2010年04月30日

とっておきの春です


一人の人間としては応援したいことなのに、アイドルとしては少し寂しく感じてしまうのはなぜだろう。大学に行くアイドルなんていくらでもいるというのに。進学を選んだことへの衝撃と、もうそんな歳だったことへの驚き。もちろん知ってはいたはずなのにそれに気づいていなかった。「おどろく」とは気づくことでもあるんだった。もう小学10何年生とかじゃないんだね。「桃子」と「大学生」という言葉がうまく結びつかない。そこにある距離感は自分と桃子の間にある空白と同じくらいの長さだろうか。「桃子」は変わらず遠いとして、「大学生」というのはまだいくぶん身近に感じることができる。桃子が大学生になって、近づくことでかえって遠くへ行ってしまうような、祝っていないと泣いてしまいそうな変な気持ち。

オトナオトナと言ってるうちはまだ子どもで、やがて静かになったと思ったら子どものことを気にかけるようになったときはもう立派な大人だ。大人びた子どもは大人を助け、大人になったら子どもをあやす。大人になるのが難しいのは、いつ大人になったのかはっきりとはわからないから。「小さいときは大きかったけど、大きくなったらちっちゃくなっちゃいました」とはとあるMCでの舞波の言葉。舞波はいなくなることで逆に近くへ来たような気がしている。

ヲタが勝手に作り上げた幻想のなかでは(もちろん自分もそれには加担していて)最も縁遠い存在だと思っていた。でも桃子が決めたことだから応援しないわけがない。ベリにいながらというのがすごい。初めてコンサでソロをとったのは2007年のSSAだった。そこで歌ったように、受験勉強も待ったなしで桃子は乗り切ってきたのだ。たくさんのくじけた人生を救ってきた桃子がいま自分の人生を生きようとしている。あのキッズがベリキューたちがそれぞれの道を歩き始めている。自分の道を歩こうとするときはいつも姿を消していた。それを思えば、いずれ来たるお知らせへの布石であると捉えるよりは、これを秘密にしなかったことをありがたがっておきたい。秘密にしきれないと考えたか、もっといろんな秘密があるのか、それはもう秘密なのでわからない。のべ16人、一人として同じ人生はない。そのなかで誰よりも早く、早すぎるくらいに道を違えたのが舞波だった。時間がたてばたつほどすごいやつに思えてくる。いつまでも人生にくじけてばかりはいられないということか。

この選択は他のベリキューメンにはもちろんとして、とりわけ桃子に憧れた人たちに大きな影響を与えるだろう。ちょうど桃子が進学を意識し始めたのは高校1年か2年、今のモリサキぐらいだという。そして現在中2のフクちゃん。まだ早いとは誰もが思うが、同じ歳の桃子は舞波とお別れしていたのだからとりたてて早いとも言えなくなる。

イザナキが逃走に際して投げつけたのは三つの桃の実だった。追いすがる自分にいま二つ目の桃が投げられた。そうして気を取られてるまに桃子はやけに小回りの効くサウシカレンターカーに乗っておとぎの国のさらに向こうへ行っちゃうんでしょ。桃子の描くイラストは、意匠は単純にして筆致の細やかなところが平野さんのと似てるかも。

こんなときに聴きたいのはベリよりもBuono!かな。Buono!ができたからベリはああいう路線に走ったんだととりとめもなく思いついた。ベリのエッセンスの一部がBuono!に吸い取られていったんじゃないだろうかと。℃-ute一人にベリ二人とか、Bで始まる頭文字が同じとか。2文字目の「u」に℃-uteの色がわずかに見えるとか。

「この道歩いてくよ なにがあろうとも」

このはじまりの言葉を桃子の決意として聴いてみよう。一本だけでも折れない強さを桃子は身に付けようとしているんだね。
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2010年04月28日

楽しからずや春の青


アイドル時代にカメラを向けられていたときと、写メで撮られる今とではなにが変わっているのだろうか。行方をくらましていた間のことはなんにも知らないけど、深く考えないほうがいいってことだけはわかる。いろいろあるよねで済まされることだと思う。梅さん(と呼ぶのもなんだかはばかられるが)のプライベートな友人であれば顔を出したりしないはず。やや性急の感のある露出にこれから起こるなにやらを思わざるをえない。

「食べ終わるその時は幸せが奪われるみたい」

食べる前のパフェをかまえる栞菜は幸せなんだね。こうして姿を見せるのが当たり前の平凡になったなら、それは栞菜の青春だと思うことにしたい。笑っていない栞菜が自分の知ってる栞菜らしくてとてもうれしい。シャッター音が響いたあとに、栞菜はたぶん笑ってるだろう。
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2010年04月23日

笑顔の埋め草


フクちゃんの笑顔写真を見つけに行くという名目で舞波を探しに渋谷へ行った。桜の横に立つ4人が「桜」という字の象形そのものだ。桜の樹の下には―上にも右にも左にも―笑顔が埋まっていた。大量の写真に目が回るようで、国民投票を思い出す。かわいい素人さんに何度視線が止まったことか。そうかと思えばなんの因果かこんなとこでも出会ってしまうおまいつたち。

結局目当ては見つからず、自分の写真は目には見えない花音の黒い部分にでも紛れ込んでることにしよう。舞波の笑顔はあの日のままで。フクちゃんの笑顔はこれからまた見つけに行きます。
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2010年04月22日

虚飾と転向


健康食品事業に乗り出すための悪だくみとしか思えない。きらりちゃんガムとかなら買う。
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2010年04月18日

手探りの春、たぐりよせる夏


気がつけばいつのまにかのサマー・パーティ。このバックダンサーでやってくれることがうれしい。向かって右端上手寄り、羽ばたいてった苺ポジ。フクちゃんだって蕾の季節はもう過ぎた。卒業に寄せてのコメントは「負けず嫌いでは負けない」との宣言。野球の詳しいことはわかんなくても、48対0で負けるまで負けず嫌いは試合を続ける。

瞳の奥が輝いていた。きっと照明が切り替わったせいだけでなく。彼女に宿るまだ名前のない魂のゆらめきが見えた。戦いがもう始まっている。
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2010年04月17日

2010/4/12【散歩道楽2010春 かいぶつのこども】シアタートラム


リピートする醍醐味は角度によって違う表情が見えることだ。正面からは見えない留美菜の隠れた素顔も、清作に疑いをかけられ嘘を暴かれるときの伏せた目の黒い輝きを、下手にいれば覗き見ることができる。上手から見た今日の留美菜は首をかしげて清作をまっすぐ見つめ、「私は悪くないです」とまくし立てる。うつむきかげんの顔に髪がかかってたしかに影が差していた。
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2010/4/11【マノソナタ 〜ハッピーナインティーン on TV〜(3回目)】横浜BLITZ


歌うアメフラシこと真野ちゃんはもはや自分の話術で泣いているんじゃないのかと思われてならなかった。ヲタのえりなコールで泣くように見えても、そのコール自体マノトークによって誘発されたものであるから実のところはきっかけにすぎないのであって、真野ちゃんを泣かしているのは真野ちゃん自身ではないのかと。

「真野ちゃん真野ちゃん」

どこからともなく声が聞こえる。マノスパイをまだ見てなかったので、それが出演者による声だとは気付かずに、ステージに出てきてもまだマノピアノがしゃべっているのかと思っていた。マノピアノってそんなキャラだっけ?そもそもキャラとかあったっけ?でも新曲にはピアノがないからそういうのもありかもね。「真野ちゃん真野ちゃん、なんか忘れてない?」って。「お願いだから…」は忘れ去られたマノピアノの悲痛な叫びであるかもしれない。
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2010年04月12日

うれしくってうれしくってうれしいとき


そちらはどちら?ってまたかんにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

もう泣きそう。泣いてしまいたい。泣いてもいいですか。卒業とか脱退とか気にかけるのはもうやめた。細かいことを言っててごめんね。もう誰も栞菜になんか見えたりしない。元気だね。元気なんだね。親友ってほんとに親友だったんだね。友達は友達なんだね。用もないのにかんなが電話をしてきて無言になっちゃう話を覚えてるよ。言葉じゃ交わさない約束なんだね。もう帰ってきたことにする!おかえりイシゾー。ノリマツにおたおめを言いに来た?その前にこっちにも言わせてよ。去年はあんなだったから。いまバカヒロはちょっと病院にいるみたいなんだ。よかったらハトミカと一緒にお見舞いしてあげて。気持ちだけでも。わかってると思うけど黒い服はダメだから。なにも手につかないからこれからDVDを見る。一本の電話から始まる℃-uteのすべてが詰まった水色の時間。順番をつけることがばかげているとしても、あらゆるすべての現場の中でこれがただ一つの最高と今なお言える舞台です。そこにいた人のことなんて絶対に忘れるわけないよ。言ってもしかたのないことはときに言ってもしかたある。久しぶりに7人そろったじゃん。7人がそろったということは8人目を呼べるってことじゃん。

たとえ今はわからないことがあるとしても
笑える日が来るんだから

そんな日が今日くるなんて知らなかった。夏美ちゃんと長谷川くんの再会をこんな形で体験するとは。すこし痩せたの?ケータイマジック?ブログの向うの女の子。ちょっとだけ違うのは、長谷川くんはもう新しい恋人を見つけてたっていうこと。だって若い子が好きだから。でもなんか、なんか!なんか!なんか!うれしいものはやっぱりうれしい。

散った桜はもう見れないけど、こうして思い出すことがあり、出会いと同じ別れの数だけまた出会いもあるのだと写真のきみが語ります。
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むすめふさほせ


フクちゃんは喜んでくれた。少し大げさに喜んでみようとかそんなことを考えていたかもしれない。たとえそうでもかまわない。それでもいいんです、いま一瞬でも二人だもん。みずきと自分を遮るものはなにもない。強いて言うなら自分が邪魔だ。フクちゃんがほしいわけじゃない。フクちゃんの一部になりたい。自分がフクちゃんになったらフクちゃんがいなくなってしまうから、なるのなら一部でいい。フクちゃんに吸い込まれたい。飲み込まれたい。取り込まれたい。困らせるならやめておきたい。

これは決して変な目で見ているのではなく、あってもなくても目は向くのです。なければないで見つけるし、あればあったで見つめるし。つまり大きさは問題ではなく、本能としか言えない衝動により、なんらかの象徴として求めているのです。女性性、処女性、あるいは母性、それともアイドル性。はては人間性もしくは非人間性。

そこには宇宙のような広がりがあり、自分のものにはできないから、ただ飛び込んでみたいだけ。充分変だと言われれば返す言葉もございません。わかりやすく言うならば「応援してるよ」これに尽きます。

手を握った記憶はない。顔を見た記憶すらない。遠くから死に物狂いで見てるのに、いちばん近づいたときの覚えがない。雪の降る町を思い出だけが通りすぎるように、ブリッツのロビーを幸せだけが通りすぎていった。
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まだやで


道重さんからのおたおめメールに「腹黒一同」とあったことについて。

わたしまだ腹黒じゃないですよ

―真野恵里菜


2010/4/11「マノソナタ 〜ハッピーナインティーン on TV〜」(3回目)

まだ…
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2010年04月11日

もうひとりのみずき


手持ちの笑顔写真を早まって全部貼ってしまったゆうかりんに対して、スター性があるとつんくは言った。できないことがスター性へと転換される世にも不思議な世界の話。欠落から聖性へと至る過程の一端がそこにある。

それとはだいぶ違うけれども、フクちゃんもできないことはまだ多い。でもそれを、できないことを次なる力へと変えるのだ。ミスはミスで終わらせよう。失敗するから次へいける。真野ちゃんだってスマだっていっぱいたくさん失敗してる。だいたいあやちょなんて歌ヘタすぎてマイクの音量下げられたりしてたんだ。それを笑って振り返るのがあやちょのすごいところだ。失敗を恐れていたらあのみずダンスはない。

それでもそんなに前向きになれないときはしずくを思い出して。自信を持てないしずくが一歩前へ踏み出そうとしたあの決意を。それを演じた自分を。

「誰よりも私が 私を知っているから」

一年前のパシイベで「I WISH」の一節を一人で歌った。私がくじけそうなときは、私を知ってる私が助ける。いわばしずくはみずきのしゅごキャラ。みずきが演じたしずくはみずきの心の中だけにいる。演じるキモチが背中を押してくれる。昨日とはちがう自分にきっとなれるよ。まちがいは気にしなくていいから、だれでもするんだから。

こんなことを誕生日に言えばよかった。でも半年前だし半年先だし、とりあえず進級にかこつけて。今日はほかにおたおめを言わなくちゃいけない人がいる。まるで3回目にあわせるように降ろうとしている予報が怖い。
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2010年04月07日

2010/4/3【スペシャルジョイント2010春〜感謝満開!真野恵里菜2周年突入&スマイレージメジャーデビューへ桜咲け!ライブ〜】渋谷C.C.Lemonホール


「おめでとー!」ってスキちゃんで叫んだ。昼はまだ発表がなかったので心の中で、夜はもう冒頭で発表済みだったけどかにょんの「ありがとー!」にかぶってしまうのでやはり心の中で、いろんな人がいるこの心の中で。

つんく登場目立ちたいっ!!前の世代とは膝から下の長さが違うんだって。ナガスネヒコならぬナガスネヒメ。こっちだって鼻から下の長さが違います。スマイレージには足を見せるというコンセプトがあるのだと思う。

福田「アイドル戦国時代の先頭をスマイレージが突っ走っていけるように」

今年が戦国時代って初めて聞いたよ。戦えかにょん、負けるなかにょん。子飼いはカリン。苺魂の贈与による絆はかたい。「絶対になんか今いっぱいいるアイドルたちよりも」有名になるとあやちょは言い放った。「いっぱいいるアイドル」とはアイドルが乱立している様を言うのか、それとも大人数のグループを指すのかは定かでない。根拠も何もないくせにあやちょが言えば頼もしい。スマイレージが天下統一を目指すそのスキにフクちゃんを俺の正室に。

エッグでは踊れない。フクちゃんがどんなに全力ダンスをしていても穴のあくほど見ていたい。あなたを飽くほど見つめたい。だからマノスマで踊った。先日のラクーアで真野ちゃん一人の「はじめての経験」を見て、はじめてこの曲で真野ちゃんを見たような気がした。マノジャンプと言いつつ片足を地につけて飛んではいない真野ちゃんがとてもアイドルしていた。天を指差し地に足をつく真野ちゃんははるけき天地の媒介者。イントロで「おぉ〜」と低い歓声があがるのはこの曲がいかにすばらしくどれだけ求められているかをみんなわかっているからだ。だからこそ言っておきたいのは、イントロは横に並んでウェーブするのではなく、真野ちゃんを頂点とするV字体型からの振り返りこそが過去に背を向けた未来へのまなざしであり、この曲のベストアクトはせっきーとこみねっちを加えた7人によってのみ成し遂げられるということだ。

おはガールを生で見るのも握手をするのも初めてだった。「おめでとうなのれす〜」などと声をかける余裕はこちらにも向こうにもなく、にべもなく肩をつかまれ流される。サキチィーは視線を一点に固定させて口を開いて笑顔を保っていた。口の中は肌より黒く、かすかに動く口元は、生まれ落ちたばかりで外気に触れて震えるひな鳥のようであったか。キティの舞台を思い出すね。黄色くて、ふわふわで、くちばしまでついている、動きにくそうなあのエビフライ。これからは着ぐるみじゃなくサキチィー自身の羽がある。強く凛々しく羽ばたいて。

昼と夜の間にかすかに落ちてきたのは天泣。握手までの待ち時間、外は雨だと司会は告げたが出てみたらもう止んでいた。晴れ雨のちスキちゃん。こんなときでもしっかり降らす真野ちゃんにはもう笑うしかない。笑顔写真のモニュメントには笑っている太陽があり、傍らにはいわずと知れた雨ドルがおり。たいようのいしとあまぐものつえがそろえば虹がかかる。「スキちゃん」と「乙女の祈り」というまったく逆のベクトルを近接させる、この相入れなさがマノスマであり、虹であり、狐の嫁入りだった。

干支が回ってくるようにスマイレージも一回りしてここ始まりの地で新人を終える。こういうときだからこそエッグ時代の師匠の言葉を忘れず胸にとどめておきたい。今ならこんなふうに変わるだろうか。

「スマイレージはなぁ、厳しくして伸びるタイプや」

画竜点睛を貼るきわにあたっての順番を決めるジャンケンで見事に勝ってトリを選ぶ勝負強さ。イチゴ好きを決めるときにも勝ったこの強さを、かにょんは自分のためだけでなくスマイレージに捧げるならば未来は明るいものとなろう。めぐりめぐってそれはかにょんのためでもある。先達からはこんな声が聞こえてきそうで…

これからのほうが厳しいんだぞ!(。・∀・。)ノ

そう言われればスマイレージは卒業に際して自分たちが贈られた言葉をそのまま突きつけるくらいはするだろう。

「モタモタしてると追い抜いちゃうからな!」
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2010年04月05日

揺れる重い


良くて「春の嵐」一曲。それ以上は望んでいなかったから続く「OSOZAKI娘」が思わぬ収穫。それで油断してしまっていた。

さあ跳ぶか、イントロ聞こえて膝折ると袖から飛び出す人影が。矢口が写った瞬間にチャンネル変えるスピードで振り向きざまに双眼鏡むんずとつかんで構えればレンズの先に君がいた。

「JUMP」に「I KNOW」とかなんなのこの新人公演。もうみずきちゃんがいればなんでもいいっす!この曲で跳ばないのは初めてだ。今はもうスッペだろうが友情だろうがフクちゃんがステージにいるかぎり踊ることはないだろう。いつまでもすぐそばであなたを見ていたい。ときおり背に受ける照明から後光が差してまっすぐ見られない。JUMPであんなに足を開くのを℃-uteでも見たことがない。跳んでばかりいたからそもそも見ていなかったのだ。

ぱっつん下ろした前髪がJUMPで登場してくると汗をかいたか真ん中分けに。それがだんだん乱れ髪。ダンスの激しさ物語る。髪が揺れる胸も揺れる。いつのまに、本当にいつのまにあんなに揺れるほどに。ずっと見ていたはずなのに。新人公演で見たのは本物だって今なら確信できる。およそ女性というものは冬のあいだに脂肪をため込んでおくような体のしくみになっているのだろうか。正月に見たときでさえこれほどまでではなかったように思うのに、いや増して女らしく。えろいとかじゃなくただ成長がうれしい。親ならばこんな気持ちになるのでしょうか。

言葉から意味があふれそうで、もはや「かわいい」じゃおさまりきらない。無力なヲタクが頼れるものは言葉しかないのです。なんとかしてフクちゃんを寿ぎ言挙げ称えたい。言葉にきみをそっと忍ばせて。語れるものはすべて語ってそれでもなお余りある存在だと証明したい。フクちゃんを言葉責めしたいんです。いやそういう意味じゃなくて!言葉では語りきれないということは言葉をもって示せるのでしょうか。曲が終わるやフクちゃんは手も振らず靴を残していくこともなく一目散に舞台袖。後姿がまたまぶしくて。もうほんとうにかわいくてどうしようもない。
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2010年04月04日

梨思ゆ


「若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎおきたるまま行方を知らずなり」
(八より抜粋)

「ある日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸のあまた生えたるを」
(十九より抜粋)

「遠野物語」全119話のうち、2話において梨がみえる。八は神隠しの現場にあって、まるで異界への入り口でもあるかのように梨の木があり、それを示すかのごとくに草履が置かれ、人が消えた後のうつろな情景を想起させる。十九は見知らぬ茸を食べたばかりに草分けの長者が没落する話。その茸が梨の木の周りに生えていた。

梨にはそんな、未知の世界へ通じるようなイメージがあったのだろうか。昔話「なら梨取り」でもまた、梨は病気を治す仙薬として山深くにある。助言者の忠告に従った三男が危機を乗り越え家族を助ける末子成功譚だ。

桜が満開のもとに生まれた子どもは白い梨の花から名を付けられた。それもまた不思議と言えば不思議な話。人には見えないものが見えるなら、聞こえない言葉に耳を傾けることもできる。末子としての行く末に祈りを。
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でっかく OH YEAH!


遠くに行くんじゃありません!大きくなるんです!

―真野恵里菜

2010/4/3 渋谷C.C.Lemonホール

昼公演終了後の握手会で、海外進出について「遠くに行っちゃうみたいだよ」と言われたことを受けて、夜公演にて。
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2010年04月03日

笑顔と涙とそのあいだ


天気雨を指す「狐の嫁入り」という表現には、天象・空間・人生の諸相における中間状態が換喩として組み込まれているのだという。

中間状態とはすなわち、気象としての晴と雨の並存。空間としては人の住む里と獣の住む山を往来する狐。そして実家から婚家へと嫁ぐことによる独身(個人)から世帯(社会)への移行儀礼である婚礼。このような見知った移行状態に置き換えることによって、晴れながらにして雨が降るという異常事態を人々は了解するのだと(小馬徹「ユーミンとマクベス 日照り雨=狐の嫁入りの文化人類学」世織書房、1996)。

「笑顔に涙」もまた、卒業からデビューへのあわいにあってそのような中間状態を表象していようか。卒業してもデビューではない。明確な線状の境界はなく、帯状のフロンティアとして過ぎるこの落ち着かない一週間は行くも帰るもスマの関。結果ならもうわかっている。遅かれ早かれの問題だから。たとえドラマのように作られたシナリオであってもそれは言葉じゃ交わさない約束なんだよ。期待だけはしすぎるほどにしておいていい。

さらに蛇足を加えると、前掲書の補注において「縞は二つの相入れないカテゴリーの同時並列、ないしは混乱の象徴であると見て誤まらない」とあるのに従えば、先の新人公演でのひょうたん島衣装にみえるボーダー柄もそのような論理に基づいた意味を持ちうることになる。つまり、スマイレージにとっては卒業とデビューという二律をめぐる一連のパフォーマンスを象徴的に表しているのであり、エッグにとってもスマイレージの卒業を転機として大きな変化を迎えようとしている表れとみることができよう。

また、真野ちゃんが虹を見た記事(GREE4/2)に関しても、虹は異なるカテゴリーの近接を象徴するのであるから、すなわちそれはスマイレージとのジョイントコンサートに他ならず、両者が近接することについての瑞兆とみなすべきだと考えられるのだ。


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2010年04月02日

押したり引いたり


若林元農相 参院議員を辞職

自民党の参議院議員、若林正俊元農林水産大臣は、参議院本会議での採決の際、別の議員の投票ボタンを代わりに押した責任を取りたいとして、参議院議員を辞職しました。

NHKニュース(4月2日 10時17分)

ボタンを押して身を引くのですね。スイッチONして辞めるとかお前はどこの舞波かと。
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さきから始まるヒロイン


7時前には準備を済ませてテレビの前に正座とか。しゅごキャラといいリルぷりっといい、むしろテレ東には土下座して感謝したい。羽化したてはデリケート。いつのまにかサナギになっていたムシが羽ばたくのには長い髪がほんのちょっと重かった。

な、なのれすぅ???

どちらかといえばサキチィーとは真逆。不思議ちゃんなら同じグループのお手本をよーく観察してごらん。そのままマネると危ない人になっちゃうから気をつけて。カンペをのぞく鋭い視線。まだ少し硬いサキチィースマイル。みみ!みみ!サキチィーにみみ!のっちでなくともこれは食べたいかじりたい。おみみをかぶろぐしたい春。

大事な収録の前の日、なかなか起きられない朝も、スマイレージは毎日笑う。それを見たくて毎日エールを贈る。これで嫌でも早起きできる。おはスタでも見ないと年度のあらたまりを感じることができません。「新おはガール」って早口で言うと「塩ガール」に聞こえちゃうからそこだけ山ちゃんたのむよ!
posted by sleeping mizuki at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ノーカテゴリ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする