2011年12月19日

盗まれた声


フジコが声を失ったのは兄さんがアレだったことにショックを受けたからでなく、それもありながら「消えろ」という兄の言葉を忠実に受け入れようとしたためだろう。

「兄さん、フジコも消える?でもフジコどこへ消…」

どこへ消えればいいのかと、フジコは聞こうとしたのだった。消えるって死んじゃうみたいにどこにもいなくなっちゃうことなのに。声を失くすということはフジコにとって存在が消えるのに等しい。フジコは消えよう消えようとして、声を失うという形で無意識に自分の存在を消してしまった。それくらいフジコにとってカンタケの存在は大きく、その兄に消えろと言われた絶望は推し量るに余りある。兄を持つ身としてツバサと並置することのできるこの構造を見逃してはならない。

(並べてみることで何かがわかるかもしれないもう一つを、カンタケ・ドジマの関係とりつ子・ツバサの関係に見たい。同性愛とは言い切れないような、じゃあなに?と言われてもなんとも言えないような)

「川を超える後ろすがた」と題して書き綴られた工藤の演劇的ポジション。引用すれば、

等身大の工藤遥とはちがう人間に変身しているにもかかわらず、同時に、まさしく『どぅー』そのものであるという、うまく言い表せない信じられない姿

2011/4/5「ムギムギデイズ」

まったく同じことを「今いつ」の叶多(かなた)を見て感じていた。やはりうまく言い表すことができずに。役と工藤が本当にイコール。だからフジコが声を失くすのならば、その意味は工藤へも向けられていたはずだ。歌とダンスはこれからでも、あの声とトークは誰もが一目置くところ。声を失くした工藤なんてクリープのないコーヒーでしょ。舞台でも少しピッチの速い独特のリズムとイントネーションを獲得している。「フジコ=工藤」だから、このシーンは二重に悲しい。もしも工藤がそんなことになったらと。そうしたらこのシーンが生きる力となるだろう。

声を取り戻す過程が古見家の君が代なみに省略されている。時間の都合でなければそれは、カンタケがこっちへ来いと抱きしめたとき、フジコは声が出なくてもすでに救われていたからだと思う。「声に感謝はできませーん!」というセリフをフジコが言っていたのは暗示的だ。何を暗示しているのかといえばもちろん、フジコは声に感謝するようになり、工藤にもそうしてほしいとの願い。
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8974(妬クナヨ)


決して良いとは言えない岡井ちゃんの滑舌が泣きのシーンで生きてくる。「どこにも行くなよ!」と兄を指差す涙声。舞台を観に来ながらもブログには書かないタケの心境。わかるよ、悔しいんだろ。初舞台とは思えない、初見で弾けちゃう陽葵ちゃん。初舞台がオトムギってペナントレースでいえば開幕ダッシュどころじゃない。

千穐楽にしてカリンの力み具合がよかった。「なによー!」の意気込み。感情を爆発させるカリンの怒る演技が好きだ。カーテンコールの悲しげな表情が好きだ。姉を通せんぼしに飛んでくる、細いのに力強い白のハイソックスも好き。ありがとう足。きれいだよ足。予定通り3月に上演されてたらどんなことを思っていたのか。きっと帰りに桜を見たくなっていただろう。でもカリンは見られなかった。自分の演じた人間がまた一人増えたことを宝物にしてほしい、ていうかなるよ!

りつ子のソロステージと、ラストのツバサ登場と、降っている桜の色が違っていた。ソメイヨシノと八重桜の違いだろう。どっちがどっちなのかはわからないけどソメイヨシノが散るころに八重桜は咲くらしく、カリンは遅咲きなのかもしれない。ため息もすごく深けりゃ深呼吸。これもまた路子がカリンに話しかけ。ソメイヨシノも八重の桜も変わりはないとツバサは言った。ため息にならないように深く大きく息を吸って。
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一人な行きそ


生死はともかくとしてりつ子とツバサにお別れがあったことは間違いない。回想シーンの落ち着きぶりからそれは突然の別れではなく、時間をかけたものだと想像していた。ところが今日のりつ子はどうだ。ふらふらと、そうまるで貧血を起こして階段から崩れ落ちんばかりの歌い方。きのうお別れしたかのような。

りつ子はツバサを思い出し、なかさきはりつ子と今日でお別れ。感極まって歌えなくなりそうになりながら、二人とも歌をやめるわけにはいかない。演じるほどに素が見える。演じることは違う役の皮をかぶるんじゃなくて自分の皮を剥いで役を見つけることだと思った。前髪をぐしゃぐしゃにして目を赤くしたなかさきちゃん。左手のゴムパッチンを物憂げに見つめる姿がなかさきちゃん。初めてのステージ衣装はみかん色。明日からまたいつもの短パクでヘタレのナカジマに戻っても、本地垂迹のごとくになかさきちゃんはいつまでも。ナカジマの中のなかさきちゃん、どこにもイクナヨ!モノローグ、特に最後のセリフはりつ子がなかさきに言い聞かせているようで、それこそがアイドル舞台の醍醐味。ちょうど桜が降るころにDVDが出るのです。

さようならさようならまた会う日まで
涙を拭いてさようなら
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2011年12月17日

7974

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2011年12月16日

ばかばっか

yuukasmile.jpg

こんな笑顔が見れるなら
卒業するのもいいのかな

なんて思うかばかやろう
明日やろうはばかやろう

明日やるにも明日がなくて
今しか言えないばかやろう
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2011年12月12日

眠れかし


どんなに疲れて寝そうでも読みたいと思うのはタケちゃんブログ。だから更新がないと寂しい。でも深夜に更新するよりはゆっくり眠ってほしいから無理をせずにこのペースで。主な話題はテレビとマンガと野球とサッカー。小学生男子たるもの眠いときは寝るのがいちばん。
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2011年12月07日

手を握って恥ずかしい


「モ」グループはくまさきにまさきという字面の似た並び。お客さんを待ち受ける熊井ちゃんとなかさきちゃんの間には適度な距離感が。近づきすぎると熊井ちゃんは過度に見下ろすことになってしまうから、できるだけ目線を下げずに会話ができるようにとのなかさきちゃんの心づかい。なにより自分の首も疲れる。途切れがちな握手の列で二人がかわす二言三言。行くも帰るも別れてはこれで最後のゆうかりん。背を向けて並んでいてもももち結びでももちとわかる「ベ」グループ。「キ」グループではタケちゃんが舞美と並んで握手のなんという親族代表。タケちゃんにおたおめを、ゆうかりんにお別れを。そんな誘惑を断ち切って、いや断ち切るまでもなく、スッ!といえばペッ!の条件反射でフクちゃんの「ス」グループ一択。これが激単推しというものだ。

モラルとはなんだろうかと考えさせられることしきり。それが問題にされる時点でモラルが守られていないという現実があるのだがそもそもがモラルとは守られることを前提としていない。守らない人がいて初めてそこにモラルが顕在化すると言ってもいい。モラルは守らなくても制裁を受けたりすることはない。むしろ守ることで損をすることはよくある。とりわけこの日みたいなアイドルの現場では。さてそこで自分がどのようにふるまうかだ。ライバルは弱気で後ろ向きな自分だと歌われる通りに許すのも許されるのも自分。強気で周りを省みない自分はライバルであるより敵と呼ぶにふさわしい。戦争が起きなくても平和のありがたさは知っておきたい。人の振り見てわが振り直せというのはなにも振りコピに限ったことでなく。

寒さに耐えかね売店へ。たこ焼とソースと初恋のにおいも消してしまいそうな冷たい雨の中、みやと愛理に挟まれてBuono!気分かフクちゃんは長時間に及んだわりには元気なのが救いだった。握手なんて流しがいなくてもなんかシャイな振りでいつもすぐ歩いちゃう。
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エッグ往にけり


アールフォーにエッグの姿が!「ハロプロ=モベキマス」じゃない。エッグがいてこそのハロプロなのだ。真野ちゃんがエッグを従える構図が懐かしすぎてホームに戻った気すらした。何の色にも染まっていない真っ白なシャツがまぶしい。名前さえもまだないみたいに相変わらず紹介されることもないエッグたち。新たに研修生オーディションが始まるとのつんく談。「エッグ」という言葉は使っていなかった。今日現れたメンバーはそのまま新研修生となるのだろうか。エッグとして紹介されなかったということはもうすでにエッグという名称は存在していないのかもしれない。研修生の募集については必ずしもガラス張りである必要はないと思う。でないと研修生のオーディションに落ちることによって研修生を凌駕するアイドル性を獲得する者が生まれてくるおそれがあるからだ。そのような場合には研修生のバックダンサーからお願いしたい。

ステージ狭しとエッグも含めて大きな輪になりグループごとに振られたパートをルーレットのように回転しながら前へ出て歌う。モベキマスと来て次はエッグの番かと思えど当然ながらパートはなく、その輪はほどかれてしまうのだった。「慌てずに先を急ごう」「まだ間に合うぜ」と昨夏の汐留で聴いたときには研修制度の変更を前にエッグの先行きが気になった。あのときはきっかがいてさぁやがいて、今ここにカリンがいる。みんなはエッグのために、エッグはみんなのために。解散も卒業もなく、あったとしても告知がない。

posted by sleeping mizuki at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 【ハロプロエッグ】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする