2008年04月30日

歌い切るという力


歌い終わって階段を昇りながら振り返った梨沙子は歯を見せて満面の笑み。この曲には少し似つかわしくないほどの、憂いのない笑顔。梨沙子が昇る階段は、全て大人の階段に見える。メンバーは梨沙子を置いて先に昇って行った。

梨沙子は見事に歌い上げた。声がぶれない。「それが女よ」言い切るという力。少し怒鳴りすぎかもしれない腹の底から響く声は、腹の底へと響いて伝わる。どうだと言わんばかりに自信に満ちあふれて見えた。

そのとき会場からひときわ大きな歓声。双眼鏡を外してみると、愛理がステージに降りてくるところ。あの歓声は歌い切った梨沙子へ向けられたのか、登場した愛理へのものだったのか。おそらくは分かちがたく両方。でも僕が見ていた景色は双眼鏡の中にいる梨沙子だけだったので、とりあえずあれは全て梨沙子に向けられていたものだとしておこう。今日だけごめんねカッパちゃん。
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ももちチラリ


「もうすぐコンサートは終わってしまいますが、今夜また夢の中でお会いしましょう」

桜のあるときには歌わずに、ないときには「会場のみなさんと私たちの桜は今が満開です」と言って歌う。なんだかもうこの曲は、寝るキュー然り、ないものを見る曲になっている。

ないものを見るからどこにでも当てはまる。ももちはこの歌詞にそっと意味を忍ばせていた。

「夢を見たわあなたの夢」
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くまさき開始のお知らせ


恋に愛と書いて恋愛。大恋愛の1ベルが鳴り、栞菜が0ズレ。その後ほどなくして梨沙子パート「キスした後に答えて」に骨抜き。「キスした後に」って、キスはこっちがすればいいの?それとも梨沙子がしてくれるの?なんでも答えるからキスしてくださいってかんじだよね、まったくもう。

とかいってしばらく見とれていたらくまさきが大変なことに。スッペで見合ってハイタッチ(熊井ちゃんにはロータッチ)。これを、この姿を見るためにくまさきヲタをやってきた。なかさきも今日ばかりはストップなんて言わない。言わせない。全てはこの日のためにとっておいたのだから。二人で手と手合わせて、歴史に残るコンにしようよ。

二人は何か、見つめあって何か言葉を交わしていた。脳内に音声が聞こえてくるスイッチON式読唇術をもってしても、その言葉はわからなかった。そうだ、今度30秒ぐらい粘れる握手会があったら、あのとき何を言っていたのか聞いてみよう(一生無理)。
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グリーンはピリリまで?


Berryz仮面「これでもくらえー!『ピリリと行こう!』」
ドエーム「お前らの攻撃は全然きかぬわぁ!あー気持ちいー」
ドエーム「ところでBerryzグリーン、なんでもお前はこの曲までなんだってな」
グリーン「そんなことはない!誰がそんなことを!」
ドエーム「ほら今日もあっちのサイトこっちのブログ、あんな掲示板やこんな悪口サイトにピリリまでピリリまでって(カタカタ)」
グリーン「(カタカタ)って…言ってるそばから書き込むとは…さてはお前nkskだな!」
nksk「ちっ!バレたか。しかしお前もこれで終わりだ!グリーンはピリリまでぇ〜!」
グリーン「うるさい!うるさい!グリーンベアーカッター!」

さて地球の運命やいかに。味方に敵が潜んでいるのはよくある話。そのころ本当のドエームはミカン畑で強制労働。

【追記】

「グリーンはピリリまでって、自分もグリーンじゃないかぁ!」
「ああ〜!しまったケロ〜!」

熊パンチ炸裂。
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御統のチョベリパイ


中島「差し入れのイチゴパイを取り合ってすでにバトルでした」

2008/4/20「Berryz工房&℃-ute 仲良しバトルコンサートツアー2008春」横浜アリーナ(朝)

イチゴを食べたら舞波に連絡することになっているはずの熊井ちゃんは、残念ながら一向にその様子が見られないので、ここでバトルしていたのは、アップルパイをパクついていた雅ちゃんあたりではないだろうか。

なかなか連絡が来ないので、食べろとばかりにイチゴを差し入れする舞波。喜んで食べようとする千聖のイチゴを雅ちゃんが横取り。その仕返しになかさきが奪い返す。

夏焼「ちょ、何すんの!nkskのくせに!」
中島「そっちが先にとったんでしょ!」
夏焼「これ千聖にもらったんだけど。ロビケロは黙っててよ」
中島「千聖あげたって言ってないし。ロビケロバカにすると新垣さん怖いよ?」
夏焼「藤本さんもリアルに怖いけど何か?」
矢島「二人ともやめなよ!で、舞波って誰だっけ?」

オリンピックのいねむり種目でメダル確実として称賛されるのび太。「眠りながら戦争はできない」。世界中が舞美であっても争いは起きない。「忘れながら戦争はできない」から。その代わり別の理由で、戦争するよりも早く地球は滅ぶと思う。

キッズ統合の象徴「がんばっちゃえ」はベリキューの象徴として「甘えちゃえ」に統合される。それがチョベリパイ編曲の酒井ミキオ先生の手になる曲だということを知っての差し入れとは、どこぞのキッズヲタであるか。

結局、熊井ちゃんはイチゴを食べる気なんて全然ない。nkskに対抗するためだけに食べもしないイチゴパイを取り合っていた可能性はあると信じる。信じて悪いことないし。

(参考)

ホントどれもおいしかったんですけど、その中でもアップルパイみたいなケーキがあったんです(^O^)
で雅が気に入ったのがそのケーキでーす☆〃

2008/4/22『くいしんBuono!』夏焼雅「4種類のケーキだよ☆」
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2008/4/24 【島国日本演劇祭 大人の麦茶「美女木ジャンクション」】 池袋あうるすぽっと


ベリキューコンの最中だって、きっかがメガネをかけてることとオトムギ公演は忘れちゃいけない。浮気ならそれなりに許すって℃-uteのみんなも言ってるし。「平日なのにおまいら仕事は?」はベリキューエッグ寝る子ヲタ共通の合言葉。

この二人の演技を観るのが初めてなんて、なんてもったいないことをしていたのか。「忙しかったから」なんてそんな言い訳、パーカーについたハチぐらいどうでもいい。そのパーカーを捨てるくらい、過ぎた時間がもったいない。

スタッフが寝るキューと同じだったというサバチャンよりも寝るキューに近かった。そんな基準もどうかと思うけど、それはやはりゆうかのんの二人に負うところが大きい。年頃の少女が相応に役を与えられて出演するだけで、舞台の雰囲気は大きく変わる。この二人がそれなりにクライマックスのシーンでそれなりにしゃべっているだけで、大人の役者には出せない空気を出していると、特にサバチャンと比較して思う。それはキャリアや演技力とはまた別で、ある意味反則なのかもしれない。と言っても、二人ともキャリアも演技力もすでに兼ね備えている。

二人がそれだけ舞台上の大きな位置を占められたのは、塩田さんが当て書きをしたことにもあるのだと思う。乃里子は花音のように大人びているし、ヒロはゆうかりんのように大人しいけどしっかりしている。雷を予知していたのではないかとされる、ちょっと神秘な香りのするところもヒロと憂佳は似ている。乃里子が「のんたん」と呼ばれるのは、間違いなく親目線だ。ヒロの「ってゆうかぁ」も意図的と思われる。〜だろうか口調がやけにハマっていた。

「子どもの瞳には未来が映っている。未来と一緒に、その瞳を覗き込む俺たちも映っている。瞳に映るような俺たちでいようぜ」

新人公演の「ここいる」で、もみくちゃにされながら必死にこみねっちを見ていたときに感じたのはこういうことだったんだ。自分にはこの隙間から確かにこみねっちが見えているけど、こみねっちにはたぶん僕は見えていない、だいたい想像はつくけど、こみねっちにはどんな景色が見えているのだろうって。その瞳に自分が映っていることが怖かったのか。かんにゃの瞳にはいつも映っていない気がするんだけど。目の前を通っているのに。

どうして大人になると人は寂しくなって誰かとずっといっしょにいたくなるんだろう、とゆうかのんは言っていた。なんだか結婚したくなってきたなぁ。ゆうかりんと。蝶野のおじさんがカモメさんに告白したのは、年の差があっても年を取れば大丈夫ってことだよね?10歳と30歳はマズいけど、20と40ならいんじゃね?みたいな。というわけだからあと10年待っててゆうかりん!

「女の子は苗字が変わってしまうから、今から下の名前で呼ぶようにしておきなさい」

熊井ちゃん…。しみハムとか嗣さんとか夏ちゅとかお鈴(現MCカッパー)とかアリカンとかやじうめとかとっくまとか全部ダメじゃん。結婚なんてしなければいいんだよ。その点「ののたん」とか「かおりん」は変わらないね。「あいぼん」は結婚はしていないけど、別の意味でそうは呼べなくなった。「ミキティ」はいつしても大丈夫だね。「なっきぃ」および「なかさき」はどうなるんだろう。結婚しても舞波って呼ぶからね。

「世界を変えるんじゃない。世界観を変えるんだ」

変わらない世界を、世界観を変えることによって変わったように思い込む。社会に出てぶつかった現実の壁への対処法。こうして世界は何も変わらずに、自分を変えてただ状況を迎合する。社会へ出るというただ一点で交わった自分と世界は、その後はそれぞれの道を行き、決して交わることはない。ま、僕が考えたんだけどね。

僕は藤子不二雄の担当編集になるのが夢だったよ。激務だろうけど、それなら命削ってもかまわない。でも好きなるがゆえに仕事にしたくもあり、好きなるがゆえにまた仕事にはしたくもない。どっちかを決める前に夢はなくなってしまいました。先生に代わる人はいません。

三作品目にしてなんとなく塩田脚本の特徴もつかめてきた。全体としてまとまっていない分、一貫したメッセージは読み取りにくいけど、挿話的な一つ一つのシーンが胸に残る。だからなのか、この人という主人公を決めにくい。普通に考えればあらすじの一人称トーマスになるのだろうけど、ゆううかのんが主役であってもそう見えるし、それぞれの親の目線から見ることもできる。何より感情移入するのは親の方であったりする。ヒロの誘拐犯を殺したい気持ち、子に体の心配をされる気持ち。

それは恋がつかない方の愛で、親と子だけではなく兄弟であっても同じ。辻原がどこへ行ってもジュンジュンが現れるのは、カバンに発信機がついてることになっているけど、本当はそんなものはついていないのだと思う。もしくはプライバシーを侵害した先にあるものこそが本当の愛ですか。どちらにしてもそこには弟を思う兄がいるだけ。

最初に面白そうだなと思ったあらすじのプライバシーうんぬんも最後はなんかどうでもよくなっちゃってるし、オープニングで姿を消した美女木少女も話を聞けば「なんだぁ」っていう。でもいろんな方向に転がっていく話がそれぞれで完結しているかんじ。最初にエサを見せられて、あとからもっとおいしいエサを与えられる、そういうのはなんか共通して感じます。

「秘密は苦い蜜の味。大人は子ども。子どもは大人。そのとき秒針は逆回り」

あらすじにあったこのフレーズ。これってそのまま寝るキューだし。ちょっとだけ時間が巻き戻っていたのは、バカヒロたちが屋敷にやって来るとき。大人と子どもが出会おうとするときだった。

美女木に寝るキューを思わせるセリフがあると思えば、ルーム長の「俺のプライベートには興味を持つな」は美女木に「私のプライバシーには興味を持たないで」として表れるし、そのあたり構想の過程でいろんな思惑が錯綜してる様子がうかがえる。重層的な、というほどに深い意味はないのだろうけど、別々の芝居がどこか一点でつながっているような気にもさせられる。

思うに塩田さんは最初から結論を決めてそれに沿って展開を作るのではなくて、その場その場の発想を大事にしていくタイプなのではないだろうか。書きながら考えるタイプ。タイプとか言って全然違ってたらゴメンナサイ。そもそも演劇の脚本をどうやって書くのかなんて何にも知らないのです。

ゆうかりんの衣装は単刀直入にエロすぎ。単刀を直入するという表現がいやらしく聞こえるくらいにエロすぎる。夜道にゆうかりんとか、いけないことしか思いつかない。絶対領域はフィールドとなって近づきがたい。いやむしろ近くで見たい。

(Z) 絶対領域で
(Y) ゆうかりんヲタが
(X) 倍に

だいたいあの衣装は誰が考えたの?…そんなの当て書きした塩田さんに決まってるでしょ!塩田さん!塩田さん!次もお願いします…。

塩田さんは確かゆうかりんをヒョウの子どもに例えていた。今はかわいいけど大きくなったら怖くなる、という意味かと思っていたけど、大きくなったらますますかわいくなってやんの。

ペラ紙のパンフで塩田さんが言っていた「一瞬の永遠」の法則、これが全く現場の心象と一緒。タイガーでガン見していたときよりも、ジャンプした一瞬の向こうに見えた鬱栞菜の表情がのちのち深く思い返されることはよくある。美女木で言えば車を止めたヒロに「一瞬の永遠」を見たのでしょうか。その「なんだかわからんきもち」、なんだかわからんままに、すでに共有しております。

乃里子は父を求めた。ヒロは母を求めずに自分が母になる。おじさんたちには同じ年頃の娘はみんな同じに見えても、なんだかこの先に避けられない分かれ道があることだけは予感しているように思われて…。

それにしてもバカヒロはいつもバカだなぁ。世界のバカヒロ、30代はずっとバカ。

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「ベリキュー!」#20


「有原ちゃん嫌なんか?」

栞菜は嫌そうでも、それが普通の顔なんだよ。本当に嫌なのだとしたら、それは舞美ちゃんがサラダを愛理に食べさせようとしたこと。自分の方が近いのに、素通りしていく箸を見送る顔は寂しい。札幌でラーメンを食べたときとは全然違う、微妙な顔の愛理。

来週は徳永VS鈴木。ということはその次は嗣永VS有原。栞ちゃんの気になる一言。

「私って何気に料理できるかも?」って思う事が、最近、ちょっぴりありました。まずは「肉じゃが」作れるように頑張ります!」

「kindai」2008年6月号

桃子の目玉焼きになら勝てるよかんにゃ。でもこの場合は勝たない方がおいしいんだよかんにゃ。
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「ベリキュー!」#19


「俺が誰かわかるかー!」

と聞かれて、そこまで言葉が出かかっているのに、ついついリーダーやBuono!を差し置いてはいけないとばかりに控えてしまう、栞菜はそんな奴。

キー坊が戻ってきたのはいいんだけどさ、ゴロッキーズって5年も前なのね。早すぎるよ、時間。そりゃ大臣にもなるって(キー坊違い)。

桃子の頭越しに会話する舞美と千奈美。挟まれた桃子は足が短…首が長くてペンギンみたい。去年一度だけ行ったBerryz宮殿で桃子はペンギンのマネをしていた。プロは気合で身長止めてるってホントだな。

よく見ると桃子は半歩下がっていて、遠近法を利用してより小さく見せようとしている。同じ下がるのでも熊井ちゃんとはわけが違う。ガツガツ前に出るだけじゃない、押したり引いたりなんて器用にすること覚えた桃子。

大雑把な桃子には、葉っぱの種類は二つしかない。食べられる葉っぱと食べられない葉っぱ。「美貌レンジャー」はどうしても「貧乏レンジャー」に聞こえる。お腹が空いた時だけ不機嫌さ〜。いつも通りに不機嫌顔の栞菜。本当にこれが普通の顔なんだね。ゴーヤにクギ付けになるカッパ。まだ千奈美がいるのが恐ろしい。

ここにいるメンバーで料理対決ということは、ここにいないメンバーでもう一戦交えることを示唆している。くまさき料理対決inやきそばランドとか、柿の種を流し込んであげる熊井ちゃんとか。

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「ベリキュー!」#18


栞菜は誰よりも深く腰を落とす。
おどけるとガニ股になるそのままに。

なかさきは意外と足が長いので、したがって腰の位置も高く、しゃがみ込む動作では動きに比して見た目の印象は激しくない。

それに対してもともとガニ股の栞菜は造作なく低い姿勢を得られる。リアルゴリラのマネとかきっとうまい。

なっきぃは腰から上、栞菜は腰から下。
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2008年04月24日

「Berryz工房 起立!礼!着席!」#212(2008/4/22)


千奈美と梨沙子、ハチと夢の話が鮮やかな対照を見せる。

昔話「夢買い長者」やその類話では、ハチは体内に入ってきて夢を見せる。ハチと夢はなぜだか結びつく。それを寝るキューでやると夢オチになってしまうわけだけど。パーカーの中にハチが入っていたという千奈美の話はそんな物語世界の入口まで差しかかったところで、夢を見ることなく千奈美はハチを殺す。文芸作品、特に古典に見るハチは必ずしも悪者が多いというわけでもないように思う。

パーカーを捨ててしまったことに対して梨沙子は「また洗濯すればいいじゃん!」と驚きを隠さない。当たり前のようにハチのついた服を捨てる千奈美とありえないという反応を見せる梨沙子。ここにはひとえにケガレ意識の差が見られる。千奈美にとってはハチが服につくことでそこには落としがたいケガレが残る。それは物理的に不衛生だという問題ではなく、ケガレがついたという「意識」であるから洗濯しても落とせない。一方梨沙子はそれほどまでにはケガレ意識が強くはなく、それよりも服を捨てることへの抵抗感、もったいなさが勝っている。

単に二人の意識の差にすぎないとも思われるが、古く日本には一定の地域社会において共通するケガレ意識というものが存在していた。今やそれが全く消滅したのか、それとも深層にあって何かの拍子に姿を現すのかはわからないが、千奈美の話に出てくるぐらい身近なところに隠れているものだと思う。服についたのがハチではなくゴキブリだったら自分も考える。

見てわかる汚れとは関係のない、これが深く意識に関わる問題だということは、実際には千奈美の部屋は乱雑で(キャプ談)、梨沙子の部屋はイラストから推測するにはそれほどでもなさそうであることからも裏付けられる。千奈美がそんなにきれい好きなら、せめて足の踏み場があるくらいには部屋を片付けているはず。

あるいはそのような意味がないとすれば、これはWスタンバイを思わせる徳さんの熊井ちゃんいじめにしか聞こえない。クマはいやだねぇ〜クマは。ク・マ・ン・バ・チ!ゴキブリシュー!

千奈美の代わりに梨沙子は夢を見た。さすが梨沙子は夢まできれい。

「目開けたら青い蝶がたくさん飛んでて、うわぁ!めっちゃキレイ!とかいって終わったの」

risakoblue.jpg

森の中もお花の匂いがしてる

めっちゃキレイな青い蝶とおんなじ青い服の梨沙子。その服は透き通っているようにも見える。話の筋もオチもなくただただきれい。夢の中でも寝ている梨沙子。電車に乗っても眠って倒れる梨沙子。夢、夢、夢の中…どんな夢を描いているのでしょう。

ここで注目すべきイラストには極めて梨沙子的な手法が見られる。花の上で寝ている姿は自らを俯瞰的に見下ろす目線。それに対して両端から伸びている木、これは実際に梨沙子が夢で見た、花の上で仰向けに寝ながら見た景色だと思う。木が斜めになっているのは、空を覆うように伸びている枝ぶりを表現していると思われる。

つまりはこの絵には、起きた梨沙子が夢を思い返す視線と、夢の中の梨沙子が見た視線とが一枚の中に混在しているのだ。それは芸術様式でいうところのキュービズムというものであるらしい。いつも他とはちょっと変わったものの見方をする梨沙子らしい複数の視点。心の中を見ているみたい。
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「ベリキュー!」#17


「軽く歌えない」

通ベクは軽かった。あれは雨の重さを打ち消す軽さ。それはそれで必要な軽さだった。でも今度は軽くは歌えないと言う、重い涙の歌。その色を問う前に重さを知る。

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「ベリキュー!」#16


何かを言い淀んでいたなっきぃが、隣に愛理が来て何かしゃべってくれるのかと思ったらただカメラに向かっているだけで、何となく気まずくなったのか思わず目を反らすところが、なっきぃというより中島早貴。

それにしても愛理ガッパのくせにめかしこみやがって黄桜ガッパにも対抗しうるこの色っぽさ。なっきぃの後ろを通るときに、鼻ほじっては…ないよね?
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2008年04月23日

VERY CUTIE


「歌いこなす」と言ってもそれは決して無難に済ませる意味ではなくて、愛理のソロにはちゃんと色がついていた。「サヨナラのLOVE SONG」ではまだ感じられなかった感情の色。無色透明なはずの涙に色を付けるかのごとくに、スカートをつまんで歩く愛理に春の色。

ありがちな自己嫌悪の花から街の中をかぐわせるお花まで、同じ花でもいろいろあるように、同じ歌でもそこに込める愛理の感情の幅は確実に豊かに広がってきている。センター席から見上げると真っ暗な背景と愛理しか目に入らずに、少なくともその時だけは、それが世界の全てに見える。

そういう閉じられた世界にまた強くアイドルを感じる。席へのこだわりは、ホールなら1階席であること。最前もいい、通路もいい。だけどそれよりも前に、ただアイドルを見上げていたい。1階でも後方であれば傾斜がついて目線は高くなるけれど、それは遠さが相殺してくれる。フォーメーションを確認したり、より冷静に見るなら2階やファミリーもアリなのに、それをあまり好まないのは見下げる視線が心苦しいから。ごくたまに前の方へ行ってしまったときに見上げすぎて首が痛くなるのは、聖性に近づきすぎた代償にも思う。神聖なるがゆえに崇めたてまつり迎え入れ同化を求め、また同時に忌避もする。

自分の目線よりも高い花道を歩く愛理は、虹を渡ってゆくようでまさに天を仰ぐ気分。予報は50%へと変わり、るてるてずうぼもお役御免。やがて雨は上がり虹がかかる。二つの虹のベクトルはセンターステージへ。虹の下はくぐれない。その根元にもたどりつけない、この遠さ。

幸福があるとも災いがあるとも言われる虹の根元には梨沙子と愛理。足跡のついた道を振り返れば生まれたうれしさ?生きるつらさ?どちらとも決めがたく、ただ二人がいればどちらでもある。大人になるって難しいんだなぁ…。虹のかけ橋渡ってどこへゆくのか。



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どうして春は


イントロ、梨沙子がステージの一段高みへ。他のメンバーも登ったかと思う間もなくそのまま梨沙子を残してはけてゆく。…ソロだ。仲良しバトルに気を取られて、ソロがあるなんて全然考えていなかった。しかもこの曲「VERY BEAUTY」。

好き嫌いでは判断できない特別な曲。「VERY BEAUTY」からSSAへの流れは完成されすぎていた。思えばこの曲が数あるベリの曲の一つになってしまうことが惜しくて、ここで時間を止めてしまった。そこにいない舞波をバカだと思った。自分にとってBerryz工房から舞波が完全にいなくなったときだったのだと思う。

去年も大きなアリーナで梨沙子のソロを聴いたときには、なんだか遠くへ行ってしまいそうだった。今日の梨沙子は近づいてくる。一人横アリの花道を歩く姿は卒コンのなっちとだぶって見えた。なっちは遠くへ行って梨沙子は近づいてくるのだけど、そこに風格を越えた威厳すらを感じたのは同じだった。

歌う梨沙子は苦しそう。絞り出すようなかすれた声。梨沙子はヘタか?そうかもしれない。愛理と比べればよけいにそうかもしれない。でも歌・うた・詠おう、歌(ウタ)の本義は「訴(ウッタ)える」。梨沙子の苦しそうな歌声は大人になるときのきしみを訴える。制服の白いシャツには豊かな胸が苦しそうに詰め込まれていて、手を挙げたとき押し潰されているのかわかる。これもまた大人になろうとしている梨沙子。

美しい大人の女性なんてそんなにいるもんじゃない。ハロプロの先輩だってそう。大の大人がだよ?と言いたくなることなんかたくさん。だけど梨沙子は今、間違いなく美しい。涙を我慢…はしなくても、素敵な女性になってほしくて。

「明日の朝 目が覚めた時には 美しくなってたらいいな」

また鏡を見つめてる梨沙子は、鏡を見てもわからないくらい少しずつきれいになっていた。それが一年も経つとこんなになるんだよと、きしみながら語らずに訴えている。

どうしてこんな顔よ…
なぜだかケンカした…
どうしてみんな無邪気に…
どんな夢を…

春はわからないことだらけ。

どうして春はドキドキしてくるのでしょう…

それは大人に近づくからだと。
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2008年04月19日

思考が停止する日


ベリキューのシンクレティズム。こは現代の神仏習合。ベリが神なら℃-uteは仏か。あぁありがたやありがたや、神様仏様ベリキュー様。

神に本地を定めるならば、それは纏いし衣の色で決まる。熊の権化に現われたるは、阿弥陀の色なすなかさき仏。ある日森のなか熊さんと出会う緑。大きな熊をもてなして、見上げながら食べるミカンのヘタの色。

雨乞いガッパに今なら言える。期待しちゃって眠れないってこういう気分。
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「ベリキュー!」#15


若い時 我々は学び
年をとって我々は理解する

―エッシェンバッハ(ピアニスト・指揮者)

「すべていつか納得できるさ」というおぼろげな望み。「時がくりゃわかるさ」と未来を見つめる青春。つまりはそういうことね。「ベリキュー!」なのにベリキューがいないこの状況もいずれきっと理解できる。今だけで何がわかる?ってね。

途上国の子どもを自分の仕事場に招いた藤子先生は「ドラえもんはどこにいるんですか?」という問いかけに「今テレビ局に行っているからここにはいないんだよ」と優しく答えたのだという。つまりはそういうことだ。ベリキューは今ここにはいないんだよ。すでに横浜、横浜アリーナに魂は飛んでいる。

そしてSSMのスタッフ様も明日は横アリで密着取材。次週は仲良しバトルの舞台裏を余すとこなく見たいです。ていうかさゆえりがクレープ食ってるのって「辻加護」のロケ地じゃん。あの時学んだことを今理解した。
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「ベリキュー!」#14


あれ?ちょっと聞いてもいいかな?これ番組名なんて言うんだっけ?…うん、そうだよね、ベリキューだよね。ベリキューってベリと℃-uteのことだよね。そのはずだよね。そのはずなのに。ハテ〜?ハテハテ〜??ベリはどこ?℃-uteはどこ?ベリキューヲタの悲しみがこだまする。

曲は好きなんだよ。「うぇうぇ」「歩いてる」以来の私的ヒット。しかし、しかしだよ?なにも横アリ直前のこの時期に…。熊井ちゃんとなかさきがダンスレッスンしてる映像を1秒でも多く!

実際には限られた収録時間の中でこれだけの枠を埋めるのは大変なことなんだろう。ほぼ撮って出しに近いものを何とかして延ばし延ばし使っているのだと思う。そこで余計なお世話を承知で、簡単で時間を取らずヲタ受けする映像の撮り方を考えてあげよう(NSD)。

まず14人分のビデオカメラを用意する。テープを回したらそれぞれに渡して30分ほど野放し。こうすれば30分で一気に30×14=420分(7時間)分の素材が。あとは編集などせずそれをそのまま垂れ流せばよいのだ。誰のカメラに誰が映ってるか、我々が喜んで解析しよう。スポフェスDVDで鍛えた眼力が今また役に立つ。なかさきのハチマキを結んであげる熊井ちゃんとか絶対見逃さない。あ、ちょwwなっちどいて!

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2008年04月18日

「ベリキュー!」#13


神様は出てこなくていいんだけどこんなイベントなら大歓迎だよ!でもやっぱりネタはいらないかな。

「大人っぽくいきたいです」

何度かそんなことを言っているように、そうやって少しずつ大人になっていくんだね。千奈美がネタ帳を捨てたり、栞菜がメロンをまるごとは食べられなくなったり、桃子がカツオを食べられるようになったり、なっきぃは胸が豊かになってきたり。変わりそうもなかったことが少しずつ変わってる。そうして気付いたらすっかり大人になってると。

でも「大人になる」と言っているうちは子どもなのでまだ安心。もちろん大人になるのは悪いことじゃないけど、オトナオトナ言ってた奴が次第に言わなくなっていくのを見ると少し寂しいから。「大人」なんて言葉使うけど、いつからそうなのかわからない。見てれば見てるほど、自分が知らないうちに少しだけ大人になっていることに気付く。気付けば気付くほど、もう少し大人になるのをまた見たくなる。

手のしぐさが妙に女の子っぽいね。それがわざとらしくても、桃子だとウザいけど(いい意味で!)梨沙子なら絵になる。

梨沙子を囲んで輪になっているとき、栞菜の見切れ力がすごい(よく見ると舞美の隣り奥にいる)。こういう時の栞菜は舞波を凌ぐものがある。千奈美もずっと神様の後ろにいてガツガツ前に来ない。集合図にいたってはベリキューのロゴに隠れちゃってる。

しみさきとなかさきが並んでジンギスカンなんてこれは熱い。ベリーズに食らいついていくなかさきは必見。

熊井ちゃんが遠慮がちに舞美の肩に手を。その手がなかさきの肩に乗ることを夢見て…いつか一緒に手をかざせ。
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「Berryz工房 起立!礼!着席!」#211(2008/4/15)


「174とか5とかぁ…」

友理奈はいつもはっきりと言わない。何事も説明書を読んではっきりさせないと気が済まないのに、身長だけは「ぐらい」とか「行ったり来たり」とかあいまいな表現に終始する。

確かに身長は一日のうちでもわずかに変化するから、どの時間帯に測るかによって数字も違ってくるけど、熊井ちゃんの言うところはたぶんそういうことではなく、あるいはそれにかこつけて、1ミリでも低い可能性を残しておきたい熊心。そんな心情を察すればこそ、悲しいかな熊井ちゃんは明らかに175を越えている。

メンバーが熊井ちゃんの身長に触れるときはいつも「カッコいい」「モデルみたい」「足長い」とほめちぎるけど、ほめたらよけいに伸びてしまう。伸びてうれしいことばかりじゃないのは誰よりも熊井ちゃんが痛いほど知っている。

「身長ちなみに何pですか?」

これも年長にしてキャプテンだからこそ気軽に聞けるものの、とても一介のなかさき風情が話のついでに持ち出せるような質問ではない。

「まだ年齢が低いから、そういうこと言ってくれるけど、もう言ってくれなくなるから…」

熊井ちゃんが弟に思うのと同じことを、僕も熊井ちゃんに思っているんだよ。まだ中学生だからエンジョイとか言ってくれるけど…。それでもついこないだダンボールで滑っていたと思った熊井ちゃんが中3とか。って去年も全く同じことを言ってた。「早送りの反対ってなんて言うの?」とか聞いてる熊井ちゃんはかわいい。身長なんていくら伸びてもいい。限度はあるけどすでに越えた。その代わり中身はそのままで、いつまでもぐさんしゃいんで突拍子のない熊井ちゃんでいてください。熊井友理奈のKYは「空気読めない」じゃなくて「読まない」。空気なんて読まない、それが熊井ちゃんのいいところ。

今週はやけに短いなぁと思って確認してみたら、冒頭K太郎のアナウンスを含めた手元の計測による放送時間は9分01秒。熊井ちゃん奇跡すぎる。

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2008年04月16日

「ベリキュー!」#12


ベリを見るか℃-uteを見るか、これは重大な問題だ。スッペを踊り切るなかさきも見たいし大きな愛でもてなす大きな熊井ちゃんも見たい。でもどうせ糞席だから遠いけど両方見れると思う。それよりもまぁなや明日菜に目を奪われないか心配。

キャプが「ある曲」って言ってたのはとりあえず「大もて」と「スッペ」でバレバレだね。よみうりランドでの度重なる「スッペ」は全てこの日のための前フリ(正月に見たような気も)であるのもいいんだけど、どちらも過去にやったことのある曲。ダンスバトルといえばやはりここはベリの曲なら「なん恋」「ジリリ」、℃-uteなら「まっさら」「都会っ子」、このあたりでぶつかってほしい。確かに過去に経験のある曲の方がやりやすくはある。でも「過去の成果で未来を生きることはできない。人は一生何かを生み出し続けなければならない」って真野ちゃんも言ってたし。

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