2010年11月14日

熊がいつかになる前に


2010/11/6【Berryz工房コンサートツアー2010秋冬 ベリ高フェス!】JCBホール

バルコニーから見渡すカラフルさが目にまぶしい。モノトーンの今いつから初日で浮かれるベリコンへと振り幅が大きすぎた。懐かしさの余り開演前のトシちゃんにオイオイ!贈る言葉にはすかさず鉄矢コールを無理目にねじこむ。ベリヲタがなぜ始終ふざけているのかと言えば、楽しければそれでいいから。なん恋で幕が開くって、この感覚はスイッチON!でも振り付けちょっと変わってる!それが時代の流れですよね。お知らせなんて、想定はしても心配はしない。

これやこの阿弥陀如来のお導き。公演替わりの日直は、天の配剤、神の悪戯、仏の大慈、熊井ちゃん。熊ソロ独占ごめんなかさき。熊井ちゃんのソロなんてそれこそにょきにょき以来かも。6人はバックダンスで盛り立てて、ヲタも浮かれて持ち上げて、浮かれ浮かれて浮世ソロ。じっくりと聴く環境にはない。ベリコンらしく熱狂のうちに過ぎていった。上手さを問わない熊の遠ボエ、これぞ日本がベリーズが世界に誇るK-POP(熊ポップ)。にょきにょきほどではないにしろ熊井ちゃんが推されているのはわかる。ビックリ顔のコーナーは「朝起きたら身長が120cmになっていてたときの顔」。どんだけ小さくなりたいんだよ…。

「この指とまれ!」と桃子が言うときの「この指」とは掲げた右の人差し指ではなく、マイクを持つ左手の桃子指。桃子と雅とまあさはM組だって。だったらたしかM組には転校してったMがいて、思い出すこと5年前、ベリ中フェスのころでした…そんなノスタルジーは無用ですね。雅&桃子のファンも「イブ様ー!」と声援を送るさまは、アニメに出てくるアイドルファンみたいですがすがしい。ヲタが清まる瞬間を見た。

中盤から終盤にかけての盛り上がりにやや欠ける。あななしがすっごい浮いてた。当時を知らないヲタはとまどうのではないだろうか。知っていたらなおさらに、感慨をもって立ち尽くすしかできなかった。知るも知らぬもベリヲタだもの。夏じゃなくても本気ボンバーはどこに置いても締まる曲。友情純情はスッペを呼び込む布石じゃなかったの?時間が止まったヲタはみじめですね。でもそれでも楽しいのがベリコン。終演後には「スタンド・バイ・ミー」、さすがにコールは入れずとも、黙って聞き入るはずもなく、「ベリーズ最高!」「おやーすみやび!」、「おつかれさまーさ」ねぎらって、「エンジョーイ!」でバンザーイ!「おーつぐなが!」で一応解散、あとはだらだら水道橋の夜が更ける。ベリコン後の生きててよかった感は異常。楽しさ以外何もない。この安心と安定感。三億円も降ってくる現代のお伊勢参り。熊井ちゃんの振り上げた手がホールの天井に届くのか、確かめうるのは現場だけ。ヲタとして生きるなら一生に一度は見ておいてもええじゃないか。

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2010年04月07日

2010/4/3【スペシャルジョイント2010春〜感謝満開!真野恵里菜2周年突入&スマイレージメジャーデビューへ桜咲け!ライブ〜】渋谷C.C.Lemonホール


「おめでとー!」ってスキちゃんで叫んだ。昼はまだ発表がなかったので心の中で、夜はもう冒頭で発表済みだったけどかにょんの「ありがとー!」にかぶってしまうのでやはり心の中で、いろんな人がいるこの心の中で。

つんく登場目立ちたいっ!!前の世代とは膝から下の長さが違うんだって。ナガスネヒコならぬナガスネヒメ。こっちだって鼻から下の長さが違います。スマイレージには足を見せるというコンセプトがあるのだと思う。

福田「アイドル戦国時代の先頭をスマイレージが突っ走っていけるように」

今年が戦国時代って初めて聞いたよ。戦えかにょん、負けるなかにょん。子飼いはカリン。苺魂の贈与による絆はかたい。「絶対になんか今いっぱいいるアイドルたちよりも」有名になるとあやちょは言い放った。「いっぱいいるアイドル」とはアイドルが乱立している様を言うのか、それとも大人数のグループを指すのかは定かでない。根拠も何もないくせにあやちょが言えば頼もしい。スマイレージが天下統一を目指すそのスキにフクちゃんを俺の正室に。

エッグでは踊れない。フクちゃんがどんなに全力ダンスをしていても穴のあくほど見ていたい。あなたを飽くほど見つめたい。だからマノスマで踊った。先日のラクーアで真野ちゃん一人の「はじめての経験」を見て、はじめてこの曲で真野ちゃんを見たような気がした。マノジャンプと言いつつ片足を地につけて飛んではいない真野ちゃんがとてもアイドルしていた。天を指差し地に足をつく真野ちゃんははるけき天地の媒介者。イントロで「おぉ〜」と低い歓声があがるのはこの曲がいかにすばらしくどれだけ求められているかをみんなわかっているからだ。だからこそ言っておきたいのは、イントロは横に並んでウェーブするのではなく、真野ちゃんを頂点とするV字体型からの振り返りこそが過去に背を向けた未来へのまなざしであり、この曲のベストアクトはせっきーとこみねっちを加えた7人によってのみ成し遂げられるということだ。

おはガールを生で見るのも握手をするのも初めてだった。「おめでとうなのれす〜」などと声をかける余裕はこちらにも向こうにもなく、にべもなく肩をつかまれ流される。サキチィーは視線を一点に固定させて口を開いて笑顔を保っていた。口の中は肌より黒く、かすかに動く口元は、生まれ落ちたばかりで外気に触れて震えるひな鳥のようであったか。キティの舞台を思い出すね。黄色くて、ふわふわで、くちばしまでついている、動きにくそうなあのエビフライ。これからは着ぐるみじゃなくサキチィー自身の羽がある。強く凛々しく羽ばたいて。

昼と夜の間にかすかに落ちてきたのは天泣。握手までの待ち時間、外は雨だと司会は告げたが出てみたらもう止んでいた。晴れ雨のちスキちゃん。こんなときでもしっかり降らす真野ちゃんにはもう笑うしかない。笑顔写真のモニュメントには笑っている太陽があり、傍らにはいわずと知れた雨ドルがおり。たいようのいしとあまぐものつえがそろえば虹がかかる。「スキちゃん」と「乙女の祈り」というまったく逆のベクトルを近接させる、この相入れなさがマノスマであり、虹であり、狐の嫁入りだった。

干支が回ってくるようにスマイレージも一回りしてここ始まりの地で新人を終える。こういうときだからこそエッグ時代の師匠の言葉を忘れず胸にとどめておきたい。今ならこんなふうに変わるだろうか。

「スマイレージはなぁ、厳しくして伸びるタイプや」

画竜点睛を貼るきわにあたっての順番を決めるジャンケンで見事に勝ってトリを選ぶ勝負強さ。イチゴ好きを決めるときにも勝ったこの強さを、かにょんは自分のためだけでなくスマイレージに捧げるならば未来は明るいものとなろう。めぐりめぐってそれはかにょんのためでもある。先達からはこんな声が聞こえてきそうで…

これからのほうが厳しいんだぞ!(。・∀・。)ノ

そう言われればスマイレージは卒業に際して自分たちが贈られた言葉をそのまま突きつけるくらいはするだろう。

「モタモタしてると追い抜いちゃうからな!」
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2010年02月15日

2010/2/14【ガーディアンズ4「『Going On!』リリースイベント」】山野ホール


4人だから?黄色だから?壁面上部の長く貼り付くフレームにステージと会場が反射して狭い山野がアリーナの眺望。タンポポ畑がよみがえった。おまかせから振り返る構成にただならぬ予感。持ち歌を吐き出すセットリストにガー4のすべてがぶつけられる。Buono!っぽい佳曲「Summer Has Come!」。さようならの趣き「いつかどこかで。」これはイベントではない。最初で最後のガーディアンズ4コンサートはデビュー記念の解散ライブ。

「夏を待ちきれないあなたへ」

と熊井ちゃんは言った。夏まで待てない!と謳って解散したグループがいた。待ちきれないのは夏が来ないから?来ないと知っているからなの?また来る夏が美しいようにと願わずにはいられない。

梨沙子に顔を拭うしぐさがあり、それが泣いているように見えた。でも汗ね。たぶん泣いてはいないけどそれは苦くて甘いヲタの心象風景です。くまさきの子孫と自分の子孫がいつかどこかで会うようなそんな再会をしてみたい。

「お待ちかねの新曲です!」

と光井は言う。この曲はいつまでも新曲であり続けるのか。永遠なんていうものが本当にあるとしたら、それを語り尽くすには永遠の時間を必要する。だから永遠は一瞬。いつも瞬間に宿る。おまかせからごいのんまでのどこかに、あるいはすべてにそれはあった。でも瞬間は短すぎてやっぱりわからない。会場で打ちのめされた瞬間を文字にできないこのもどかしさ。現世で見られる最高のコンサートだった。
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2009年11月17日

そのすべての鯛に


2009/11/15【Berryz工房コンサートツアー2009秋 目立ちたいっ!!】渋谷C.C.Lemonホール

まずは急なお知らせがないか確認。よかった全員鯛丈夫。元気でいるのがありがたいっ!!初日昼でも行かないかぎり、セットリストは見ちゃいます。こんなのかなぁ?と思っていたら本当にこんなのだった。腹部一面に大きく書かれた「たいっ」の文字が問答無用でわかりやすい。古く俚諺に伝えるところの「名は鯛をあらわす」だ。

slayers.jpg

踊りたいっ!!叫びたいっ!!けど変則スッペを目に焼き付けたいっ!!そんなときには仁王立ちして鯛ガーですよね。こ、これは…スッぺが…ぼくたちのスッぺが蹂躙されている…。それともなんですか、虐鯛とでも言うんですか?スッペはカッコいい曲なんだって今のヲタにも知っておいてもらいたいっ!!8人いたのが夢みたいっ!!この日のための捨て身の引鯛、舞波のことも忘れないっ!!

なにあの巨大な鯛!半人半獣ならぬ半熊半鯛。もう人間じゃないのかと。

鯛タッチ、いやハイタッチがない!鯛のままじゃやりにくいのかな?だったら目と目で通じ合う鯛コンタクトが重要ですね。後ろから羽交い締めして鯛タニック。千奈美のギャグは鯛屈だね。もう好きすぎてバカみたいっ!!鯛のスキスキ指数上昇中!モンキーMDYDのコミカル路線がここに結実。ベリだからこんなスッペもありかもね。

℃-uteだったらどうなるのかな?鯛ムカプセルはストレートすぎるので変化をつけてわっきゃ鯛(Z)。見事に年末になっちゃった初鯛。

おいしいものには目がない鯛理?(スズキなのに)ショートカットが軽やか鯛美?岡井ちゃんは犬としての本分を尽くしてほしいので鯛には反鯛。ここは問答無用でなかさきを推したい。熊井ちゃんと鯛スッぺはくまさきヲタの新しい夢!期鯛で胸をふくらます。いつか必ずかなえたいっ!!時計の針を巻き戻せたらAB℃でエビぐるみ。そこまでやるなら歴史を変える鯛ムトラベル。初デートまでさかのぼらせて恋に恋する鯉ぐるみ。そしてかんにゃの足に優しく包鯛を巻いてあげたい。

閑話休鯛、話をベリに戻すなら、このタイミングでタイコンサとはいっ鯛どういうことでしょか。ツアータイトル関係あるの?泰緬の国境を越えたキャプが帰ってこないおそれあり。おーい水島!一緒に日本へ帰ろう!タイで鯛コンやるならば千秋楽の地はいずこ。鯛ムスリップto仙台(江戸時代から着信があるお話です。ケー鯛に)。年末とはいえハロコン前のどうせタイトなスケジュール。一番かわいそうなのは今もスヤスヤ寝ている台湾のヲタ。べりきうのどちらが優れているかなどにわかには決めがたい。でも相鯛的にはやっばりベリかな。℃-uteコンのあとになったらコロッと鯛度が変わりそう。鯛方郡からはじまって、邪馬鯛国の行方が気になる。なんか見つかりゃだい鯛このへん。フクちゃんと一緒に木を植えたいっ!!

どうせあれだろ、桃子は魚屋の鯛将だって言いたいんだろ!ステージ上で鯛の字に、いや大の字にひっくり返った桃子の足裏、白いゴム長の靴底には「全員集合」と「7人」のマジック書き。5人や6人のベリを知らない。8人のベリは知っていたけど減ったなんて最初から思ってない。疑似的に増えたのは見たことがある。いつも成長し続ける、いつものベリにしか見えなかった。何人いるかと聞かれれば7、8人と答えたいっ!!さすが桃子はぷりぷりプリンケツ。鯛アモンドはプリプリですね。何年前?加勢鯛周の時代かな?鯛既日食はみんなで一緒に鯛を食べる日。桃のケツにはもぉこ斑。足裏のメッセージは神なる桃子の仏足石かくまだらぼっちの足跡か。

ベリがコンサを続けるかぎり、一ツアーに一度は行こうと思ってた。でも一回だけじゃもっ鯛ないからまた行きたいっ!!あい鯛けど…少し我慢だね。長谷川くん、私もう時間がないみたいっ!!夏美ちゃんは舞美に生まれ変わりたいっ!!ノリマツ!鯛だよ、鯛!

すべて真実は鯛によって導かれよう。ベリとヲタとの鯛話篇。釣って釣られて鯛工房。

ラララ ラララ 鯛の歌声が聞こえてくるから。

GO!GO!Thai!
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2009年09月17日

好きから始まるヒロインたち


2009/9/10【℃-ute Cutie Circuit 2009〜9月10日は℃-uteの日〜】SHIBUYA-AX


「好き」

舞美(たぶん)がそうつぶやいて「行くZYX」が始まった。いつからこんな演出をしているのか知らなかった。曲が始まればヲタは騒ぐ。始まらなくても騒ぐ。しかしこれは騒ぐ前に℃-uteに先制された。この一言で℃-uteにペースを持っていかれた。好きから始まるヒロインがいた。

中禅寺なき仔が「スーパーの屋上の炎天下で2ステージ」するなら三越イベ。六本木、賑わう日曜日の応援企画。2006年のタイアップ曲といえばスタフィーかこども未来博。「Berryz工房の曲でしょ!」を聞けばうっかりよみうりランドにタイムスリップ。やっぱり最後はわっきゃですよね!6人で通してやるのは最後のわっきゃと言われても踊れない踊らない。スペースなくて動けないからしっかりと目に焼き付けた。

1年という時間の長さと4年という時の短さを同時に思う特別な日。℃-uteの日は立ち止まって振り返るためのイベントなんだと改めて強く思った。ツアー中というまさに全力で走っているさなかに立ち止まることが意義深い。未来はいつもここにある。のちに振り返るための未来が。ここから未来が始まるならば、ここは同時に過去にもなる。答えはいつも現場にあって一目燦然、見ればわかる。ただそれを言葉にする術がわからない。

矢島「このコーナー来年はどうするんだろう?」
梅田「そうだねぇ」

DJマイマイ以下略のコーナーを終えて言葉を交わす二人。このあとの即抱きの一節がまるで応答しているようで。

「来年なんて先のこと ちょっとわかんないけど」

ちょっとわかんないけど、いつまでも℃-uteの日ヲタでいたい。

梅さんが二人の名を出すということは、卒業後にも「えりか」の名が口にされることにやぶさかでないということだ。名前を呼ぶ、ただそれだけで存在が確認される。そういう霊力を含む行為であることは古代から変わりはない。

「めぐと栞菜がやめて、えりもあと1ヶ月半で卒業してしまいますが…」

舞美もこう語りかけてくるのだが、名前は出せても見えない壁がここにある。めぐと栞菜に卒業という言葉は使っていない。二人に笑われないようにがんばるし、応援もするけども、残った者の責任として、苦しんだ者の誇りとして、脱退と卒業は断じて違うと言いたいのか。舞美が何も隠さないなら、これは言葉どおりにそう受け取るしかない。

知る限りでは「キューティーぐだぐだクリスマス」でわずかながらめぐに触れられたことはある。それは奇しくもこの二人の、こんな短いやりとりだった。

矢島「で、まぁ、あと、めぐが…学校にね、専念するって言って…℃-uteを脱退しましたが…」

梅田「悲しかったねぇ…」

梅さんは脱退じゃないから、悲しみの中にも悲しいとは違う何かを。「Great Atashi & Maimi」でGAMなら「U & ME」でUME。あなたとわたしの梅物語。残りのページがあとわずか。
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2009年08月19日

『僕達の終戦』が始まる


2009/8/15【℃-uteコンサートツアー2009夏秋〜キューティーJUMP!〜】東京厚生年金会館

「楽しみ」というのとはまた違うツアーの開幕。栞菜がいないよりいた方がいい。梅さんもいないよりいた方がいい。今はそうとしか思えない。でもこのまま機会を逃していたら℃-uteはもっと変わってしまいそうなのが怖くて。

悪ふざけをするちさまいに梅さんが二人以上にふざけ倒し、舞美となかさきがそれをたしなめるコント劇の一幕。前から知ってる℃-uteの構図に違いなかった(まいまいは今もあんなふうにはしゃいだりするのだろうか)。ただそれを少し離れて見つめる栞菜の視点が抜けている。それは自分自身の視線をもって補完するしかないだろう。℃-uteを外から見る者として初めて栞菜と一緒になれる。

タップとモップ(正確にはブラシ)の融合ダンス。

腰のあたりにつけてあったと思われる舞美の音響機材が外れた。だらんと垂れたコードを持ってダンスを続けようとする舞美。そこへ下手からスタッフ一人。そのまま舞美を誘導して上手へ消える。そのとき℃-uteは5人になっていた。

ベリキューコンでもこんなことがあった。「涙の色」でちょうど舞美がいなくなった。そのときも今日と同じようにほんの一時的なできごとだったのかもしれない。でも誰かが卒業しようとかそんな話は聞こえなかった。

サークルを形作ろうとする5人。本来なら舞美が隣にいるはずだったのだろう、まいまいが少しとまどっているようだった。それでも隣から隣へモップトスを滞りなく終える。

落ちたのもタイミングなら戻るのもタイミング。これ以上ないサビを直前にして舞美が上手からひょっこり現れた。機をうかがうように5人の輪に舞美が加わる。こうして℃-uteは6人になった。これでいい。何人減ろうが増えようが、今現在6人であることが確認できればいいのだ。℃-uteは今6人だから。

もうすぐいなくなるときに誰かが一人欠けてみる。市原の夜みたいだった。欠けたることもなしと思わん。再びブラシを突き合わせる6人のまっさらぴんのブラッシング。ケベス祭りのようになんだかよくわからない神秘がそこから始まっていた。

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でなければ三銃士の剣の誓い。ダルタニャンは三銃士ではない。だけど「みんなのために」と誓うその「みんな」には当然ダルタニャンも含まれている。なんかそういう℃-uteの誓い。

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コンサ終わりの高揚気分でなにはなくともなんでも言える。そこに℃-uteの不滅を見ていた。これはもう宿命として受け入れるしかない。“卒業”というのは最大限受け入れやすい形だ。そうしてくれたのは℃-uteの良心。突然いなくなってもゆっくりいなくなっても心の中への残り方はあんまり変わらないものかもしれない。だったら卒業するまでぐだぐだ言えるほうがいい。

舞美が汗で光っていた。来夏がおね○○で描く世界地図を舞美は汗で染め抜くか。頭の上の黄色い羽根飾りまで濡らしていそうな舞実の汗。世界地図はサマー・パーティ。

桜チラリがいい位置にある。アンコールの手拍子をして手のひらが桜色に染まったころにチラリ。もっともその前にJUMPで真っ赤になっている。それからこれはもうすでに決まっていることなので言ってもしかたのないことですけど、できればあのー、わっきゃをフルで…お願いします。
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2009年06月07日

2009/6/6【真野恵里菜デビューコンサート「プロローグ〜乙女の祈り〜」】中野サンプラザ


曲がり角曲がったなら、へんりかずは談笑中。僕もいれて!ていうかこっち見て!おいこぶぅ!どうせ帰ったら何食おうとか話してんだろ!ぷにきちはメロンいっぱい食べてね。手を伸ばしてはいけないし、話しかけてもたぶんいけない。花音メモにのってでもいれば向こうから気付いたりしてくれるのかもしれないけれど、ただ目の前を通りすぎるだけ。ここでサキチィーにかわいいねとでも言おうものならとなりのかにょんにまる聞こえ。

握手だったらその瞬間だけは一対一。お見送りという名の通過儀礼は一対六で完敗です。でも控え目に振っていた手に振り返してくれたのは最後のせっきーだけ!野守は見ずや君が手を振る。手なんて振ってもいいのかいせっきー?スタッフに見つかって咎められてしまうことだよ。あの上目づかいが怯えていたものではないことだけを願ってやまない。手も足も出ないおくりびと方式による言い知れぬこの距離感。向こうも身構えているわけではなく、素通りしようと思えばできてしまう。アイドルとヲタというステージから一歩足を下ろしたみたいなところで顔を合わせる気恥ずかしさ。偶然街で出会ってもがっつけないのと似た感覚。単語の最初と最後だけ合っていれば認識できてしまうように、最初のへんりかずと最後のせっきーだけ記憶に残って、全員と握手したような気になった。Bye Bye またね!

肝心のライブでは新しい衣装で登場するなり、こみねっちとサキチィーの二つしばりにつけた白に釘付け。こみねっちはシュシュ(?)、サキチィーは蝶ネクタイのようなリボンで、本当に白いチョウが2匹、サキチィーテールに止まっているよう。ちょっとじっとしてて!そのチョウ捕まえてあげるから!サキチィーごと!とか言っ…えません。その驚きの白さに比肩しうるのはいまだ見ぬまぁなホワイトぐらいだろう。万葉の昔に詠まれた白もそんな輝きを放つようであったに違いない。夏空に風を受けて舞う白が鮮やかにまぶたに浮かぶようだ。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の リボンつけてふ ぁまのじゃくまだ?

もう三度も真野ちゃんの涙を見てしまった。エッグ卒業、デイリー2位、そしてデビューコンサート。「私らしく」という言葉を使っていたからこんな詞を勝手に贈りたい。

夢を追いかけたら 笑顔と涙の数
だんだん増えてゆくこと 知っているけど

「私らしく」(作詞:松浦有希)

誰でもないまのえりの未来を見つめたくて。結婚しても「裏切った」と言われない、そんなアイドルになってください。
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2009年05月17日

2009/5/16【Berryz Kobo Concert Tour 2009 Spring そのすべての愛に】東京厚生年金会館


梨沙子の直筆パネルに「Fourteen」と書かれた年齢は、棒線を引かれて「15さい」と書き直されていた。時の流れが染みついている。

「さぼり」はサビで声がブレていて、これまでも決して安定していたわけではないであろうことをうかがわせた。フリーハンドの梨沙子は定規を当てたような線は引かない。目指すところは完璧でありつつもこの不安定さが魅力にもなっている。

コロコロ変わる表情はそれだけで見ごたえがあった。「いつもすぐ帰っちゃう」で口をへの字にして残念がる梨沙子。主人公の感情を推し量って表現することはよくできている。しかし、悲しいときに悲しい顔をするとは限らない。悲しくて悲しくて悲しいとき、悲しくない顔をされたらよけいに悲しい、そんなときがあるんじゃないかと。どんなときかはわからないけど、梨沙子なら表現できると思って。それができたらもうプロの歌手。でもこの曲の表現としてはこれでいいのだろう。外に出て吹いてきた夜風に包まれて梨沙子を思い出した。

「HISTORY OF Berryz工房 SINCE 2004.3.3」と題した、シングルCDのポスター展示。みやびみやびの大合唱をあとにして、会場を出る前に立ち止まる。降り返ってなん恋ポスター。後列で弾け飛んでる舞波。まあさ・キャプ・桃子の流れるようなMC(桃子いじりとも言う)を聞いていると、トークにおいていかに昔は力不足だったのかと思う。そのなかにあっても遅れをとっていた舞波。他にはいない奴だった。誰かがいないってことはこんなにも思いを長らえさせる。みやびコールに比べたら空しい思いではあるけれど。今の舞波とは会いたくもないくらいに、思い出の中の舞波と会える場所。

「今日は桃に会いに来てくれてありがとうございますっ」

ちがっ…別にお前に会いに来たわけじゃ…。だいたいお前にありがとうなんて言われる筋合いはない!それはこっちのセリフだぞ!

このセットリストのなかでは「あいたいけど…」は少し浮いてるように感じられてそれだけに印象に残った。雅ヲタは少し我慢だね。

「今も過去も好きでいます」

なん恋、ハピネス、友情純情。この3曲に思い出をぶち込んだ。自分が今のベリーズに与えられるものといったら思い出ぐらいしか持っていない。どんな衣装だったかも覚えてない。なん恋はなん恋の、ハピネスはハピネスの、当時のあの衣装しか浮かばない。それを思い出しながらステージを見ていたから。友情純情はカップリングで本当によかったと思う。でなければ舞波パートなんてなかっただろうし、そこを継いだ桃子の声に耳だけ我に帰ることもなかった。代わったパートに時の流れが染み込んでいた。過去と未来ばっかり見ていて、もっと今を見るべきだとも思った。でもこの先どんなに曲が増えても、一つくらいは昔に戻る曲があってほしい。思い出に押し潰されそうな人はその一つを見に行ったりするものです。あのとき出会ったことを思い出せば、いま会っていることも大切にできる。そのすべてに会いに。
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2009年04月07日

2009/4/4【2009 ハロー!プロジェクト新人公演 4月 〜横浜HOP!〜】横浜BLITZ


「あっ!森ティのホクロここ!」なんてモリサキの足にホクロを見つけてる場合ではなかった。つまりはアカリOUTサキチィーINというわけだ。名前を呼ばれた4人が集まるステージは死角になって隠れてしまい、見渡す視界には選ばれなかったメンバーの顔が連なっていた。

モリサキは中空を見つめていた。心境は察してなお余りある。隣にいたさぁやがチラッとモリサキの方を見やった気がした。カリンは恐ろしいくらいに笑顔を絶やさなかった。同様に、4人目で呼ばれる直前のかにょんの真顔が恐ろしかった。

みんな一緒にJUMPできるわけない。それを分かっていながらも、あの場で選別がなされることに抵抗を覚えるほどエッグが好きになっていた。ユニットというものはアカリみたいなのを一人は入れておくものだ。つんくならそう考えそうなものなのに。それだけの余裕がない。犯罪覚悟でアカリを抱きしめてやりたい。そしてたいして落ち込んでもいないアカリに両の手刀で打ちのめされたい。

選抜と非選抜にベリキューの歴史を振り返らざるをえない。なかさきが今までで一番悲しかったことは、Berryz工房が先にデビューしたことなんだとか。「今はぜんぜん平気なんですけど」そう言える日が来るように、いつか振り返るための今日であれ。憂佳と明梨が交わすグラスにヒビ入ることのないよう願う。捨て犬はあんな顔をするのだろうか。あやちょでなくても捨ててはおけない。どこか気まずそうな19人は、ちょうどそのころ降っていた雨につぼみを濡らした桜のようだった。

重苦しいとまではいかない実に微妙な雰囲気が漂う中のラス曲で、あっすーの目が2階関係者席の方へ何度も泳いでいる。これはもしや姉が?大好きなお姉ちゃんが来ているというのか?はては岡井家勢ぞろい?リップとパインはお留守番?熱狂の渦に一瞬背を向け振り返ると、そこには座ったままで踊りはしゃぐ斉藤さんの姿があった。これは明日菜でなくてもついつい見てしまうほどの楽しさ。こんなことが楽しいんだね。いろりんが電車ごっこでもやっていればあっすーはすかさず駆け付けて連結。選抜とかちょっとだけどうでもよくなった。

殻をかづいた女の子たちがそれぞれの色に染まる。水玉かにょんにスプライトりっちゃん。モリサキの鮮やかな赤いタマゴは日光感精して産み落とされる卵生神話を地で行くか。我らなんとか力もて等しく望みを与えんことを。
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2009年04月04日

2009/3/30【きらりん☆レボリューション スペシャルライブ】つるまいプラザ(愛知県勤労会館)


なんだか見覚えのある公園。三年前の夏夏のとき、18きっぷで帰るために野宿したのがここだった。夜の公園に夏の妙な雰囲気だけでは済ませられない何かを感じたので、帰ってから調べてみたらとっても怖い場所だった。格安一人旅は危険がいっぱい。いつかここでもイベントなんかやるのかと思ったところがこの会場。小さめのホールは後方でもステージがそれほど遠くに感じない。緞帳には青空を思い出させる七色の虹。そのままタンタンターン!で幕を開ける。

「タンタンターン!」の最後、タンバリンを胸元に構えて足をクロスさせる決めのポーズがある。アニメーションの表現によればここは三人ともにクロスのタイミングが少しずつズレているのだが、一方ライブ映像で確認するかぎりでは同時のタイミングでクロスしているように見える。寸分違わぬとまではいかなくとも、アニメーションのような時間差はない。アニメーションが現実のダンスを模倣するのであればそれは難しいことではない。寸分違わぬクロスを作り出すことが可能であるのにそれをしない。これは、動く絵がリアリティを獲得するための誇張表現だといえる。現実のクロスはそろっているはずなのに、あえてタイミングを違えることでよりもっともらしく見える。いくら現実を模倣したところで現実そのものに追いつくことはできない。ならば現実に隙を見つけて拡大し、そこから現実“らしさ”を追求する。そこに、虚構をもってして(真実ではなく)真実性に迫ろうとするフィクションの本質が立ち現われているのを見ていた。

アニメーションとDVDで確認したからといって、では何のためにここにいるのか。現場ではどうなんだろう?曲の終わりに見てみたら三人の足元は無数の☆が輝いて見事なまでに隠されていた。まだ遠いアナタボシ。いつの世もやんごとなきは御簾の内。

改めてスクリーンに映し出された「恋☆カナ」のジャケ写を見てみるときらりが幼い。いや幼いという表現はいささか不適切であり、きらりは三年前からずっと14歳のはずで、ステージのきらりちゃんも確かにそう言っていたのだが、どうしてもそのステージのきらりちゃんとは違っているように見えるのだ。全く違うわけでもなく、まるでステージのきらりちゃんが三年若かったらスクリーンのきらりちゃんになるみたいな。これはおそらく作画監督が変わったとかそういうことだろう。三年もやっていればそんなこともあるものだ。ひとつの革命が成就されるための三年という時間の絶妙さを思う。

きらりの太ももは細いのに肉付きがよく、肉がありながらそれでいて細い、実にストイックな太ももだ。「はぴ☆はぴ」のステップで波打つさまはアニメで表現されることはない。逆にアニメでは背中の羽はいつでもスッと抜かれるが、ステージでは手間取ることもある。

アイドルを目指す女の子をアイドルが演じる。そんなメタフィクションが見せてくれたのは、アニメと現実の境界線が相互に入り組んでいる様態だ。

ステージのこべには振り返ってスクリーンのこべにの活躍に見入り、そうかと思えばスクリーンのこべには「はてはてな」を歌うステージのこべにを後ろから見守っている。

吉川友はこべにに命を吹き込みつつも、動いてしゃべるこべにから学ぶことも少なからぬものがあっただろう。このように現実とアニメが相互干渉を重ねてきた。スクリーンのこべにとステージのこべに。さらにそれらに命を吹き込む吉川友がいるとするなら、三者によるメタメタフィクション。

こべに(アニメ)
こべに(現実)
吉川友(現実の中の人)

こんなかんじに入り乱れる。もっと厳密に言えば現実の中の人としての吉川友も(アイドル)と(私人)に分かれるがそこは踏み込んではいけない領域としてあえて判別はされない。峻別した瞬間からそこには常に侵犯の危険が伴うからである。アニメのこべにもアイドルをやっているときとそうでないときでなんら区別はないように見える。テレビに映っていなくても誰かに見られていなくてもどこまでいってもアイドルとしてある。現実はそうもいかないことは承知の上であるから、いわば理想型だ。

アニメ作品としては決して質の高いものではなかった。ところがひとたびアイドルを辞めるだとか引退だとかの話になるとにわかに真に迫ってくるのは、やはり現実と重ねてしまうからだった。

最終回、照明が落ちた暗闇の中できらりの歌声が響く。念仏のような「はぴ☆はぴサンデー」のAメロBメロがざわめきを静める。一転、照明が回復し華やかにサビへと突入。曲の構成を生かした秀逸な演出でそのまま現実のライブで使われてもいいくらいだ(中野では客席最後方に気をつけておいたほうがいい)。きらりは本当にぼんやりと光を放って遠くからでも見えるような気がする。

SHIPSのライブ会場に忍び込んだきらりは誤ってステージ上に落ちてしまい、そのはずみでアイドル宣言をした。ラピュタに知られるように物語の始めに少女が落下してくるモチーフだ。

(ちなみにラピュタと同根だとされる「ふしぎの海のナディア」の最終話近くにおいても、主人公ナディアが青い宝石ブルーウォーターに守られながらゆっくりと落下するシーンがある。しかしここはセリフによる説明があるのみで具体的な描写はされていない。これはラピュタとの相似を避けて意図的に描写を省いたのだと思う)

「あれ意外と高くて怖かったー」
「あれで落ちてなかったらあたしアイドルやってないかもしれないね」

ステージのきらりはそう語るが「落ちてなかったらあたしアイドルやってないかも」この言葉は隣にいたこべにに向けられよう。「落ちて」いなかったらこべには今のこべにではなかったかもしれない。きらりは最終回でも同じ場所から落ちて、今度は宙人に受け止められる。

きらり「5月4日のステージで私たちMilkyWayを卒業します!」

アニメでも卒業を発表していた。しかしまだ卒業はしていなかった。アニメが終わってもまだ卒業はしていない。アニメと現実が仲良く境界を侵犯しながら歩んできたこの三年、いま始めて両者が決別したということだ。アニメに干渉されない現実のきらりがわずかな命を与えられた。あと一ヶ月の間だけきらりがこの世に存在する。それ以降きらりが歌っていたとしても、それは小春が仲良しのきらりちゃんの歌を歌っているにすぎない。むしろそのときになって初めて、きらりを演じる小春が見れるのかもしれない。

アンコールのタンタンターン!が終わりMilkyWayとSHIPSが去ってすぐ、呼ばれたように上から虹が降りてきた。革命元年に終わる革命。願わくば今ひとたびのミルキィ待たなむ。
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2009年02月22日

2009/2/15【HAPPY!STYLE Communication Circuit 005】表参道FAB


告知はなくてもさかぽんと利奈ちゃんはしれっと出演。そんなことだろうと思ってたよ。利奈ちゃんがマスターしたというGo Girlのフリを見てみようと思ったらどうやら左サイドからは死角になるらしく、ちっちゃい利奈ちゃんが人影に隠れているのか見えない。ならばと夜は右へ行っても姿はなく、結局この曲には出演していないのだった。最後のラブマにも出演せず、曲が終わると坂田くんと一緒に袖から出てくる。もうちょっとこうなんかさぁ、全員でやりましたっていう達成感みたいなのがほしいよね。卒論を書いてたということは卒業するんだろうけど、それに触れることもない。キャリーの進学、麻美の卒業、のっちの編入は報告されていたのに。はぴすたルーキーズという研修生にあって、さらに研修しているみたい。

もしも唯ちゃんの声が出ていたら、夜のロマモーはなかったのだろうか。ひっぱりだこで唯ちゃんの声が出ていなかったとき、キャリーはすかさずフォローして歌っていた。唯ちゃんは喉が弱いのかもしれない。あの声で歌うのは、構造上ありえないことなのだろうか。ぬのセクハラまがいの発言に小さく「ハイ」と返して申し訳なさそうにしていた顔が忘れられない。

雅奈未が相変わらず飛び抜けている。上手いのはもちろん、聴いてて気持ちがいい。もっと聴いていたいと思う。さらにはこれだけの歌唱力を持ちながら、押しつけることなく余裕ありげにさらっと歌うところがいい。一人で突っ走る雅奈未に菜々ちゃんが必死でついて行く、少し偏ったツインボーカルの「White Love」もよかった。去年聴いた「ゆずれない願い」もまだ記憶にあって、やはりこれも「ゆずれない」固い決意とは裏腹に余裕の表情でこなしていた。今聴きたいのは断然「ブルーウォーター」。何の問題もなく歌いこなせると思う。そのときはバックダンサーに利奈ちゃんをお願いします。

まほちゆは邪気の抜けた白いモリサキみたいだった。もちろん邪気があるほうが魅力的だ。しかし黒にも白にも裏はあって、モリサキのように表に出せるブラックではなく、見せてはいけないしみさき的な何かがありそうに思える。

「曲によって表情を変える」とたびたび言うのっちは「メールは返さない」で前歯を見せてにこやかに笑っていた。忠実に歌詞に沿うなら、未練を残しつつも恋を終わらせるという矛盾した心境のところ、のっちは何の未練も感じさせず晴れやかに恋を終わらせた。LOVEメールの春からトロピカ〜ルの夏、そして涙色した夏の終わりへと、あややのデビュー三部作は季節とともに駆け抜けていった。今のっちが歌う涙色は、もうすぐ春が来るように、これから始まる恋の色。能登は白い春の色。

街の色はどうだろう。現場以外では外にも出ない場違いなキモヲタから見ると、表参道は色褪せた色のない、色褪せる色もない、すっかり色のない街になってしまったような気がする。
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2008年12月08日

2008/12/7【きらりん☆レボリューションスペシャルライブ】名鉄ホール


紅葉もしだいに色を失って冬一色へ染まるころ、ぁぉときいろが目にまぶしい。遠目には片手に収まりそうな細いのえるの下胸骨。手拍子を叩けば震えるきっかの二の腕。タンタン衣装のアームウォーマーは動いているとずれやすいようできっかものえるも何度か引き上げて戻していた。きらりは落葉樹ではなく照葉樹のイメージ。クリスマスに限らず一年中赤やピンクを撒き散らしている。

平穏のうちの昂揚は白熱を呼んで統御される。どこまで行ってもきらりの世界。きらりが統一した世界。たとえライブをやってる時間に小春メールが来ていたとしてもなんにも驚くことはない。そこにいたのはきらりであって小春ではないのだから。会場には赤い小春Tを着た人がたくさんいたけど、あれは小春ちゃんのお友達のきらりをわざわざ応援しにきてくれたということだよね。

珍獣たちによるフライングはなく「アナタボシ」から。きらりの肩に手が乗っているのを見た時点でもう涙もの。

こべにの顔が時々怖い。あまりにも整っていて端正で、目力なんてものじゃなく顔全体に力がある。あれはいろんな欲望の入り混じった多くの視線を浴びつつもすべてをはね返すだけの力のある顔だ。怖いのはたぶんそのはね返りをまともに受けてしまうからだろう。

すでに歌い継がれる域に達しているNS。スクリーンには少しひょろっとした背の高いぁぉいタンポポ。一緒に揺れているのはしっかりと根を張っていそうなきいろいタンポポ。きらりがヒマワリなら二人はタンポポ。どこにだってある花だけど、ぁぉいタンポポなんて聞いたことも見たこともない。そんなのないよ。うん、ないよ。たしかにない。ないったらない。ないんだけど、でも…そんなの、あってもいいじゃん!こんな世界では。

「私がぁぉなら」
「きみは赤」

ステージの端と端で言葉を交わすぁぉきいろ。端の多い人生を送ってきました。次はどこでどんな二人が歌うんだろう。

星司「名古屋が第二の故郷になりました!」

その前にまず第一の故郷を知らないんだけどそんなことは関係ないよね!もう宙人と間違えないよ!今日やっと覚えたよ!亀ヲタとか言っててごめんね!SHIPSが醸し出す、微妙と言っては失礼なこの感じ。ジャニーズには絶対出せない。むしろ出してはいけない。何をしてもカッコいいレベルから、カッコつけようとしてカッコ悪くなっているレベルまで、そのどれでもない、カッコつけようとして自分たちができる範囲でそれなりにカッコいいSHIPS。

「TOKYO FRIEND☆SHIPS」と「タンタンターン!」をアンコール曲として、熱狂とともにライブが幕を閉じようとする。

きらり「みんな手を重ねてください!」

座席指定のはずなのに前列中央にはぎゅっと身を寄せ合う人の塊がひと塊。差し出した手を遠く5人に重ねる。

「きらレボー…ファイッ!」

みんなで跳ね上げた手が空に届きそうだよ。それはつまりこういうことだね。

こべに「会場が一つの星になるですぅ!」

ステージの中央にきらりが残る。

「来年もよろしくねーっ!」

来年のことを言うと鬼が笑う。そう、まさに鬼も笑うようなスペシャルライブの締めくくり。今年にバイバーイ!

緞帳が下り始めた。きらりも上手へと歩き出すものの、これはまだ何か言いたそうな間合い。しかし緞帳は下りる。見えなくなるまで手を振ってくれでもするのかと思った…

その時だった!

緞帳がぴたりと止まったのだ。まるできらりの言葉を待つかのようにだ。この瞬間、時間が止まっていた。いやきらりが止めたのだ。短かった前回よりもさらに短く感じた一時間強。この短すぎる時間を調整するように一瞬、時の流れを止めたのだ。決して操作するスタッフが空気を読んでくれたのではない。曲の最中、袖に待機するスタッフがまる見えだったが、あれは違う、スタッフではなく妖精かなにかの類だろう。トロールとかゴブリンとか。妖精にもいろいろいるって妖精自らが言ってた。ステージにはきらりひとり。時間を止めて独壇場。客席はきらりの言葉を待って固まる。すでに袖の向こうに消えたのえこべもそのまま動けなくなっているはず。

「また来てくれますかーっ!」

これが希望的観測を含んでいる言葉であることは言うまでもない。いつものライブとはちょっと違う特殊な形態はスポンサー様の多大なるご尽力があってこそ。「また」あるかなんてわからない。しかしこう聞かれたら、「はい」でも「うん」でもなく熱狂の渦中にいる者どもは「うぉーっ!!」と拳を突き上げて答えるしかないのだ。きらりは「今年一番思い出に残るライブ」だと言った。友達の小春ちゃんがいても、同じことを思っているかもしれない。自分はどうかと問われたら言下に否定はできません。

誕生日にこんなライブに陶酔できるのはこの上ない喜びです、とごまヲタ芥川賞作家のエッセイをパク…フォーマットに使用させていただこうと思っていたら、件の群像だったかが探せないまま時間が過ぎてしまうので、とにかく今は幸せです。推しメンとたいだーん!は作家の職権ですね。

小さなお友達はおそらくマンガやアニメのきらりんを見てからライブの存在を知って会場に足を運んでいるのだろう。それとは逆に大きなお友達の多くはアニメより先に小春やきっかやさぁやの存在があることで現場に集う。別々の裾から登り始めてもたどり着く山の頂上は一つだけ。だからハッピー。

たとえ時間で隔離されていても、何にも変えずに子どもと同じように扱ってくれる。ここにあっては舞台裏でのどんな陰口も存在しない。しないでほしい。僕たちは大の大人なんかじゃない。子どもであることにかけては子どもにも負けないほど立派に子どもなのだ。胸を張ってそう言えるのが、きらレボライブというこの世界。

傾斜がついてやけに見晴らしのいい名鉄ホールの一席から誰もいなくなったステージを見下ろしている姿には、SLのジオラマに没頭するあまり自らその一部になってしまうのと同じような錯覚を覚えた。願わくばそうありたいのだが。

そういえば、きらりに時間を止められたままだった。あのあと緞帳が再び下りてきたのか定かでない。

(藤子不二雄「四畳半SL旅行」参照)
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2008年11月26日

2008/11/24【2008 ハロー!プロジェクト新人公演 11月 〜横浜JUMP!〜】横浜BLITZ


開演数分前、今ごろ誰かが緊張して泣いてるのかと思うと感慨深い。懐かしい良曲の数々がよけいに感慨深い。そして終演後、始まる前はなぐさめていた誰かが緊張から解放されて今度は泣いてしまっているかと思うとなおさら感慨深い。もう感慨だけで生きている。

(BE HAPPY 恋のやじろべえ)

ハピスタライブのときにのっちは「かわいい私とカッコいい私を使い分ける」みたいなことを言っていたが、この曲ののっちはかわいく歌ってやろうというのがありありと伝わってきて、「もうすぐハタチなのにもうすぐハタチなのに」と抵抗しつつも、これがのっちという人なんだろう、4人の中で一番といってもいいくらいにやっぱりかわいかった。あやちょに限って言えば、こっちに視線をくれるより、こみねっちとアイコンタクトしてるところが見たい。

(恋人は心の応援団)

前回のソロに思ったのは、ゆうかりんの声が変わってきているということだった。それまでの衝撃的なハイトーンは影を潜めて、怪電波が徐々に歌になってきていた。こんなにあっさりと変わるとは思わなかった。ゆうかりんから歌手前田憂佳の始まり。そういう意味でいま歌を歌でなくしているのはおぐら社長だ。すでに自分にしか歌えない歌を持っている。

(愛あらば IT'S ALL RIGHT)

同じ歌詞でも歌う人によってそこに二重の意味が潜んでいることがある。歌い手が代わるときにそれはどちらかの意味が選択されるのだが、かつて「ハピサマ」では、その間奏部分のセリフは「リーダーとして」かつ「娘として(今は亡き)父親へ」という両の立場に立脚するものであり、中澤が卒業するに及んで前者なら新リーダーの飯田が、後者なら境遇を同じくした後藤が受け継ぐという推測が立った。結局セリフは飯田に任され、以後このパートはリーダーが務めるという筋道がひかれることになる。

この曲も当時に遡れば同様に重複する立場を見出すことができる。

【安倍】そうさ時代はそれぞれいっぱいがんばって来たよね

ここに石川はオリメンからのメッセージを受け取った。「安倍さんが私たちに向けて言ってくれている」と感じていた。それは「去りゆく者として」の言葉でもあり、当時の状況を鑑みれば「エースとして」の言葉でもあった。つまりは今回、このパートを誰が歌うかによって大きく意味が変わってくるということだ。受け継ぐというには大げさだけど「去りゆく者」と「エース」のいずれかであるのかが見えてくる。そこに聞こえた天の声は、ゆうかりんはエースであるということだった。それでもそこにいくばくか卒業というニュアンスを見つけ出すなら、エッグのエースからハロプロのエースへの卒業に他ならないだろう。何を歌うかじゃなくて誰が歌うか。新人から一人タケちゃんが選ばれているのにも、世代を越えて伝える何かがあるのかもしれない。

(紫陽花アイ愛物語)

出てきたきっかが忘れもしないスイッチON!のぁぉ衣装。きっかなのにぁぉ!じゃなくてあれがまだあったことに驚き。きっかが着てたのはまあさのかな?熊井ちゃんのかな?やっぱりまあさのかな。だって熊井ちゃんのだと胸スカになっちゃうからね。…嘘だよ熊井ちゃん、食べないで。

(キラキラ冬のシャイニーG)

次いでサキチィーのソロ「シャイニーG」。サキチィーかわいいは宇宙の真理、そういう曲です。宇宙がどこまでも広がっているのなら、サキチィーはどこまでもかわいい。かわいさ余ってかわいさ百倍。かわいい子には旅をさせよというけれど、かわいいサキチィーには旅なんかさせたくない。コタツでぬくぬくしていてほしい。キッラキッラふっゆのぉ〜シャキチィーシャキチィーガァァール!!れいなに冬ってイメージもないけど、サキチィーも冬ではないかな。イメージカラーに近い暖色イエローの春、もしくはメロンが食べごろの夏。サキチィーと死ぬほどメロン食って一緒におなかを壊したい。たまにマイクを持っていない方の右手がスカートに当たって「はらっ」ってめくれることがある。わざとやっていたら怖いし無自覚だったとしてもその偶然が怖い。いずれにしてもサキチィーはかわいい。

(さぼり)

「さぼり」が名曲すぎて泣ける。曲に泣かされるのか、ベリに泣かされるのか、それともいろりに泣かされるのか、イントロのメロディラインが珠玉の美しさ。なぜベリーズはこれをあまりやらないのか不思議でならない。3年前、この曲を聴いてベリーズはこれからもやっていけると確信したのに、この曲に頼ることなくここまで来れてしまった。

【関根】無言が続くけどこのままのまんまでいいの?
【彩里】夜風につつまれてあなたと私だけ

今回、連続出場が途絶えてしまったかにょんとモリサキのコンビも無言電話をかける仲なので違う意味で歌詞のイメージに沿うと思う。寒い空気につつまれて受話器をはさんで二人だけ。あっすーのたこ焼きを食べたい。

「たこ焼きとソースと初恋の匂いで」

ここがつんくの一番キモいところだ。そしてつんくの詞で一番好きなところでもある。たこ焼きとソースが入り混じった匂いから初恋を嗅ぎ当てるにはかんにゃの嗅覚が冴え渡ることだろう。舞美の汗に初恋の匂いはするのか。かんにゃ自身が恋の匂いを振りまいていたから、鼻が利かなくなっているかもしれない。

この曲では小夏とせっきーがスイッチON衣装。これはきっと8着あるはずのあの衣装を着て8人が出てくるということなのだろう。ゲキハロで8人目を見てきた舞波脳にはもはやそうとしか思えなかった。

(みんなのたまご)

アカリの「かにょん、上から目線やめてください」というのは案外本音なのかもしれない。だとしたらゆうかりんは対等に見てくれるということか。「憂佳」と「花音ちゃん」の間にあるものが少し見えたようだった。“髭じょしゃく”では憂佳の「何とかやないかー」に素早くアカリが反応する。つまりアカリはひぐち君の役回りだということだ。いつかアカリカッターが発動しそうで心配。憂佳は「DAWA」と呼んでいたけどアカリは「彩花ちゃん」。ただし憂佳がプライベートでもDAWAと呼んでいるとは思わない。

(わ〜MERRYピンXmas!)

スイッチON衣装で出てきたまぁなにいつもの輝きが足りない。それ自体の輝きというよりなにかこう、輝きを反射するものが…。そうだ、メガネをかけてない!ついに解禁!絶対裸眼!だからまぁな!メガネをとったら美少女パターン。しかもよく見るとメガネのない目が昔の愛理にそっくり。年取りたくないのにメガネはとった。まぁなのメガネはダテじゃないので、メガネを外すということは視力が落ちてしまうということだ。まさかメガネ文化のにっくき敵、コンタクトをしていたというのだろうか。メガネはどこに置いてきた?古代アンデスの神像のような金色の髪飾りをつけていたまぁな。代わりにどこかの土偶がまぁなのメガネをかけて出てくるかもしれない。これが誕生日当日でもあれば曲に合わせてピンクサイを掲げよう的な何回煎じたかわからないような出枯らし企画も出てこようというところ、11月は誕生日が多すぎて何がなんだかわからなくなってるごっちゃなかんじがエッグらしくて好きです。今年は紅も白もいらん!メリピンだメリピン!…でも来年はお願いします。まぁなの衣装はキャプのかな。

(ジリリキテル)

ケンケンパをしていろりんがはけていくと間をあけずにジリリのイントロ。4人が急いでステージ中央に駆け寄ってきてダンスが始まり、一番最初の振り向く動作がない。ざわめきの中で小さなイントロを聴き取る一瞬の緊張感が損なわれてしまうので、ここはしっかり場位置についてから始めてほしかった。半角スペースを空けない間の詰まったジリリは少し慌しい感じがしてしまって。きっかの中で歌とダンスの比率というものはどれくらいなんだろう。歌に集中しようとしてダンスを抑え目にすることはあるのだろうか。きっかはダンスでもまだまだ上へ行ける。

(わっきゃない(Z))

これがまた何かが始まるような期待感にあふれているイントロ。℃-uteの始まりという歴史を背負うところの曲である。注目するのはあいつより一日だけ早く生まれた小夏だ。マイクを持っている分動きは鈍る。それを差し引いてもまだまだめぐの方が上だった。しかし、阪神ファンにとっていつまでもバースを上回る外国人が現れないように、記憶の中のめぐと戦わせるのは無駄なことなのかもしれない。小夏はとても充実した表情をしていたのだから。人によってはウザいと感じるかもしれないが、ステージを楽しみながら楽しませようとしているのがひしひしと伝わってくる。それこそウザいほどに。

(パフォーマンス)

パフォーマンスという言葉は少しの悪意を込めて使われる場合もあるよね。「あれはパフォーマンスだから」といえば、内実とは違う見せかけの行動という意味になる。エッグちゃんが世界平和を祈ることは偽善だろうか。世の平穏を願うことなどできないのだろうか。それは無理かもしれない。世界の広さも知らないのにあまねく行き渡る平和なんて届けられない。だからもっとも身近なところから始めることしかできない。エッグが今見ている世界。僕が今見れる世界。舞波が辞めてもヲタ辞めなくてよかった。こんなことをぐだぐだ書き連ねていられる今は間違いなく平和です。「それでも平和に生きていこう」という願いは、逆接の入り乱れた「でも笑顔は大切にしたい」私の願い、I WISHとつながっている。メッセージ性が強いというかメッセージ性しかない。人間の苦悩や世間の荒波がステージにあふれているとき、会場は波を打ったように静かになるという束の間の平和。

(ALL FOR ONE & ONE FOR ALL!)

ハロプロオールスターズも今は昔。もうすぐみんな星になる。だからこれからはお前らがハロプロだ!

飛んだ!飛んだ!

エッグ…

飛んだーっ!!

いい言葉を聞いた。昼が初日で夜が千秋楽。重んじるべきすべてのものが全部タマゴの中にある。外は白い冬の息。このまま世界に目を閉じて、夢からさらに逃避して、夢の中でも夢を見たい。タマゴのまま羽が生えて、エッグはパタパタ飛んでった。一番好きなタマゴの歌の捧げ物。

こころはタマゴ 小さなタマゴ
あしたまで あたためりゃ
鳥にもなれる 雲にもなれる
もしかあの子が好きならば
「こころはタマゴ」
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2008年11月10日

2008/11/9【きらりん☆レボリューション スペシャルライブ】JCBホール


のえる「わたしがぁぉなら」
こべに「きみは赤」

さんざんぁぉだのきいろだの言っておいても、改めてこんなふうに歌われると「そうか、やっぱりぁぉだったのか」と今さらながら気付かずにはいられない。

ぁぉは藍より出でて藍よりもぁぉし。隣の芝生はぁぉく見えるし、ぁぉげば尊し我が師の恩。ぁぉい山脈雪野はのえる。好きなら好きと言っちゃえのえる。ぁぉの告白ぁぉ色申告。目指す理想はぁぉ写真。助さん格さんぁぉい輝彦。吉川友にぁぉい優。nkskくまさき宮崎ぁぉい。ベリーズブルーにキューテーブルー。ぁぉいぁぉい珊瑚礁、削ったイニシャルKとY。くま〜い!くま〜い!どんくまい!リゾナントなブルーの暗がりでホリゾントにハマってブルーなこんこん(12針)。ぁぉ色7をきゅうえたのんが大事に育てるきみは赤。生まれたばかりの赤ちゃんもやがてすくすくぁぉ二才。お日さま輝く空の色。そのうちに涙の色もわかるよな大人になったリしたりして(nkskのくせに)。きらりんみのりんガガーリン。見下ろす地球はぁぉかった。空のぁぉ海のぁぉにも染まず漂ふべにべにこべに。その者ぁぉき衣を纏いて虹色の野に降り立つべし。舞波コールにひらひら揺れるぁぉじゅうたん…。

世界中のぁぉがここに集まってきたような衝撃。

虹を架ければ届きそうなきいろいビルにぁぉいビル。終わって外に出てみれば、かすかに細かい雨のシズクが。虹になっても見えなくて、少しののちに見えたのは、宙を舞うライオンズブルーでありました。ホワイトまじりの超ブルー。ドームの芝生もぁぉかった。

それにしてもここは本当に不思議なパートだ。「わたし」と「きみ」は同じのえるを指す。パートを分けて二人で歌うことによって矛盾が生じてしまうのだ。ぁぉと赤…ダブルユーがいたらこの曲を歌っていたかもしれない。

のえるとこべにのNSは一年前のきらりとひかる。きらりは今日の二人に過去の自分を見ているのだろう。最初は自分のことしか見えなかったきらりがひかるという他者を得ることで自分以外の世界があることに気付く。そして今またそれすらも視界に収めて睥睨する。一人よりも二人よりも三人。「アナタボシ」も「タンタンターン!」もそういう思考が見て取れる。来年きらりは何を見ているのだろうか。小春の夢はあまりにも短くて、夢のように過ぎていった。


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2008年10月26日

2008/10/25【Fantastic Fantasy Vol.1】原宿アストロホール


頭をライブモードに切り替えるぅ〜♪

さて、ゲキハロ→→→はぴすた☆ルーキーズ。休日の原宿なんて日本で一番行きたくないところだ。ルーキーズが出るのでなければ。はぴすた☆ルーキーズの魅力は先輩格のSI☆NAさんに気を使いつつ、能登さん前田さんをも丁重にお出迎えしなければならない板ばさみ感にある。それがアウェイに放り込まれたらどうなるんだろう。市川くんがいなくても行くよ。

地下に潜ったらはぴすた☆ルーキーズが物販で売り子さんですよ。何の告知もなかったのに。しかもロビーとかじゃなく会場内(そもそもロビーとかない)。グッズ買ったらそのままゆるゆる〜と握手。流しなんか当然いません。腰をつかんで投げ飛ばされることもなければチョップで手と手を離されることもない。これが地下です。正真正銘の地下です。

地下は初めてというわけでもないんだけど、ハロプロに慣れ切っていて久しく忘れていた。差し出したロミオの手でそのままハイタッチ。届きそうに伸ばした手がそのまま届く、そんな現場。ビックリを通りこしてショックだった。

曲はまぁ今までにやったことのあるものだろうなっていうのは予想がつく。初々しい「Go Girl」はキッズのFCイベを思い出します。そう来るなら「ここいる」は必至だし、おぐら社長のソロも必須。歌いこなす余裕すら感じさせたmanamiの「ゆずれない願い」もすごかった。でもまさかこんなところであのイントロを聴くとは思わなかった。

石原夏織「ロマンティック浮かれモード」

受験で忙しいんじゃなかったのかよ!なにこの初披露曲。歌唱力は正直に言うとせっきーの方がはるかに上。しかしそんなこととは全く関係なしに狂気乱舞の現場の状況はご想像にお任せします。ここが地獄の底です。スタッフ、本気だな。

おぐら社長は中1だったのか。受験生の石原さんよりも下ということだったから中2かと思ってた。まいまい・アカリと同学年。いろりんの1コ上。001のちょっと前まで小学生ということか。すげえな。こういう場には慣れていないはずなのにあの落ち着きぶりはなんだ。みるるなんかマイクを持つ手が震えていたのに。

一目見たときから視線を持ってかれた。数年後のみづき(菅澤美月)といった風貌は遠藤るか。もうみづきの数年後は見れなくなっちゃったからね。「ダンシングクイーン」のダンスがヤバかった。長い手足を持て余さずに(熊井ちゃんのようにならずに)むしろなかさきに近いダンス。ひとつなかさきと違うのはスカートを押さえたりしないこと。別に中が見えるからいいってわけじゃなくて、ターンしてふわりと回るチェックのスカートが誰よりもきれいだった。まるでメリーゴーランドの回る屋根のような。スカひらともまた違う風情。逆になぜなかさきはスカートを押さえるのかと思う。どんなに全力で踊ってもなにか最後の砦を守るような心持ちがあるのだろうか。

ある程度場数を踏んでいる人たちはそれなりにできる。疋田紗也がいい曲を持っていてしかもけっこう歌えるのは意外だったし、桜井聖良(ちょっと光井に似てる)とツキカゲ★センセイの「野心的でいいじゃん」は初めてこの曲をカッコいいと思った。やっぱりアイドルは奥が深い。深いも深いはずここは最深部。業も深いし闇も深い。

もちろん光もあれば影もあって、ルーキーズがこのまま同じ世界にとどまるのがいいことなのかはわからない。ステージから伸びる花道にルーキーズは一度も来なかった。足を踏み入れるか否か、まだまだ決めかねているようだ。
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2008年10月14日

天使の妖精


妖精が降りてきましたよ。最初は様子を伺うようにゆっくりと、それからトトトッと小走りで。手にはもこもこ頭にもこもこ、上から下まで白い妖精。恋ベルで弾け踊ってたぴょんぴょんツインテールは純白のしっとりツインテールに。右テールにだけ白いもこもこ。左にもつけたくなりそうなものなのに。右から読んでも左から読んでも「irori」の、対称性の破れ。

(なんだろうなぁ…)

マイクを口から離していたのでこの声はちゃんと拾われていなかった。いろりは言葉を選ぶように、それでも言葉が見つからないように目線が宙へと向けられる。沈黙の間ができてしまうのは決して言葉足らずのゆえではなく、感極まっているからだろう。胸に迫る気持ちはあるけどそれをうまく言葉にできないもどかしさにとまどう様子。みるるは涙声だった。いろりも泣いてしまうんじゃないか?でも絞り出すようにかみしめるようにいろりは言葉を吐き出してきた。

「私は、すごい楽しかったんですけど、みなさんは楽しかったですか〜!新人公演でもまたがんばるので、応援してください!」

いろりが言葉を紡ぐ瞬間を見たのであって、こうして文字にしてしまうと味気ない。あの言葉はあそこでしか出てこない。準備していたものではない、あの場でいろりの中から出てきた言葉。アイドルはお人形さんとか言うけれど、まぁいろりはお人形さんよりかわいいけど、お決まりのセリフを言うのではない、生の声だった。これはちょっと新人公演でも聞いたことがない。いろりの魂が宿る言葉だった。会話はしてないけど対話をしたような気分。何かを投げかけられたような。慌てていたと見えて「まえだろり」に聞こえちゃったよ。
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2008年09月22日

2008/9/20(夜)【THE ポッシボー ライブツアー2008秋〜SEXY ジェネレーション〜】赤坂BLITZ


うっちぃのソロを聴いてみたくて。知らない人なんていないでしょ?ぐらいの自然な雰囲気で登場。半分身内のようなものとはいえステージングも慣れた様子。ひっかかるところのないとても素直でまっすぐな声だった。い〜いな!か〜もね!の煽りもコール&レスポンスのはずが一緒に歌っているような気分。合唱部では配役のせいもあってほとんど目立たなかっただけに、やっと本来のうっちぃを見た思い。しかしいまだえり〜なにまみえずしてキャナを見たとは言い難い。

まさかのμ単独による曲披露は「21世紀まで愛して」。ていうか今21世紀だし、そもそも21世紀生まれってどういうこと?「とりあえずキスして」とかとりあえずもなにもないっすよみのりん。お姉さんたちに囲まれてあんなにちっちゃかったみのりんが大きく見える。実際μでは一番背が高い。他の子なんて「七つ前は神の子」よろしくまだ人間にもなっていない。なのに歌ったり踊ったりしてアイドルになるというのならそれはもう神そのものだよ。とりあえず人間になってからアイドルになって、それからキスをしよう。キスがしたいが人間の本能って誰かが言ってた。

グループ名にちなんではしもんのソロ「可能性の道」。すごくあややを意識しているような歌い方に聞こえた。そう思ってMCを聞いてみれば声があややによく似てる。さらに遠目には舞波に見えてくる。デコ出しにウエービーな髪、特に眉のあたりに大きくなった舞波。

そう思いつつも松浦のカバーといえばゆうかりん。あややらしく歌おうとしても土台無理な話のゆうかりんは、幸いにもその声ですでに独自の世界を築いている。あとは自分との戦い。曲自体を知らなかったという「私のすごい方法」とは違いカラオケで歌い込んでる「100回のKISS」。カラオケをそのままステージのソロにするわけにはいかないが、気持ちの入れようが違うだろう。感情を込めまくった怖いくらいの憂佳が見たい。「って言うか別に」「そしたら絶対あなたに言うから」歌詞に「ゆうか」が2回も出てくる。案外そんなことがお気に入りの理由かもしれない。

あんなに影の薄かったアカリとうっちぃのダメ合唱部コンビ。そんな二人の晴れ舞台をハシゴとか冥利に尽きるとはまさにこのこと。今まで知らなかった世界にはそこにはそこの論理があって、近しいながらもハロプロの論理とは関係なしに展開しているパラレルワールドのようだった。代々木へ行くという選択肢もあったが、まだ自分の中では始まったばかりなのにいきなり最後を見るのは忍びない。せめて同じ年月を肌で感じてからにしようと思う。
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2008年09月01日

かっぱのひとりごと 〜「忘れたくない夏」仙台〜


タップダンスの練習のときに萩原舞ちゃんがくつ下を忘れてしまって裸足のままで靴をはいてがんばってたんですけど、皮がベロンて剥けてしまってそれでも絆創膏を貼ってがんばっているのを見て偉いなーって。

タップダンスの靴で普通の所を歩くと傷がついてしまうのでそーっと歩かないといけないんですけど(実演)、そんな自分の姿を見て「変だな〜」って思いました

そーっと歩く姿はどう見てもゆるいカッパダンスでした。この際ソロタップをカッパダンスに、いやタップをしながらカッパダンスという境地にまで愛理ならたどり着けるはず。まいまいを見習ってがんばって!

肝心のソロタップのときは足元じゃなく太ももを見ていました。バカヤロ!ザンネンなじぶん!出てこいよ隠れてないで!きれいできれいでそれはそれは透き通るよう。

さらにライブ初披露となったイーグルスの歌では片足でステップを踏んでリズムを取るフリがあるのですが、そのときに揺れる太ももを見ていると揺れぐあいによってさらにその上、おしりの形がわかるような錯覚にとらわれたのです。絶対破廉恥!かなりキてる!申し開きのしようもございやせん。

トークの途中から通ベクに備えてマイクスタンドをセンターに据えつける愛理。自分一人で歌うために。愛理の愛理による愛理のための空間。全てのベクトルは愛理その人ただ一点へ。ライバルは自分。自分自身のベクトルも向けられるのは自分自身。今、愛理と愛理の戦いが始まる。自分との戦いが一番よく見えるのがやっぱりソロ曲ではないだろうか。ホントのじぶんはどっちだ?

ソロ曲が常に自分との戦いであるとしても、舞美の場合はいささか変則的で、松浦と戦っているのでなく一緒に歌っている。しかし愛理が日替わりトークを繰り広げる中で、自分は同じことしか言えないのは内心忸怩たる思いがあるだろう。一年前の夏、ライバルを聞かれた舞美は愛理の名を挙げていた。今日のダイアリーは少し力強かった。



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ちさワン仔の遠吠え 〜「忘れたくない夏」仙台〜


一番下の妹がしゃべるようになって私のことを『ちしゃ、ちしゃ』って言うんです

明日菜はあしゅ?千聖の“brush her teeth”は明日菜のクリニカCMへのオマージュであるだろう。
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2008/8/31【℃-uteコンサートツアー2008夏 忘れたくない夏】Zepp Sendai


いつもならライブの後半特に盛り上がってくるあたりをよく覚えてて、あるいは覚えていなくって、そこから遡って思い出したり出せなかったりするのだけど、今日は二曲目「涙の色」の栞菜がずっと頭に残っててなかなかその後のライブモードに切り替えられない。

「わからずやのままね」で腕をぐるぐる回すときに傾けた顔の苦しそうな表情が渋くてカッコいい。間奏のダンスでは勢い余って頭の帽子が外れ落ちながらもフリに合わせてうまく拾い上げる。長嶋が空振りした拍子にヘルメットがすっ飛んだとか、だいぶ違うけどまぁそんなようなことだ。

栞菜はしみさきをダンスがうまいから尊敬すると言うけれど、確かにダンススキルでは及ばないかもしれないけど、表現という意味では、ことに「涙の色」のような曲では栞菜にも相当のものがあると思う。涙の色とは何色なのか、改めて栞菜に問うてみたい。それを一番教えてくれそうなのが、ダンスを通じた栞菜の表現にあると思ったから。涙の色が見えそうなダンス。

最前ブロックはおそらく150番くらいまで入れたあとに完全に封鎖してしまっていて(なんだかこのへんで入場がもたついてたし)、遅い番号で入っても突っ込めないようになっていた。なので余裕を持って封鎖された最前ブロック内はライブハウスじゃないみたいにゆるゆるで、どのくらいゆるゆるかというと、双眼鏡を覗きながら踊っても隣の人とぶつからないくらいゆるゆる。本当にそういう人がいたんです。Zeppの最前ブロックで双眼鏡なんて初めて見ました。Buono!コンでやってみろとゆいたいです。仙台は後ろだけイスが出たり(放課後)、両端に子ども用スペースができたり(Wスタンバイ)とかして、これはやはりプロモーターの違いでしょうか。

(上げ子登場時)「牛丼食べた〜い!」

あーた今「℃-ute食べた〜い!」って言わなかった?言わなかった?。…言ってません。「あいぼん廚」は「I want you」に聞こえるし。
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