2008年01月28日

call me please…


なぜいまだに熊井ちゃんはもはや蔑称にも近い「なかさきちゃん」と呼ぶのだろうか。それはすでにニックネームとして揺るぎなく定着してしまった「熊井ちゃん」ではなく「友理奈」と呼んでほしいから。という、この際どうだっていい一説。

熊井ちゃんが「なっきぃ」と呼べないのではなく、実はなっきぃの方がなかなか「友理奈」と呼べずにいるのではないか。なっきぃさえ友理奈と呼べば、熊井ちゃんはきっと応えてくれる。

「なぁに?なっきぃ」

なっきぃはなっきぃでこう思う。

「じゃあ先に熊井ちゃんがなっきぃって呼んでよ」

友理奈が先かなっきぃが先か。それは論理を超越した神秘。二人とも呼ぼうとは思っているのにいま一歩が踏み出せない。友理奈が「思い立ったら吉でっせ」(友理奈って呼んで)と言えば、なっきぃは「思い立ったが吉日」(そっちがなっきぃって呼んでよ=まず熊より始めよ)と言う。

結局どちらからも呼びかけることはせず、こうしてまた二人は夕焼け一本道を走り続ける。一本道なのになぜかすれ違いながら。二人の前にも後ろにも道はなく、二人の間に道ができる。

このエンジョイGIRLSめ!
posted by sleeping mizuki at 22:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

みんなのENJOY


ENJOY−ENJOYER−ENJOYEST!

ついにきたかっ!なかさきがエンジョイを唄う日が。

合コンで歌われるのはまず間違いない(根拠も何もないくせに)。当然、歌詞には「エンジョイ」が繰り返されるだろう。なっきぃのソロパートかもしれない。曲が終わると袖に控えていた熊井ちゃんがとっさにかみつこうとする。

でもあんなにリハーサルをやったのに、本番ではフライングしてしまう熊井ちゃん。気付いたときのその姿勢のまま、後ろ足で戻っていく熊井ちゃん。若さってなんだ?振り向かないことさ!熊井ちゃんの若さあふれる猛抗議。

「今エンジョイって言ってませんでした?それも何度も!私が先に言いたいんです!」

2006夏よみうりランドの再現。桃子も泣きながら小指を立てるだろう。

「みんなが先に言うなら私もうエンジョイって言わないから!」

すねる熊井ちゃん(キャワ)。

石屋にこもるぐさんしゃいんをよそに我先にと手を挙げるベリキュー。

徳永「じゃ私が言うから!私が!私が!ぎゃーすぎゃーす」
梅田「使ったタオルにエンジョイって書いたのは私よ」
矢島「私なんかクマの絵描いたし」
須藤「むしろ私が言うとゆいたいです」
岡井「桃ちゃん小指立ってるよ」
嗣永「何か問題でも?」
有原「私も言ってみるかんな〜」
中島「ニュースです!熊井ちゃんが地デジ対応のテレビにだけ映ってるんです!」
萩原「おっぺさないでー!」
全員「私が!私が!」

熊井「じゃあウチも…」
全員「どうぞどうぞ!」

石津「それでは2曲目!」
神崎(若)「熊井友理奈さんに…(泣)」
宮武「歌ってもらいましょう!」
全員「安心感!」

マイクを差し出す則松(彩)。2年ぶりの安心感ソロに友理奈はラッキー、ヲタはハッピー、サビからデュエットするのはなっきぃ。かくして幾度の返還要求もむなしくエンジョイの所在はうやむやにされる。

熊井ちゃんへのエンジョイ奉還はならず、エンジョイはみんなのものに。エンジョイのエンジョイによるエンジョイのための新曲はくまさきの、ベリキューの友情の証(だといいな)。衣装はクマの着ぐるみでお願いします。「どうぞどうぞ!」と天の石屋神話は状況的にとてもよく似ている(なんて言っちゃって!ホントは不安だけどね?)。

「訴えてやる!」

エンジョイの所有権をめぐって法廷に持ち込む熊井ちゃん。いつだって先に言われないように安心したいのよ。

中島「だいたいエンジョイは熊井ちゃんのものって誰が決めたの?根拠も何もないくせに!」

よりによってなかさきに、よりにもよって自分のパートで言い返される。その後、楽屋では商標登録申請手続きの説明をよく読む熊井ちゃんの姿が見られたとか。
posted by sleeping mizuki at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

名前に意味を

えー、天体図にもいろいろありまして…日本からはほとんど見えない南天に蜂座というのがある、いやあったそうです。ですがそれはすぐそばにカメレオン座があったことからハエ座と名を変えられたのです。もしも蜂座という名が今もまだあったならば、隣りのカメレオン座はかみのけ座があるくらいですから髪留め座とも呼ばれていたかもしれません。もちろんアンティークの。

星に例えるなら牽牛と織女。二人を分かつ天の川は水色の鏡か黄色いテープか。しかしチョウさんまで星にしてしまっては忍びないので、きっとあれから毎日夜空を眺めていたことにしましょう。星がたくさんありすぎてどの星になったのかはわからないから、あれかな?これかな?と探すのが高じてチョウさんは天文学者になるのでした。

そうしてやがて見つけた星に「ナツミ」と名付けるのです。その星は老年期である赤色巨星の一歩手前、人間でいえばそう、ちょうどオバさんくらいの年齢でしょうか。観測が終わると必ずちぎれるくらいに手を振るんだって。その場を離れるときには少し足を止めて、ちょっと後ろを振り返ってみるんだって。担いでいたあの大荷物は釣り竿じゃなくて天体望遠鏡だったとか。荷物はムダにたくさん持ってるわけじゃないとカリスマ占い師の娘さんもおっしゃっていましたし。

塩田さん!寝る子2の原案ができました。


【追記】(2008/1/29)

天文学とは
恋愛論の もうひとつの 呼び名なのです

寺山修司「愛の天文学」

posted by sleeping mizuki at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 【寝る子はキュート】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月24日

星に名前を


雪の振る街を、歩いてみようかと外へ出れば、でも雨ね、雪は正午すぎに雨へと変わったのだろう。

断片的には見返していたのだけど、買ったその日に一度だけ通して観たばかりだった「寝る子は℃-ute」を、いいかげん寝かせておくのもキリがないので最初から観てみる。観たくてしかたなかったくせに、大事なものほど心の中で大きくなりすぎて観れなくなってしまっていたけど、クマーの言葉を胸に、言葉にしておくために。

驚いたことにそこには夏の匂いがした。9月に観たときはまだ周りに夏の匂いを残していたからか気付かなかったそれを、東京に雪が降るという寒さの中ではっきりと嗅ぎ取ることができるくらいに。んー、したね!

むしろ9月に観たときには、これは劇場の全てを再現できるものではないと思っていた。めぐの声が聞こえたのも、本当の声は現場でしか聴くことができないという演者からのメッセージとさえ思ってた。DVDとして残されるなんていうのはあくまでも例外的なことで、演劇はやはり現場で見て感じなければ始まらないという。ところが時が経って、単なる記録装置だと思っていたものはいつの間にか記憶を呼び戻す装置へと変わっていた。

流れ星が夜空へ溶けていくシーンも、そのシーン自体を思い出すのではなくて、劇場で、イスに座って、少し見上げていた目線を、星を追ってさらにもう少し上へとやるその感覚を思い出させた。映像で見てもあの星は夏美だとは思えないけど、あの星を夏美だと思って見ていたことは思い出せる。

僕が星を見つけたら絶対にカンザキナツミと名付けるのに。現場用のチャラい双眼鏡でも見つかるものならば。でも「星が多すぎてどの星になったのかはわからない」、わからないままがいいのかもしれない。

昨年の大晦日とその前日には、毎日℃-uteに会える現実を消化しきれないもどかしさがよみがえった。言い換えればそれは明日も劇場に行けるという、劇場以外の場所で抱いた思いだったのだけど、この水色の円盤はまさに劇場で、劇場のイスに座っていたあの時の感覚をよみがえらせる。

劇場に駆けつけて開演を待っているわずかな時間、劇中へと誘うきらめく暗転に身を任せている瞬間、それがどんなに幸せであるのかはのちのちに知るのだろうと思っていた通りに今知った。


(参考1)

「Berryz工房 起立!礼!着席!」#195(2007/12/25)

クマー「それじゃダメなのよ!はっきり言わなきゃいけないの。大事なことであればあるほど、ちゃんと言葉にしないと伝わらないのよ!」

(参考2)

「新潟県神林村が、小惑星の名前に」
posted by sleeping mizuki at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 【寝る子はキュート】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月21日

それってなにベクトル? 〜通学ベクトル異考〜


亨「小さい頃、試合会場に連れていくと、クラブハウスのロビーで歌っている子供がいて、あわてて見に行くと3歳の愛理だった、なんてこともあったくらい昔から歌うことが大好きでした」

「ALBA」2008/1/24号

はーなるほどねー、クラブハウスでねー、愛理が歌っていたと。…それなんてソロコンサート?しかも各地のゴルフ場を転戦していたのならもはやどっちのツアーだよ!そんなところで歌い出すというからには、ここで歌ってないはずはない。

「時に、クラブハウスは住民のコミュニティハウスとしても利用されます。ゴルフだけでなくパーティや音楽会が開かれたり、会合などで食事だけ利用される方もいらっしゃいます」

『週刊ダイヤモンド』2008/1/19号
「ハーフターンの愉しみ」第39回 季美の森ゴルフ倶楽部

これはそもそも写真付きで紹介されてる「ミナミ鮪の大トロ刺身御膳」の記事なんだけど…

音楽会が開かれたり、
音楽会が開かれたり、
音楽会が開かれたり、



実質、音楽会という名のソロコンサートだろう。くそぅ!上流階級だけ良い思いしやがって!愛理はクラブハウスでソロコンサート、栞菜は楽屋で一人コンサート。一人コンサートってなんか寂しい響きだね、栞菜。いつか大トロ御膳で青春LOVEランチは庶民の夢!(ワサビは栞菜へ)とりあえず次のくいしんBuono!はこれで。こうなったら僕も仕事中にカッパ・クリエイト株買って大儲けしてやるから!これぞ世にいう恋のインサイダー。

通学ベクトルにある傘マークの柄はなぜ「し」の字形ではなく「J」字形なのか。長らく疑問に思っていたどうでもいい謎が今ようやく解けた。「亨」という文字を拡大してずっと見つめてみよう(10時間ぐらい)。最後のハネは左上方に向かって「J」字を描く。まさしくこの傘マークは「亨」が抽象化されたものだったのだ。歌詞中にはママしか出てこないのも不自然だったが、ここにパパがしかも実の父が暗号化されていたのだ(通学ベクトル亨)。

だとすれば(するなよ)、私のいい人を連れて来るだけでなく同時にくせ毛をくねくねさせてしまうという、曲中で繰り広げられる雨に対する背反した心情は、そのまま思春期特有の父親への微妙な感情を表しているとみえる。反抗期っていうほど反抗はしないけど、写真集持ってニヤけてる親バカぶりだけは見てらんない。好きとも嫌いとも言えない相矛盾した思いを抱えた「乖離する愛理」とかいって!

キューティー一問一答がまたあるならば絶対こう聞く。

「お父さんは写真集を見てなんていってましたか?」

岡井「あのお父さん?w」

いつか亨の写真集を手に持った愛理が「バカ親だけどよろしく!」と言ってサインする日を夢見て。亨のサイン入りの愛理写真集と、愛理のサイン入りの亨写真集ってどっちを欲しがればいいんだろう。前者は少なくともこの世に一冊はあるけど、後者はまだ写真集すらないということを考えれば答えは自ずと。

亨は記号化されてタイトルに潜んでいただけじゃなく、いつもその名を呼ばれてた。

どうか会えますように〜 通学べくとぉ〜る♪


(参考1)

池田晶子「睥睨するヘーゲル」講談社、1997(未読)

(参考2)

2007/10/31『くいしんBuono!』鈴木愛理「ぅ〜ん♪Delicious ★」

え〜上に見えますのが・・・
海鮮弁当・・・ぁ海鮮弁当でございます(^^)ワハッ
これは℃-uteのライブツアーの最終日に札幌へ行った時に食べたお弁当です♪
いか・えび・鮪・サーモン・いくら・・・・・そしてきゅうり!(中略)

ちなみに、私はわさびが苦手なのでッ((汗
栞菜ちゃんに食べてもらいました(^o^;)

付け加えるべきは、栞菜はワサビが苦手ではないということ。さすがホタテのサビ抜きとか言ってる奴とは違って大人だね、かんにゃ。

(参考3)

「ミナミ鮪の大トロ刺身御膳」(上記「週刊ダイヤモンド」より。※は引用者注)

「マグロ好きにはたまらない、大トロと中トロのコンビネーション(※わたしが大なら、きみは中)。刺し身は7枚付くが(※℃-uteの象徴)、好みに応じて『大トロ(※前列)のみ』や『中トロ(※後列)のみ』という、わがままなオーダー(※グァバジュースの方とアイスショコラの方)にも応えてくれる(※仕事は愛)。ほのかな(※砂糖ごはんの)甘味ととろける舌触り(※気付いてない)をご堪能あれ。2415円(※0円て書いとこうか)」

もはや元の記事がなんだかよくわかりません。ありがとうございました。
posted by sleeping mizuki at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

愛理神の子カッパの子


かつて聞いた箴言に「愛理は神の子、亨は神の子の父」というようなのがあって、「神の子」だけならなんとなく納得できるけど(?)、「神の子の父」と言われたときに「神の子の父は神じゃないの?」と思わず思わずにいられない。

「神の子」だけではなく「神の子の父」と言ったときに、事実として亨の子であり言説として神の子でもある二重性という形で姿を表す愛理の神秘性がそこに潜む。親子関係すら超越する次元から愛理は来たと。亨の子として生まれた神の子愛理。

芥川が描く「河童」の世界では、子ガッパは出産に際して自分が生まれてくるかどうかを選択できる。愛理は何の意志によって生まれてきたんだろう。僕らの永遠の夢年末ジャンボ3億円をダブルスコアで上回る賞金をすでに獲得している鈴木家だったら僕も生まれてみたいのに。たとえ家族がカッパでも。

自分の娘がアイドルであることを楽しんでいるような亨の姿を見ると、それは親子という関係から一歩離れてアイドルを見ているようでもあり、親子関係から離れた愛理は人間からなんて生まれないかのように神々しく、親が許していないはずの水着姿もこれはやはり神が許したもうたのだ。ただし神の子と言われることにはすでにフォーマットが存在していたようだ。

「YAHOO!知恵袋」

山本KID徳郁選手が「神の子」と名乗っている事についての質問です。

山本KID徳郁選手が「神の子」という事は
山本美優さんと山本聖子さんも神の子という事でしょうか?
父親の郁栄さんが格闘技の神であるという事で宜しいでしょうか?


ベストアンサーに選ばれた回答

回答日時: 2006/8/9 07:24:31
編集日時: 2006/8/9 07:33:21
回答番号: 30,223,615

質問者さんの質問はそんなことは承知の上の皮肉だろうが、世の中には本当に「父の山本郁栄が格闘技の神様だから、その息子の俺は神の子」という意味でKIDが神の子と自称している・・・と思っている人もいるようである。だが、KID自身はそのようなことを言った事はない。「格闘の神様の子供、俺は。神の子」と発言したことはあるが、それはあくまで「格闘技の神様の申し子」的な意味あいであり、神の子であるイエス・キリストの父ヨセフが神ではないのと同様に、KIDいうところの“格闘技の神様”が父親のことを言っている訳ではない。
故に、山本美優は神の子ではなく「神の子の姉」山本聖子も神の子ではなく「神の子の妹」父・山本郁栄は神ではなく「神の子の父」

論理的に間違っている真実もあるということか。事実と言説の狭間に真実はある。愛理が神の子ならばその神は何の神なのかといえば、カッパの神をおいて他にないだろう。そもそもカッパは水神の零落した姿ともいわれる。親子関係から外れる、そこから始まる神秘としての愛理が抱える系譜はカッパとして世に顕現する(分析不能)。この畏き現人河童め!

神の子問題に際して考えなければならないのは、同時に神そのものも存在しうるということだ。かつて「菅谷梨沙子は神」と断じられたその人がいるように。梨沙子は神で愛理は神の子。神と神の子が同学年というこの堂々たる矛盾が見せる何と豊かな言説可能性(好き勝手言える雰囲気)の広がり。そこに犬の子が加わった中一トリオはまさに神!合コンでちょっと一曲聴きたい組み合わせ。3人だからベタに「僕らの輝き」?今度はもう一人増やして「通ベク」?それともあぁ!?裏Buono!?「!」と「?」が隣り合う見づらい表記に「あぁ!」にも「Buono!」にも「!」がついていることに気付く。

アイドルに神が降りてきているのかアイドル自身が神なのか。これは統治の由来を神から授かった王権に求める王権神授説を理論的背景としたヨーロッパの絶対王政と、天皇自身が神とされる近代日本の天皇制にも対比させることができる(とか好き勝手言える雰囲気)。

たとえばうたた寝しているとき頭をぶつけて目を覚ます梨沙子。寝ている梨沙子と目を覚ました梨沙子は何が違うのか。あの寄りかかった後ろの柱が依代となって何かが梨沙子に降りていったようにも、頭をぶつけた瞬間にそこから何かが柱を伝って逃げていったようにも思えて不思議で不思議でたまらない。

神はいるかいないのかではなく、どこにいるのかが問題だ。笑顔の神様(魅力をください)とか、くせ毛をくねくねさせる意地悪な神様(でも雨ね)とか、八百万の神がいるように神の子もいっぱいいる。ののたんが奇跡ならば、奇跡の子が実際に存在しているという奇跡もあるように。


posted by sleeping mizuki at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

℃-ute ニューシングル『LALALA 幸せの歌』発売決定!


ハロプロ背負ってんな!
posted by sleeping mizuki at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

チーズに見つける矛盾  contradiction in cheese


有原「この前、千聖に『サラダ取って来てもらっても良い?』と言われたので、取りに行ったんです。それでドレッシングに悩んで、シーザーサラダドレッシングにチーズをかけて千聖にあげたら、『チーズ無理なのー。。』って言われて……千聖っ! ごめんね。。(笑)」

「B.L.T.」2008年1月号

岡井「昨日はぁ、大阪のお好み焼き食べました。それで、チーズとおもちが入ってるやつが一番おいしかったです」

DVD「Cutie Cercuit 2007」8月21日 大阪なんばHatch

ダリのやわらかい時計≠ヘ溶けるチーズを見てのひらめきだという。今ここで言われるチーズからはどうやら矛盾らしきものを見つけることができ、それが本当に矛盾であるのかをいつか確かめてみたいと思う。

もっとも、これは辻だったと思うけど、牛乳のどこが嫌いかと聞かれて「白いところ」と答えるからには「白くない牛乳は飲める」ということで、実際イチゴミルクなら何の問題もなく飲めるらしい。白色恐怖症なんていうものはないとしても、イカでも米でも白い食べ物はいくらでもあるわけで、それらが全部嫌いというのでなければ、きっと牛乳の色と味が本人の許容範囲を越えてアンバランスなんだろう(イチゴミルクの味でも色が白ければ飲めないのか?)

千聖もあるいは「溶けたチーズなら食べられる」という嗜好を持っていて、上の両記事は矛盾するものではなく合理的に説明できるのかもしれない。またはこの短期間のうちに食べられるようになった。熊井ちゃんも嫌いだったチーズケーキを最近食べれるようになったって言ってたし。

嫌いなのか好きなのか千聖に聞いてみようとしていたら、直前のカッパについつい話しかけてしまい、反応を聞き逃したあげく千聖の前であばばって右から左へ押し流され、まいまいの冷たい目線に耐えながらやっとたどりついた栞菜には目も合わせてもらえない、そんないつもの握手会にまた行きたいです。栞菜に目を反らされる自分に乙栞菜。「がんばって」と言いながら自分ががんばる自己矛盾。

【追記】(2008/6/1)

「でも私、チーズはとろけるチーズしか食べられないんです…」

―秋山ゆりか「B.L.T.」2008年7月号

こういう嗜好も本当にあるんですね。最近はチーズといったらDAWAちゃんの捨て犬が気になってしょうがない。

posted by sleeping mizuki at 23:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月12日

ロボキッスに口よせて


辻加護にしろとっくまにしろこの曲を歌う二人には双子であるかはともかく何らかの同質性が求められている(と勝手に思っている)のだけど、さゆと梨沙子にある同質性とはいったい何なのだろうか。しかしそれを知るにはあまりにも二人を知らなすぎる。身長は同じくらいなのかな。逆に身長が同じというだけで選ばれている可能性もなくはない。

ただその場ではさゆの空気入れの所作には加護とは違う何かを感じたし、梨沙子には決定的に違う何かを特には感じなかった。それを何と言ったらよいのか、まさに言葉足らずMyハート。一回見たぐらいじゃ答えなんて見つかんなかった。

Wの二人を特徴付けるのは、対称的な同質性とその先にある「でもやっぱり違う」。NSは非対称に見えるその奥にある同質性。「色即是空、空即是色」のように逆もまた真ならば「双子じゃないのに双子みたい」は同時に「双子みたいだけど双子じゃない」ことをも意味しているといえる。

(いったい両者にみえる「青と赤」はどこからきているのか。卒業の門出に二つのUを形作った統合の象徴としての青と赤は、NSにあっては「合わないセンス」といわれる。ロボキッスの青と赤が二色のサイリウムからきている可能性を感じるとともに、NSの青と赤は前者へのオマージュに見えて実は単に磁石の青と赤だったりするのではないかとも思う。WとNSというユニット自体の関係は、WでもNSでもないということだ)

加護がいれば辻は結婚していなかったと思う。辻にとってはきっと男か女かよりも一人か一人じゃないかの方が大事だったんだと思う。「ずっと先の話と思ってた」なのに、誕生日が来るかのようにあっさりと行ってしまった。

実父の件で加護が写真週刊誌に取材されたとき、その隣にはなぜかついてきた辻がいたのだけど、父親の影を求めたのか加護は辻のついていけない場所へといってしまい、辻もまた僕らの目が届かない場所へといってしまい、今ではもう見切れた姿さえ見せてくれなくなった。

好き好きっす キスはひとりじゃ
好き好きっす 誰も出来ません

曲の途中だったか終わりだったか梨沙子は(おそらくさゆも)投げキッスをしていて、これはオリジナルでは見た記憶がなかった(ハロパは未見)。そして投げキッスをしている梨沙子は少なくともその瞬間はロボットではないと思った。でもそうするとその前はロボットだったのかよっていうパラドクス。キスはひとりじゃ出来ないのなら、辻は投げキッスをしてくれればよかったのに。

なんにせよ「曲は死なない」ということが証明された。当然にそこには「(Wは死んでも)」という意味合いが含まれてしまうのだけど。この曲にとっての不幸はきちんと引き継ぐ機会がなかったということ。ハイスコアの辻加護からとっくまへと歌い継がれるシーンを、今はただ時代の移り変わらんとする残酷なターニングポイントであったと見るしかない。そこで起きていたことを現在的な視点で捉え直せば、批判的に継承するということになるだろう。

結局思い出すのは昔のことばかり。さゆと梨沙子のロボキッスをいつか振り返ることもあるんだろうか。


【追記】(2008/1/15)

二人とも「さ」の付くチームとか、きっとそんなのだ。
posted by sleeping mizuki at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

菌賀新年


元旦の朝目覚めたらインフルエンザにかかっているという悲劇。これはもしや熊井ちゃんを愛知欠席に追い込んだという熊インフルエンザ。恐れをなしてはみたもののここ数ヶ月は熊井ちゃんの姿を見てもいないから感染しようもないし。それにしても熊から人へはうつるはずのないインフルエンザが熊井ちゃんを介して伝染するなんて恐ろしいね熊井ちゃん。クマはイヤだねぇ、クマは。

腹が減ってるのに食べる気力もないとき、病床にあって寝ながら口にできる冬の食べ物といえばミカン。1日3コは食べたよなっきぃ。ミカンは生命力の象徴だというつんく語をここで理解。皮を剥いたのに食べきれないミカンを翌日の朝食べるという「次の日ミカン」も久しぶりに体験。ジューシーな果肉にガビガビになった薄皮が…まずっ!めちゃめちゃまずっ!

億単位の金が転がり込んでくる予定も水の泡と消え、エンジョイには程遠い新年のスタート。今日から今年、いやむしろ新年はまだ明けていない体で。気分はまだまだ放課後。やり残したことがあるためにまだ年が明けていないというなら僕にはまだ2006年も来ていない、とかいって!(舞波舞波)

℃-uteのレコ大最優秀新人賞受賞がまるで昨日のできごとのよう(ずっとぶっ倒れてたからね)。元日の記憶はありません。何この寝正月。インフルエンザで寝てる子は全然キュートじゃない。そんな中でも初夢はチッサーとキス。これが本当だからまたキモい。なぜあっすーじゃなかったのかと自分で自分を問い詰めたい。賀正じゃなくて臥床だね!とか言えるくらいまでには回復。

もはやレコ大最優秀新人歌手となったなかさき。これで熊井ちゃんに勝てないのは身長とソロ写真集だけ。身長は勝たなくてもいいとして、今年こそはケロ図鑑を手にすることができるよう願います!その間カッパ図鑑は5冊くらい出てそうだね。オールシーズン制覇しちゃって!カッパ図鑑コンプの特典でもいいからなかさきソロを!自分で作る写真集になんて騙されないから!

そしていつになったら熊井ちゃんはクマの着ぐるみを着て「エンジョ〜イ!」って言ってくれるのか、毎年待ってます。このエンジョイ熊め!

posted by sleeping mizuki at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする