2009年12月31日

らって自慢すんらもん!


がんこで
わがままな時もあり

でもすっごく賢くて
かわいいです

『いちごのツブログ』2009/12/31「クレームがありましたため(^_^;)」

それってつまり花音にそっくりってことじゃないか。
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2009年12月30日

おっとり憂佳のうるう時間


ゆうかりんを初めて知ったときから「憂」という字が気になっていた。その字義によい印象がなかったからだ。手当たりしだいに辞典を見ても「心配」「恐れる」「悲しく思う」そんなよくない意味ばかり。分厚い漢和辞典を広げることようやくにしてやっと見つけた。

「おだやかに行われる」(漢語林)
「しとやかに行われる」(大漢語林)
「憂ハ和ノ行ワルル也」(広漢和辞典)
「本義はシトヤカに歩む義」(大辞典)

「布政憂憂たり」という例文もあって、たぶん「まつりごとが滞りなく執り行われている」という意味なのだと思う。このようなプラスイメージを憂佳に即して言えば「おっとり」になるのだろう。

明日はひっさびさの
しゅごキャラ!イベントです★

※正しくは「あさって」

土曜日は
しゅごキャラ!ミュージカルの
イベントでしたぁ(^O^)/

※正しくは「日曜日」

思えばこのときから憂佳は一日ずれていた。だからおっとりって言われるんだよ。イブの日をクリスマスだと言ってしまうのは、本来は前夜祭であるはずのイブこそが本番のような風潮があるからしかたがないとして、これは海外でも同じなのだろうか。単に休みの日よりもその前日がうれしい心意か、あるいは日本の祭事において宵宮が占める位置との比較などができるかもしれない。

ってこれはなんの話だ!

なんでこんな話になったの?

…あ、ハッピーバースデー!

さすがの憂佳もこの日だけは間違えないだろう。魂の更新という、新年を迎える本来の意義が失われた現代にあって、それは個人化してそれぞれの誕生日が役割を担っている。憂佳にとっては自分と世間のずれた時間を正しく一致させる日。そして新たにずれ始める日。一年で一日ずれるゆうかりんのうるう時間。少し遅れたけどおっとり憂佳にはちょうどいいでしょ?

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2009年12月27日

無縁・熊井・楽


bentrakero.JPG


巨視眈々と獲物を追う目の熊井ちゃん。おそらくは隙を見せたらガブリの構え。ところがなかさきが隙を見せない。見せないどころか完全に逝ってしまわれているのでただ見守るしかできない。

「(UFOが)ほんとに来るんだよこうやってやると」

なんて言われていつもの熊井ちゃんなら即座にマジレスするところ、この妙なおとなしさはなんだろう。もしや興味を示しているのか。そう思えば虫を観察する子どものような目を向けて離さない不思議エンジョイ熊井ちゃん。家に帰ったらベントラやりそう。だんだん弟もそういう遊びに付き合ってくれなくなるころ。ベランダで一人両手を広げる熊井ちゃんに言ってあげたい。熊井ちゃんが一番宇宙人だよ。

熊井ちゃんのことをもっとよく知りたくて開いた本にこんなことが書いてあった。考古学者にして知床の山男でもある涌坂氏は語る。

「立ち上がる熊は、どうという事はない。俺は大きいんだぞと、フリしているだけだ。デモンストレーションで怖くはないが、本当に怖いのは伏せるクマだ。戦闘モードに入っていると考えたほうがよい」

豊原熙司「クマと黒曜石」(北海道出版企画センター、2009)

クマンティックがぶりモード。小さくてかわいい人はたくさんいても、大きくてかわいい熊は熊井ちゃんだけ!

アイドルが社会を映す鏡だとするなら、そっくりそのまま映るのではなく、鏡だからあべこべに見えるのだろう。きれいはきたない、きたないはきれい。なりゆいまくはくまいゆりな。存在の耐えられない高さ、憂き世のアジール熊井ちゃん。
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いつもと変わらない横顔


eyecontact.JPG


くまちゃんを見ているのはなっきぃだけ!なっきぃを見ているのはくまちゃんだけ!心と心が通っているのは二人だけ!わたしが青なら君も青。見つめるくまさき、隠した切っ先、二人の心は目と鼻の先。脳内にはいつもこんな映像が流れていた。二人で目と目あわせて歴史に残る曲にしようよ。

くまちゃん!くまちゃん!ぼくの幸せの青いくま!
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2009年12月26日

振り向かないことさ


地上と地下にはなんの違いがあるのだろう。距離の違いはもちろんある。近づいて近づいてその距離はゼロを通り越してときに反転してしまう。演者と観客の関係が容易に入れ替わりうる。一説によると祭の本義はそこにあるともいう。

そんな地下にもタブーがあるとするならばそれは過去を語ることだろうか。きっと過去を語りつくした人たちが語り疲れて集まるのでしょう。去年、同じ場所で同じようにサプライズを仕掛けた背の高いサンタクロースのことにはやっぱり触れるべきではないのだ。と、そう言って触れてみる。来年のことを考えるのが怖い。アイドルの今と未来が見える場所。過去に縛られ未来を閉ざす、そんな今です。

紗千香ちゃんは93年1月生まれ。世代としては92年だ。卒業脱退、ベリにいてあるいはエッグにいて、いったい誰が幸せで誰がそうではないのか。ほんと、幸せってなんだっけっていう。そこであえての平野さん。ひらっちのすごいところは院生であることにも増して昭和50年代の生まれという一人M-lineにある。
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2009年12月25日

赤いサンタの白いTOKYO


ちょっと手が触れるどころではない握手の唯ちゃんから始まって、歌いだしの発声に問題発生夏織ちゃん。そっち方面の濃さではひけをとらない紗千香ちゃんにはブログを見れば書いてあることを聞いてしまった。画像がいつも怖かったまほちゆは握手して笑ったときが一番かわいい。今までに生歌を聴いたことがある人のうちで最もうまいのは岩嶋さんだ。正確無比なセンタリングがスタイルのエースのっちへ届く。

歌う人が違っても、この曲でしか生まれない空気がある。冬季祝祭における白いTOKYOは魂の救済だと確信した。いる人といない人にサンクユーメリーメリー!
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2009年12月24日

み、聖なる鐘が響く夜…


トナカイになってみずサンタをひっぱりたい。もしくはひっぱたかれたい。
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2009年12月21日

独白されてうれしかった


嗣永に司があり、中島にマナカがいる。二人ともモノローグが似合うのは隠した何かがあるからだろう。虎の衣を借りた桃を見るまでもなく、絵に描いたももちは時に応じて装いを変える。中身が桃だということは誰もがわかっているのに、からこそ。役の上での独白に、無意識に桃子やなかさきの心の内を覗こうとしてしまう。
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2009年12月20日

2009/12/20【DVD付き限定版「しゅごキャラ!」10巻購入者イベント】講談社講堂


寒いとて籠もるわけにはゆくまいと果ての二十日に護国寺参り。4ヶ月がもっと昔に感じる。司会の声優さんは来年放送の収録でもした後だったのだろう、言い間違えた「去年の夏」がそれほど的外れには聞こえなかった。

舞台終わりで帰り道ゆくややたんを一度だけ見たことがある。金髪が大人びていた。ところが今日のややたんは夏よりも幼い印象だった。髪の色は控えめで、それだって普通の小学生にしては派手すぎるくらい茶色だけど、これが本来の姿に近いのだと思う。帰り道で見かけたときはまだ役が半分入っていたというのだろうか。背伸びして浮かしたかかとはしっかりと地に着いていた。だからといって油断してると次の背伸びで抜かされる。もうややたんと呼べなくなるのが少し寂しく、栗原光と呼ぶ日が来るのが少しうれしい。

ずっと両手を前で組み、笑顔を作るりまたんに対してせわしないややたん。立ち居ふるまいもダンスもやっぱり好対照でありながら、しっかりしゃべれるところは似ていた。

りまたんは笑顔のほどけた顔が怖い。一重の黒目が顔から表情を奪っている。あの顔で言われたらなんでも納得させられそうな怖さ。そういう演技を見てみたい。

芽実「千秋楽が終わったあとになでしことか海里とかいっぱいメールが来たんですけど返信しませんでした」

花音「『メールしないで』って来たので『なんで?』って返したら『寂しくなっちゃうから』と」

メールは返さない。返したらそこで終わってしまう。あの夜ですべて終わりにするのが惜しい。思い出にするのが怖い涙色。メールを返信しなければ普通はそこで関係が切れてしまうところ、いつまでもそのままにしておくためにメールは返さない。それは時間を止めるってことだろう。なにかをすれば時間が動いてしまう。返事をしたくないほどに時間を止めたいときなんてそんなめったにあるもんじゃない。時間は止められないからもう止めようとも思わなかった。止めちゃいけないとも教わったが、こんな不作為もあるんだと知った。栞菜に出した暑中見舞いが返ってこないのも、きっと…(いま冬ですよ?)

花音は千秋楽の翌日、何していいかわからずにひでみんといっぱいメールしていたのだという。時間を止めたい不作為に、止められない時間を確認する作為。気持ちは同じはずなのに。全員がそろうことはなくても、この世界にいるかぎりどこかで誰かとまた会える。
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2009年12月17日

手を握って話したい


しゅごキャラエッグはいないかも。若干懸念を抱きつつ進む通路の短さよ。エッグがいるならガー4より先。これは序列として予想できたが、みずきの隣が熊井ちゃんこれは想像できなかった。いざみずきを目の前にすると左の視界に大きな巨人熊井ちゃん。

「でっか!」

顔までは捉え切れずも、捉え切れないからこそ熊井ちゃんだってわかる。横目で気にする一塁ランナー、牽制できずにあばばった。みずきはなにごとか聞き取ろうと腰をかがめて耳を寄せてくれているのに、自分が流されるより前に、後ろのスタッフにみずきが流された。握手終了のお知らせ。伝えたいこと伝わらないから握手の感触もっての他で覚えてない。言葉足らず、時間足らず、勇気が足らず、知恵足らず。足りない記憶を補うために消毒液ごと手をなめたい。MCで詰まって「う〜あ〜」とうなるみずきにいずれ失われる光を見た。
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2009年12月15日

また奈菜美を見つめてる


いろり師匠も駆け回る年の瀬、新ダイヤにとっては最初の試練が待ち構えている。目の前を次々と運ばれていく人塊の手に触れつつも会話を成立させる目まぐるしさの極限―握手会、の前に熊井ちゃんと顔を合わさなければならないのだ。挨拶するといっても霞か雲か頂上は見えないだろう。それ以前に人と認識するかも疑わしい。泣き出してしまう可能性すらある。誰だって自分の身長のゆうに3倍を超えようかという生物に出会えば恐怖を感じるのもやむをえまい。

でもハロプロでやっていくためにはこれは乗り越えなくてはいけない壁。今すぐでなくてもいい、そのうち慣れてきたなら呼んでほしい。勇気を出して「熊井ちゃん」と。なまじ年が近くては怖くて呼べたものじゃない。これぐらいの年の差と身長差があれば、粗相があっても大目に見てくれる。フクちゃんスキちゃん熊井ちゃん。後輩に「ちゃん」で呼ばれてこそ初めて熊井ちゃんの「ちゃん」は普遍性を獲得するのだ。
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2009年12月14日

大人の階段から落ちてきた天使


すぐあとのMCにおいてまあさの指摘するところとなるが、「青春大通り」で腰ほどの高さのあるステージ上の段差に座るとき、桃子はそのプリケツを深く落として足を浮かした。一人だけ足がぶらぶら浮いている。普段の桃子そのままに浮いている。

そうかと思えばソロ「VERY BEAUTY」では浅く腰かけ浮かさない。素敵な女性は地に足がついている。足を浮かすのはやはりいつもの策略であった。

千奈美は昇ったり降りたり、休憩時間にふさわしく途中で腰を下ろしたり。桃子は半分昇って降りてきて、そうしたら左右に割れた階段の中に入っていった。さすがの桃子の桃割れ階段。昇っているところは人に見せたりしないのだろう。

大人の階段があるとするならぐるりと渦巻くらせん階段。ぐるぐるぐるぐる回ってるうち、いつの間にかに昇ってる。上も下も見えなくて、今しか見えないここが踊り場。昇っては落ち、昇っては降り。 桃子はときどき落ちるように降りてきてくれる。だからいつでも階段を踏み外して待っている。

うれしいと無表情になる桃子は笑顔の写真を探すのが鯛へ…大変だったのだとか。見つけたのはフラミンゴの前で喜んでる写真。桃子が本当にうれしいときの顔を初めて見たような気がした。笑ってないときの桃子は凛々しさを通り越した真顔になっている。この日もちょうどこんなふうに。



martian peach.jpg
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2009年12月13日

親戚とか合流して


親同士の兄弟姉妹関係に、米のイトコと麦のイトコがあるという。すなわち父方か母方かの区別であるが、そこに米と麦をあてることが興味深い。父系をたどることと母系をたどることの関係性を、米と麦の関係性になぞらえているのだ。それがどのような関係性であるのかは、単に麦より米を優位とみる以上に深い何かがありそうだ。ありそうな気がするだけでよくはわからないけど。米のイトコは仲が良いとか麦のイトコは良くないだとか、そういう伝承を聞いたことがある。とかくイトコは近かったり遠かったり、親族体系の狭間とも言うべく微妙な距離の内にあって、それゆえに社会によって扱われ方が大きく異なる。

でもれいにゃんと雅ちゃんがそんな関係だったなんて…。もっと似ている二人がいたし、むしろれいにゃんから「ホワイトスクール」という言葉を聞いたときにはいつかの桃子を思い出してた。同じ千葉だからそんなこともあるんだなって。「よく使う駅は?」の質問に「家から一番近い駅」とさらりとかわすれいにゃんも、ストレートに聞かれては正直に答えざるをえなかったのだろうか。

それぞれの道を歩んでほしいと願いを込めて、二人は平行イトコ、母親同士が姉妹であると想像します。ハローという場で交わったやじタケは交差イトコというわけですね。舞波は誰の親戚ですか。
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2009年12月08日

かにょんがキター!(∀)


今思い出すのはきらりの横でぴょこぴょこコサックしていた花音だ。まるで入れ替わるようなタイミング。花音はこういうのがやりたかったんだなってよくわかる。ちょっと時間が空けばケータイのボタンを、家に帰ればキーボードを、嬉々として叩く姿が目に浮かぶ。ものすげぇ更新しそうで怖いよ。コメント欄の開放については是非があろうが、今までいかに人の目に触れる機会を逸していたのかだけははっきりと知ることができる。そして現場と比して同世代が多い。FC限定ブログはコピペができないんだから、これぐらいはリンクを貼ってやればいいのに。


S/mileage 福田花音のいちごのツブログ
http://ameblo.jp/kanon-fukuda/


苺魂、とくと読ませていただきます。
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2009年12月07日

西へ東へ


スキちゃんがいるのなら、ユキちゃんもいるのかな?
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2009年12月05日

岩隠れにし


顔を知らなかったわけじゃない。でも似てると気付き始めたのは栞菜がいなくなってからだった。みごとに代償っていうやつ。知らない人が見たら間違えてしまうくらいには似ている。いろりでも憂佳でも、ゆきどんでもなく稲葉でもない。

「すいません、AKBの…」

「違います」

プイして立ち去るおつかんな。君は今、射落とされた僕の太陽。いくつかはまだ空にある。最後に会ったあの日からもうすぐ一年。何の因果かあの場所でイシゾーと一緒にいなくなった。昇らない僕の太陽。元気な姿が見たいよう。
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2009年12月04日

はる&チーズ=パラサイツ


正義と正義の衝突は悲惨な戦争を招いてしまうが、天然がぶつかりあうと平和しか生まれない。あやちょは自分を天然ではないと言う。周りで起こることが天然なだけであると。そこから導き出されるのは「天然なできごとは天然の周りでしか起こらない」という真理だ。あるいは誰にでも一様に起こりうる日常の細事を天然として掬い上げることができるのは天賦の才と言えるだろう。なにより、自分を天然じゃないと言う人が本当に天然じゃないのをいまだに知らない。天然じゃない人からみれば魔法みたいなポックポーン。

そして天然の対極にいるような花音と、元来の気の強さをのぞかせるようになったサキチィー。S/mileageの4人にそれぞれ聞きたい。

「あやちょと憂佳ってどっちが天然なの?」

愛と平和で楽園となるような二人。
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2009年12月02日

人間大好きさ


Q.好きな動物は?

子犬☆
でも、人間が一番スキです。

「Hello!Project オフィシャルサイト」鈴木愛理プロフィール

一番好きな動物は人間。これはなにかの皮肉であろうか。藤子・F・不二雄「絶滅の島」でチキューケナシザルと呼ばれていたのは地球上に住む人類だ。ケナシとは「地球をけなすサル」か、それとも「地球にいる毛のないサル」か、どちらにしても人間をおとしめる物言いにはちがいない。しかし人間も、おとしめられるようなことをしているのだ。サルと呼んではサルに失礼なくらいに。

愛理が好きな動物に人間を挙げるのは、もちろんこれが河童としての目線によるもののだからだ。一番好きな動物は人間。そこに人獣の別ない博愛を感じるか、所詮は動物にすぎない人間への嫌悪を見つけるかで愛理の、ではなくこれを読む人間の人間観が問われている。

愛理と同じように人間として生まれながらも、河童の国に入り浸るうち、河童により近くなったとある患者は人に向かってこうののしるのだ。「人間」とは人の間に在るとは言うが、そこからは疎外された場所で。

「出て行け!この悪党めが!貴様も莫迦な、嫉妬深い、図々しい、うぬ惚れきった、残酷な、虫の善い動物なんだろう。出て行け!この悪党めが!」

芥川龍之介『河童』

莫迦な
嫉妬深い
図々しい
うぬ惚れきった
残酷な
虫の善い

動物。

それが人間だと。人間嫌いといっても嫌っているのは自分の周りのわずかな人たち、押し広げても日本人だけかもしれない。もしも世界中をめぐりめぐっていろんな人を見てきたのちにそれでも人間は嫌いだと言えるのならそれはどれほどすばらしいことかと思う。自分が河童になったとしたら人間を好きだと言えるのだろうか。河童の国には河童嫌いがいるはずなんだが。
posted by sleeping mizuki at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする