 90
A 44
N 40
Y 68
S 82
O 88
A 42
H 66
U 38
Y 38
S 202


ソロカットが現れる順番にこだわって見てみれば、前奏の7コマと歌い始めの7コマにおいては一人ずつ姿が見え、7コマを単位として一人ずつ登場するという規則性が見出せるものの、以降はそれも崩れている。全編を通じてなんらかの規則性を見出せるならば、それこそ「めぐる恋の季節」の「めぐる」たるゆえんになろう。しかし公式を使わずに解く数列の問題が唯一の得点源だった者としてはこれ以上は踏み込めないのだ。

PVは全3分20秒(200秒)であり、冒頭のタイトルクレジット(8秒間)を除いた本編は3分12秒(192秒)。「192秒×60コマ=11520」で理論上は11520コマ以上なくてはならないのだが、集計の結果は11448コマ。72コマ以上が不足している計算になる。機種性能の限界に由来する可能性もあり、あるいは集計時の計算ミスであるかもしれないが、全体から見たときに0.6%という数字は誤差としては適切な範囲内に収まるといってよいだろうか。したがって下記( )内のメンバー別秒数を集計した時にも191秒となり1秒が誤差となる。ひとつ余計なことを言えば集計した11448は8できれいに割り切れる。


「めぐる恋の季節」(Close-up Ver.)メンバー別総コマ数


鈴木 2572コマ(約43秒)
矢島 2284コマ(約38秒)
有原 1544コマ(約26秒)
梅田 1376コマ(約23秒)
中島 1304コマ(約22秒)
岡井 1336コマ(約22秒)
萩原 1032コマ(約17秒)

ソロパート部分の

鈴木 486コマ
矢島 516コマ

というコマ数の多さを除外してもやはり2トップの飛び抜けが目立つ。むしろコマ数で比較した方がその差はより開いている。全11448コマを平均すれば一人当たり1600コマ以上にはなる計算だがそれを上回るのは二人だけ。

最多の愛理と最少のまいまいを比較した時にはその差は2.5倍以上にもなり、これが一票の格差であれば衆議院なら違憲もあわやという数字である。まいまいヲタ提訴!みたいな。ただそこはきら☆ぴかという補償がなされているので訴えの利益はないから却下!みたいな。それなんて嗣永憲法?

ともかく明らかになるのは2トップの飛び抜けと萩原のカット数の少なさ。前者は予想の範囲内であり、後者についてもきら☆ぴかという説明がつく。では、その補償がない場合には萩原の立場はどうなるのだろうか。同様にClose-up Ver.を持つ「桜チラリ」を取り上げることでそれを検討してみよう。

「めぐ恋」でもわかるようにコマ数の多寡はソロカット数順位にはほぼ影響を与えないと思われるため、コマ数は除外し、ソロカットの順番と回数のみを対象にする(めんどくさいとも言う)。


「桜チラリ」(Close-up Ver.)ソロカット数

(※)はソロパート





S(※)

S(※)


YS
OH
UN
AS
Y(※)
S(※)









YS
OH
UN
AS
H(※)
S(※)












H(※)
S(※)


















2ショットの部分を除けばソロカットは全52回。

鈴木 11回
萩原 8回
矢島 7回
中島 7回
有原 7回
梅田 6回
岡井 6回


2トップ以外に唯一のソロパートを持っていることもあって萩原のソロカット数は鈴木に次いで第2位。少ないサンプルでの結果とはいえ、少なくとも他と比べて目立って少ないというわけではないのだ。

翻ってみれば「めぐ恋」での少なさはやはりきら☆ぴかに起因しているものだと見ることができる。ただ補償というと損失の穴埋め的なニュアンスがあるけど、「めぐ恋」のソロカット数を犠牲にしてもきら☆ぴかがいかにおいしいかは言うまでもない。

「桜チラリ」「めぐ恋」両者のソロカットはいずれも愛理で始まり舞美→愛理で終わっている。2トップの重みはそれを無くしそうになった時に初めて気づくのか。いや、もう充分わかっているから気づかなくていい。
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FLY HIGH


金曜ロードショーを見ていたことがバレバレの体で言えば、「飛べなくなる」という描写がされている点で「魔女の宅急便」は数あるジブリの「空を飛ぶ」ストーリーの中でもそれを核心的なモチーフとする作品だと思う。

ナウシカも空を飛びトトロも空を飛ぶ。パズーは落ちてくる少女シータを受け止めて物語が始まり、キキは落ちようとする少年トンボを拾い上げて物語が終わる。物語の始終と男女の逆転。一見飛びそうもない「耳をすませば」だって雫は夢の中で「飛ぼう!上昇気流をつかむのだ!」と言われて中空へと足を踏み出す。そこにいた男爵もまたネコであった。

その踏み出しが大人になるために越えなくてはならない壁へ向けたものだとすると、キキのそれはカゼをひいて寝込むことかもしれない。よくある死と再生に彩られる通過儀礼の構造へと展開するならば、寝ることは擬制的な死である。

さらに踏み込んで「寝る」を死の比喩的表現だとすれば「寝る子はキュートだなぁ」はたちまち駐在の一人芝居の様相を見せる。それでは急にドラマの方向性が変わるんだけど。

ジジは老犬に向かって「あの人が助けてくれたんだよ」と言う。ネコがイヌに「人」と言う。人獣の別がない世界。実際魔女の世界はそうなのかもしれない。あるいは明らかに紫であっても「黒い服」だと言う。もっとも色の識別には科学的な判断よりも民族固有の価値感が反映されるから、虹は二色だということさえある。

目に映らないすべてのこともメッセージ。

毎日もらった広告に、途中からは入ってなかったチラシ。そこでは℃-uteも空を飛んでいる。月みたいに風みたいに、羽のように夢のように。まさにキュート。


「茅奈の宅急便」 (2007/6/21)

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2007年07月09日

2007/7/8 「ハロモニ@」 ℃-ute新曲スタジオLIVE


これだよこれ!池袋で目の当たりにして今年の夏はこの曲と一緒に過ごそうって決めたんだよ!

なっきぃが初デート仕様のデコ全開だよ。いいのか?本当にそれでいいのか?なんか確変以前の顔がチラつくんだけどそれでいいんだね?それほどまでに前髪ウゼェってことなんだね。そこまでして歌とダンスに集中したいと。わかった!なっきぃについていくから!前髪をいじるなっきぃが見られなくてもこの夏は「めぐ恋」で駆け抜けるから!千聖のスカートが珍しいよ!

「いつかの憧れ やっと 叶えられる」

そこに立っていたのはアイドルになりたいと夢見たノリマツとイシゾーだった。あの時は「あこがれならばたくさんあるけど少しづつ叶えてく」と歌っていた二人。

「めぐる季節 愛はときに 近すぎても 気付かなくて」

めぐる「恋の」季節なのになんで「愛」が出てくるのか。近くにいた愛の何に気付かなかった?

「無くしそうに なった時に 初めて気づく 大事なそのコトに」

そして℃-uteは何に気づいたのか。「だいじ」なそれは「おおごと」でもあった。「無くしそうに」ということはまだ無くしてはいないのかもしれない。

「どんな時も前向きだよ」

だから後ろを振り返ってる場合じゃないんだけど、後ろを振り返ればそっちが前になるんだよ。だからどんな時も前向きだよ。

曲の終わりに寄り添う℃-ute。前列のまいまい―チッサー。中列で対称を成すかんなっきぃ。後列に控えるやじうめ。そこにはまたキューティーガールズがトライアングルを描き、ノリマツとイシゾーが、まゆちなが肩を並べる。全体としては愛理を囲むサーキット。そして歌うのは、無くしそうになった時に初めて気づく「愛」。7人で8人目を呼んでいる。

℃-uteは6回「めぐ」って言ってた。7回目はsheだから、逆回転してまためぐる。

めぐる季節に思いめぐらす愛のコト。

もう愛は「あい」とは読めない。

でっかい宇宙に愛がある。
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